15 マンスーラの戦い
マンスーラの城門を、疾風のようにアルトワ伯ロベールとその軍はくぐりぬけていった。
城門からつづく道は、そのまま目抜き通りとなっている。そしてその先は、仮の王宮となっている
そこへちょうど、ポワチエ伯アルフォンスの軍勢が追いつき、合流を果たした。
「ロベール兄さん、やっと追いついた……退く、というのは今さらできないか」
「そうだな、折角来てもらって悪いが、アイユーブ朝の王宮はもう、目と鼻の先だ。これを叩かないという法は無い」
そして、フランスの王弟ふたりが見つめる先に、その屋敷はあった。
「見えたぞ! 目指すはあの邸ぞ!」
ロベールは勇躍して馬を馳せた。アルフォンスはあきらめたように
「これより、われら十字軍の先手として、アイユーブ朝の王宮を
アルトワ伯とポワチエ伯双方の軍勢から
……そして、その背後で、静かに城門が閉じていき、前方しか見ていない十字軍にそれは気づかれることは無かった。
*
「よし、アルトワ伯ロベールとポワチエ伯アルフォンスの軍勢が入城した! 南のカラーウーンに烽火の合図を! そして城門を閉じよ!」
命令一下。
城門の砦の兵たちが、ゆっくりと城門を閉じる。バイバルス率いるマムルークが周囲を警戒する。入城した十字軍は気づく様子はない。あとは、後詰めにあたっているアンジュー伯シャルルだが、これも遠目が利く兵がいないのか、気づかれる模様はない。
「……しかし、あのアンジュー伯だ。気づかれるのは時間の問題だろう」
それまでに事を決する必要がある。バイバルスは、城門の砦の兵に、アンジュー伯の軍勢が来たら、すぐさま教えるように伝え、麾下のマムルークを集めた。
「よいか! 今、このマンスーラに
おお、というマムルークたちの喊声にうなずき、バイバルスは騎乗し、進発した。
同じ頃、南側のカラーウーンも同様に進発した。
……ただし、ホラズムの傭兵を伴って。
*
シャジャル・アッ=ドゥッルは、仮の王宮とした
「……来たか」
かたわらの、白布に包まれた夫の遺骸を前に、シャジャルは立ち上がった。
「……さて、
邸に侵入した十字軍がいるらしい。怒号と悲鳴が聞こえてくる。
「もし……やってのけたとしたら、次の夫は、彼のマムルークになるか」
シャジャルはまるで他人事のように、ひとりごちた。
剣を取る。
室内に、西洋の騎士の甲冑をつけた男が乱入して来る。
剣を振った。
騎士は、絶叫を上げて首筋から血を噴出させる。
侍女や侍従が槍を持って駆けつけ、騎士にとどめを刺す。
シャジャルはその光景を冷めた目で眺めながら、ふと、何かを思い出したようにつぶやいた。
「……いや、そういえば彼のマムルークには、師と仰ぐ女がおったな。妾の出番はないか」
そのとき始めて、シャジャルは笑った。目の前の惨劇より、自分がゼノビアとバイバルスを取り合うという喜劇を想像した方が、よほど心を動かされた。
*
邸の前では、ロベールは直属の兵たちに突撃を命じ、その報告を今か今かと待ち望んでいた。
「ええい、こうなれば、おれ自ら突入するか」
邸内から響く叫び声が聞こえるたびに、一喜一憂するのがもどかしく、ロベールは
「伝令! 現在、マンスーラの城門がすべて閉じられている模様! これは敵……ぐわっ」
その団員は、現在進行形の襲撃を伝えるかたちで命を終えた。
ロベールが振り向くと、血刀を振り下げたマムルークたちが、喚き声を上げて
バイバルス・アル=ブンドクダーリー。
「……図りおったな!」
「その王宮の中に、本当に王妃がいると思うか?」
「何だと貴様!」
ロベールは咆哮した。決死の突入をした上に、そのような詐術まで施されていたとあっては、騎士としての面目が立たぬ。
バイバルスとしては、もちろん詐術であるとしか言えない。今の台詞がだ。
もしこの場に、アンジュー伯シャルルがいれば、その欺瞞を看破できたかもしれない。そして、ポワチエ伯アルフォンスに余裕があれば、やはり不審を抱いたやもしれない。だが、アルフォンスの方にも、今、カラーウーンが攻めかかっており、そのような余裕は皆無だった。
そしてバイバルスも、ロベールにこれ以上考える
「かかれ! 悪しき侵略者を討ち取れ!」
ロベールとしても、ここで譲るわけにはいかない。たとい王妃が
「なめるなよ、異教徒ども! 貴様らこそ悪と知るがいい!」
豪風と旋風。
打撃と斬撃。
火花を弾き飛ばしながら、ロベールとバイバルスは、互いに後方へ跳んだ。
衝撃を殺すためである。
「王弟殿下を守り参らせよ!」
「将軍にばかり手柄を立てさせるな!」
ロベールの背後から騎士たちが、バイバルスの両脇からマムルークたちが、ひしめき合って出て来て、双方ともぶつかり合った。
乱戦である。
*
アイユーブ朝、王妃シャジャルの座す仮の王宮の邸を囲むかたちであった、ロベールとアルフォンスは、今や、さらに囲まれるかたちで、バイバルスとカラーウーンに包囲攻撃を受けていた。手をつかねて受け身にされるがままにはならず、ロベールとアルフォンスは逆撃を食らわせてはいたが、それがじり貧であることは明白だった。
こうなった以上、ロベールとアルフォンスの頭にあるのは、後詰めに残ったシャルルがこのマンスーラに攻め入ってくれることだった。が、城門が閉じられているのを、先ほど聞いたばかりだ。
「アルフォンス!」
「どうした、兄さん。いくら
アルフォンスの
「おれが血路を開く。お前は、北の城門へ行き、門を開けろ!」
「なんだって!?」
「シャルルが来れば、勝てる! 案ずるな、おれの方が、お前より、強い!」
ロベールが
「今だ、行け!」
「兄さん!」
「時を争う! さすがのおれも、こんな芸当は二度とできん!」
「……分かった、
「おう!
アルフォンスは麾下の部隊と共に、北へ向かって走り去っていった。
安堵するロベールのかたわらに、ウィリアム・ロンジェスピーが駆け寄った。
「王弟殿下、お見事でござりまする」
「ふむ、貴国のリチャード
「……ふっ」
この期に及んで、イングランドの自分を立てる姿勢に、ウィリアムは王者の気風を感じた。それゆえに、何としてもこの王弟を生かさねば、と剣を握るのであった。
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