彼は昨日を覚えていない。

 うちの相方は人気者だ。

 デジタルに明るい(?)彼は、アイコン作ったりメタバースの入り方を教えたり、讃岐うどん界隈で使えるお客さんとして認知されているようである。うどんを通して知り合った方も多く、相方を見かけると実に嬉しそうに笑って「会えてよかった」なんて語りかけてくださる。


 ――しかし。その「調子いいあんちゃん」でいられる時間は短い。


 昼の明るさとは裏腹に、家での彼は毎日荒れている。

 怒鳴り、暴れ、そこから一気に無力化し、このひと月で2回はリスカしようとした。

 会話の大半は覚えていないし、時間も約束も忘れて行動し始めるし、一人でやれというと泣いて暴れて手がつけられない。

 暴れるのが、まだ足を踏み鳴らすとか物を投げるとか、そのレベルだから私は問題視しないでいる。だけど、昔のように誰彼見境なく怒鳴り散らすようになったら?借金を平気で重ねるようになったら?そう考えると、たまに背筋が寒くなる。


 最近の彼は、仕事を休むことも増えた。

 彼はうどんが好きだし、人の気配が好きだから、よくうどん屋さんに行ってツイートする。すると、私に金銭的なことを心配してDMが送られてくる。

 これからもきっと、そういう常識的な密告者は増えていくだろう。なんかそういうの全部疲れた。にこやかに「スキにさせているんだよ」と返事はしているが、本当の私は違う。彼には烈火の如く怒り狂い、人格を否定する言葉をぶつけ、何をごねようとお前は金と時間をムダに使う大病人なんだよと事実を突きつけ――伝わらなくて、燃え尽きて、発狂している。

 私もうつ状態を悪化させている、もう戦う余力はない。

 だから私は、彼を放置している。自分を削られっぱなしにして、早く楽になりたいとどこぞの神に祈っては自嘲している。

 本音を言おう、マジ死にてぇわこんな地獄人生



 ただ、私にとって『救い』となる情報を知った。


 精神科医のYouTubeチャンネルで勉強していたら、双極性障害だけの珍しい特徴を話していたのだ。

『双極の人は、記憶に連続性がない。記憶には残っているけれど、それが自分がやったという実感がなく、理解ができない』

 ちょうど隣に相方がいたので、私はその顔を二度見した。

 <記憶がない>ことについては、前から疑っていた。私がどんなに怒ろうともキレようとも、彼は一晩も落ち込まないのである。寝て起きたら気分はだいたい元通りで、態度に関しては3日で直訴前の酷い状態に戻る。あれだけ泣いて頼んだのに、私に向かって大声で怒鳴り、大きな音を立てて暴れる。普通よりも激しめに訴えても、どんなに突き放しても、何度やっても戻ってしまうのだ。

 人格の問題かとも考えた。だけど、優しくお願いしたら理解できる、穏やかな時期もある。だから『生まれつき』というのは違う感じがしていた。

 病気の特徴である、と言われて納得した。それに、自分も似た症状があることも思い当たった。

 私は日々の失敗や叱られたことなどが、すぐに覚えられない。日常も靄の中にあるみたいに、すべてぼんやりしている。ただ彼と違うのは、記憶がいまのところ連続している、ということだけ。

 私と彼で違うのは、私は自分の病気を理解して克服しようと工夫していること。彼は、自分が病気だという自覚がほぼないこと。だから私は行動を減らして休もうと努力し、彼は病気の衝動のまま行動しなければと焦るのだ。



 ならば、答えは簡単だ。

 彼に「自分は『記憶力と行動力の病気』なんだ」と理解させればいい。

 理解できないのなら、彼には記憶がないと前提して私が行動すればいいし、それでも辛いなら思い切って物理的に距離を取ればいい。

 私の場合はなんだけど、一人ぼっちでいた方がこの病気の治りは早い気がする。どうせ原因は人間関係や社会関係なのだ、そんなもんから離れた方が治りやすくて当たり前。



 あとねー、いろいろと言ってくる人に言いたい。

 確かに彼や私は、日本の社会常識から外れてるよ。遅刻も早退も欠勤も多いしさ。

 だけど、健康なくせに『言われたことだけやってれば立派な社会人』って思ってるなら、それどうなの?


 心が貧しくなったなあ、健常者の日本人よ。

 今は戦時下じゃねえんだよ、根性論は90年遅いんだよ。

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