苦しみを手放せば、幸せはきっと手に入る。
私には、どうしても伝えたい事がある。精神障害者も健常者も関係なく、苦しんでいる人を見ると言いたくなる言葉がある。
私たちは、願った通りに動けば必ず幸せになれる。失敗したって罪を犯したって、後悔しながらでも罪を償いながらでも、幸せになれる。
幸せになりたいという人は、大抵苦しみを手放していない。例えば理解のない親だとか、人間関係が辛い会社だとか、違和感のある自分自身だとか。『普通じゃない自分が悪いのだ』と、自分を戒め耐える事に固執する。
こういう人のいう『普通』とは、結局『夢』じゃないかと思う。親がいつか理解してくれる夢。いやな同僚や上司が異動になる夢。自分からも他人からも、違和感が消えてなくなる夢。
だけど、夢は所詮夢なのだ。物事を自分の理想通りに変えるなら、自分から動かないと苦しみは消せない。神に祈る人もいるだろうけど、神は見守るだけで事は起こしてくれない。
目を閉じて現実逃避しているだけでは、いつか更なる苦しみが現れる。ちゃんと目を開けて日常を生きるなら、苦しみと縁を切る方が断然楽だ。
自分でも偉そうなことを言っているのは分かっている。だけど、色々諦めて耐えている人を見るのは辛い。
助けてという声すら飲み込んでいる人には、素直に叫べと言いたい。義理や人情に縛られている人には、いつまで封建主義引きずってんだと言ってやりたい。自分を弱者だと嘆く人には、強くなれる場所に行けと手を引きたい。
私は、本当の意味で『正しい』とか『間違い』というものは、この世に存在しないと思っている。ましてや道徳なんて、世代ごとにまるっきり変わっている。
ならば、どんな方法でもいいじゃないか。何をやったところで、必ず誰かは理解してくれる。耐えて忍んで無駄な時間を過ごすよりは、思いついた方法で辛さを捨ててしまえばいい。多少の反動はくるけれど、それだけだ。
私は、親から逃げた。
虐待されていたのが原因だが、それでも「親孝行はしろ」と説教する人がいて辛い。
私はその言葉に揺れながら、それでも親になじられない日々を幸せに過ごしている。良心の呵責をはるかにしのぐ、穏やかな日々に満足している。
後悔もある、懺悔もある。
だけど、平行して大きな幸せも感じられる。
それでいいじゃないか。世界をゼロかイチかで判断していたら、永遠にゼロしかない。ならば、0.5だけでも幸せになろうよ。完璧に幸せな人だって、この世にはいないんだからさ。
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