躁でも鬱でも、能力は変わらない。
連投させてくれたまへ。
当事者会のボランティアをしていると、結構な頻度でこのような相談が出る。
「軽躁状態を維持させたい」
軽躁とは、文字通り軽い躁だ。明るく活発でやや大胆な行動はあるが、暴言暴力はない。法や社会規範の逸脱もない、一見『明るい普通の人』もしくは『デキル人』にも見える状態である。
いいことづくめのようだが、問題がある。
この状態は1、2カ月といった短い期間で躁に振り切れるか鬱に落ちるか、いずれにせよ悪い方に傾く。だからどんなに周りから賞賛を得ようとも、その周囲から問題視される存在になってしまうのである。
――うんまあ、困った人と思われるのは嫌だよね。
だからって、いつもの自分より理性薄目の状態を維持するのもどうかと思うけど。脳がボロボロになりまっせ。
そもそもが病気なんである。そんな不安定な状況に頼るなんて、高熱出てるのに「寒くないから!」と雪山を走り回るようなものだ。いや寒いんだよ、錯覚してるだけで。
ここからは、私の考えなんだけど。
躁とか鬱とかで、能力に差は出ないと思うんだよね。
だって、インプットした分しかアウトプットできないでしょ。「軽躁になるとアイデアがポンポン湧いてくる」って人もいるけど、きっとその人は必要に迫られれば鬱でもアイデアが出ると思う。速度は遅いかもしれないが、躁の時と同じだけの知恵と知識が頭には詰まっているはずだから。
それよりは、双極を『体の病』と捉え直して、能力の上下とは分けて考えると楽になるのでは、と私は思う。
ぶっちゃけ、双極は脳という臓器の不調だ。脳細胞が壊れるとか、そういう病気ではない。だから記憶は取り出しにくくなっているだけで、ちゃんと残っている。
ありきたりだが、多めの睡眠だとか、しっかり休息だとか、栄養ある食事だとか、そういうことを続けていれば回復に向かうだろう。波が出たとしても、小さくなっていくだろう。
とはいえ。ここで予防線を張っておくが、この病気はまだほとんど解明されていない。私が言ったことも、正しいとは限らない。
ただ私は、こう考えるようになって楽になった、というだけだ、
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