MCバトルと躁うつ病

 最近、MCバトルにハマっている。

 その中で、晋平太という人に引き込まれた。


 MCバトルをする人の大半は、ものすごく口が悪い。放送コードに引っかかる言葉を吐いて、全力で相手の心を折ろうと必死だ。

 だけど一部の人々は、普通の言葉やきれいな言葉で、争いではない言葉で戦う。晋平太という人はどちらかといえば後者で、自分を鼓舞して戦うスタイルだった。その人柄や能力で、多くの後輩からも慕われていた。


 最近のバトルが動画に上がったので、私はワクワクして動画を開いた。

 晋平太はバトルの導入部で、いきなり下ネタに走った。へぇ、晋平太も下ネタ言うんだなぁと眺めていたら、対戦相手のミステリオがいきなり怒鳴りつけてきた。


「おい、2年前に躁鬱なって、いろんな人に迷惑かけたよな!お前、また同じになっとるぞ!」

 ――は?晋平太って双極(=躁うつ病)やったん!?

 双極でバトルとかやってるの、相当まずくない!?


 ミステリオが続ける。

「あの時の晋平太に戻ってくれ、戻ってこい!」

 もう、バトルではなかった。尺はあっているがリズムが取れてない、ミステリオは試合を捨てて訴えているように見えた。その姿は相方を看病していた私に重なり、目頭から涙が押し出されそうになった。

 しかし、それに対する晋平太のアンサーも凄かった。

「俺は不死鳥のようによみがえった、落ち込んだ自分から這い上がった、もう過去には戻りたくない」

 バースだとかライムだとかよくわからないけど、晋平太の勢いはもう神がかっていた。創造性の塊だ、圧倒的な語彙力だ。ミステリオは呆然と晋平太を見つめ、オーディエンスはその素晴らしきパフォーマンスに歓声を送った。私も、さっきの涙が本当にこぼれそうになった。

 勝敗は明らかだった。晋平太への拍手は惜しみなく会場に響いた。




 ……この試合は、『晋平太、ミステリオ』で検索すれば動画が出てくるから見て欲しい。本当に素晴らしかった。



 ただ、な。

 冷静になって考えると、同じ病気の人間としてどうしても言いたいことがある。

 躁と鬱って分け方、間違ってると思うんですよね。

 私は、私自身も双極で、うちの相方も双極なんだけど、互いに世間的イメージである躁(無謀ポジティブ)とうつ(根暗ネガティブ)がないんですよ。


 うちの相方は、躁っぽいときもうつっぽい時も、同じように判断力が落ちる。疑問形の会話が増えて、脈絡がなくなって、切れやすくなる。違いといえば、うつの時だけ体が動かなくなったり、腰痛を訴えるようになるくらい。あと幼児がえりするかな。


 私の場合も、躁でもうつでも言葉が出なくなったり、うっかりミスが増えたりという感じ。まあ、躁になると多弁ぎみにはなる。

 だけどお金を無意味に使うのは一生通して嫌いだし、暴言暴力もめったに出ない。やったことはあるけど、お医者さんによると「それは躁じゃなくて、人間として当たり前の範囲」らしい。

 つまり『躁もうつもない躁うつ病』なのですよ。

 それなのに、ちょっとした態度の差を見て「躁ちゃうか!」って騒ぐのは、なんか違わないかなぁ……そもそも、舞台の上なんてハイになって当然だしさ……。


 あとね。躁ってのを理解したばかりの一般人にとって、ハイテンションの当事者って本当に怖い。だって、何かの拍子に優しさがログアウトしちゃうし、それを叱ったその次には死のうとしたりするし、振り回されちゃう。私も相方のそういうところは警戒しちゃうけど、ある程度の躁は受け入れたほうがいいんじゃないかな、と。

 だって、躁っていうのは理性が飛んでいるだけで、その人は案外考えてたりするから。ちゃんとした考えを「躁だからダメ!」と叱りつけるのは、相手の尊厳を傷つけることじゃないんかい……?


 この病気は本当に研究が進んでなくて、人それぞれ症状も違って難しい。それでも「これだけは本当の自分」というのを理解して、自分を含めた当事者には理想通りの人生を送ってほしい、送りたいものですね。



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