第3話

「あら、小倉さん帰ってらっしゃったの?屋上に向かったと聞いて、てっきり飛び降りるつもりなのかと心配しましてよ?」

「ええ本当に。飛び降りでもなさったら、歴史ある鎌女のブランドがけがれてしまいますからね」

「ちょっと澄子さん。心配ってそっちのほうでらっしゃるの?ほんとおかしいわね」


 あはは。 うふふ。


(やっぱり、戻ってくるべきじゃなかったかも……)

 お昼休みの飛び降りは未遂に終わり、仕方なく教室に戻ってきたけど、やはりクラスメイトの格好の餌食となった。

 私が通う鎌倉女学園は、良家の娘など比較的裕福な家庭の人間が多く通うミッションスクールとして地元では有名だった。

 戦前では神奈川県内でも屈指の嬢様学校とうたわれ、一時は通っているだけでも羨望の眼差しを向けられた我が校だが、現在は有名校も増え、入学希望者が減少の一途をたどり、県内屈指とは名ばかりのお嬢様学校となっていた。


 やっと女性が社会に進出する機会が増えてきた昨今に、慌てて世界で活躍する女性を育てるという大義名分スローガンを掲げたはよいものの、現状は女子校だけという閉塞感へいそくかん漂う小さな世界で、陰湿な弱いもの苛めを嬉々として行う小鬼を世に放っているだけな気がする。

 そして私は、小鬼に捧げられた憐れな子羊だろうか。

 もし仮に神がいたとしたら、このような醜い人間の姿を見て、さぞ醜い生き物だとお嘆きになるだろう。もしくは醜い争いに興味を示さないかもしれない。


 私が何も言い返さないことに気を悪くしたのか、リーダー格の田所さんに従う小判鮫コバンザメが執拗に絡み始めてきた。

「ちょっと小倉さん。話聞いてらっしゃいますか?」

「え、ええ聞いてますよ……」

「シャキッとなさいまし!まったくどうして鎌女に貴女のような貧乏娘が入学できたか理解できませんわ!」

「ええ、ほんとそうですわね。せっかく咲き始めた梅の花も気の毒ですわ」

「あらあら、そこまで言っては可哀想ですよ。小倉さんにも使命はあるんです。国の為にせっせと子供を産んでいただくというね。そのお陰で私達は社会で活躍できるのですから」


 リーダー格の田所さんは、いつも直接的には私をけなすことはない。一見すると擁護しているようにも聴こえるところが彼女の怖いところだ。

 今だって、私みたいな貧乏娘には子供を産むしか出来ないというあざけりが、その歪んだ視線からにじみ出ている。

 田所さんは、このクラス――いや、もしかしたらこの学校で一番裕福な家庭で生まれ育ったのかもしれない。確かにそんな家庭に生れた田所さんからしたら、私なんて路傍ろぼうの石ころのように見えるかもしれないけど、私だって必死に勉強して鎌女に入学したんだ。

 そこが気に入らないから、こうやって苛められてるんだろうけど……。


 暫くするとチャイムが鳴り、ガマガエルのような男性教師の授業が始まった。

 タバコの吸いすぎでたんが絡んだような不愉快な声と、黒板に恨みでもあるかのように殴り書きする耳障りな音が、先程まで私を罵っていたクラスメイトの顔を歪ませた。

その表情に少し溜飲りゅういんが下がったけど、その頃私はというと授業内容など頭に入っていなく、次はいつ死んでやろうかと考えるのに忙しかった。


 その日の授業が終わると、友達と帰宅するものや、部活動におもむくものに別れた。

 私は一刻も早くこのような地獄の空間から離れたかったので、鞄に手をかけ急いで教室を去ろうとすると、またしてもいじめっ子の魔の手にかかってしまった。


「そんな急いで品の無いこと」

「少しお時間よろしいかしら」

「小倉さんよろしくて?」

 もちろん私に拒否権など無い。非力な羊は小鬼達についていくしか出来なかった――


「なんだい、ずいぶん遅いじゃないか」

 空き教室まで連れていかれると、そこにいたのはいつも私を苛める不良集団だった。

 なんでこの学校に通っているのかもわからない素行の悪い連中だけど、そのぶん教師も強く言えず好き勝手暴れていた。

 私に直接暴力を振るうのは彼女等の役目であり、彼女等の良い憂さ晴らしとなるのが私の役目というわけだ。


 また私の地獄が始まる――



「また、死にたくなったかしら?」

 痛む顔を抑えて校門にむかって歩いていると、一本の梅の木が話しかけてきた。

いや、梅の木の後ろに隠れていた女の子が話しかけてきたようだ。

「あなたは……屋上で会った」

 昼休みに屋上で飛び降りる邪魔をしてきた女の子が顔を覗かせた。

 改めて見ると、目の前の女の子は清らかな小川のように流れる黒髪を肩まで伸ばし、日本人離れした鼻梁びりょう、そして先程も私を戸惑わせたその瞳は、私と同じ濃紺のセーラー服を着ているにも関わらずどこか異国情緒を感じさせ不覚にも私をドギマギさせた。


「貴女の名前は何て言うの?」

「あら、貴女は知っているはずよ?」

 何がおかしいのか、彼女はくつくつと愛らしく笑う。屋上で会ったときは無表情だったけど、その口に手を当てて笑う仕種はとても上品で、鎌女の中でもそうは見かけない美しさである。


「ふふ。ごめんなさいね。私の名前は黒澤美智子よ」

「黒澤さんですか。私は」

「小倉富江さん。でしょ?」

 私が名前を告げる前に、黒澤さんは口を挟んだ。どうやら私の名前を知っていたらしい。

「小倉さん。いえ、富江ちゃんとはお話ししたかったの」

「え?」


 梅の花は、春の香りと不思議な出会いを私に運んできてくれた。


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