16 決着

 アルフォンスは決死の突撃で包囲網を突破し、目抜き通りをひた走る。

 背後から、カラーウーンとその部隊が追いすがる。


「……逃がすか!」

「……今は逃げよ! 逃げることこそが、勝利への道である!」


 カラーウーンの追撃をかわし、アルフォンスはようやく、その目にマンスーラの北の城門を捉えた。


「ここは私が食い止める! 諸君は城門を!」


 アルフォンスは馬上、抜剣しながら、馬首を返して、カラーウーンに向き合う。

 交錯する長剣ロングソード三日月刀シャムシール

 刃鳴りが響く。

 金属が噛み合う。

 叫びと怒号。


「主よ! 守らせたまえ!」

「往生際が悪いんだよ!」


 予期せぬ一騎打ちに、騎士もマムルークも、手出しができない。


「…………」

「…………」


 鍔迫り合いの中、アルフォンスがちらりと背後に目を向けると、部下の一人がうなずいた。それを見たアルフォンスは、思い切って馬から飛び降りる。

 カラーウーンが平衡を崩すのをこらえるのをしり目に、アルフォンスは城門へ走る。

 城門が少しづつ、ゆっくりと開いていく。


「私が殿軍しんがりを務める! 急ぎ、城外へ脱出せよ!」


 アルフォンスは髪を振り乱しながら剣を振り、部下の最後の一兵まで脱出したのを見届けたあと、おもむろに、飛び込むように城外へ出た。


「行くぞ! シャルルのいるところまで!」


 ……アルフォンスは急ぎ弟の元へ駆けつけることに精一杯で気づかなかった。城門が再び閉じられることを。



 カラーウーンは三日月刀シャムシールをくるくると回しながら鞘に納めた。


「……行ったな。では、城門を閉じよ!」


 敵兵の数を、可能な限り減じる。

 それがバイバルスの基本戦略である。

 城門の守りを薄くしておき、わざと城外へと出す。城外の後詰めと合流して、再度襲いかかって来るだろうが、それまでにを終わらせ、防禦に徹する。

 さすれば、十字軍の兵は、遠き異国の地、しかも聖地エルサレムではない土地で死んでいくことに耐えられなくなる。

 これまで、ダミエッタの無血占領や、ナイル渡河による奇襲など、常勝かつ不敗であった十字軍だが、敗けるとどうなるか――そこに考えを及ばせたバイバルスの、必死の策であった。


「……だが、ここでアルトワ伯を討ち取れないと、意味が無いぞ、バイバルス」


 カラーウーンのそのつぶやきに反応したのか、それまで彼に従っていたホラズムの傭兵たちが、静かに移動を始めた――王宮前、バイバルスとロベールの血戦の場へ。



 槌矛メイス三日月刀シャムシールの舞う戦場は、ロベールとバイバルスのみ許された場所だった。

 仮王宮を前に、ロベールが怪鳥のごとき叫び声を上げて、槌矛を振るう。対するや、バイバルスは、その槌矛の一撃をくぐり抜け、ロベールの懐に入り、三日月刀を振り上げる。

 一閃。

 回転。

 ロベールは槌矛を捨てて、もんどり打って、バイバルスの斬撃を避けた。

 距離を取り、長剣ロングソードを抜く。

 長剣と三日月刀が衝突し、そのままロベールとバイバルスは鍔迫り合いに入った。


「ロベール殿下!」


 見かねたウィリアム・ロンジェスピーが剣を抜いて、ロベールの助太刀に入った。咄嗟にバイバルスは懐の短剣を取り出して投擲する。が、体勢を崩してしまう。

 周囲のマムルークたちも、騎士たちの相手で手一杯で、援護に向かえない。


「取った!」


 ロベールは一歩、踏み込む。卑怯ではあるが、異教徒に対して手を緩めない、というのは騎士道には反していないし、バイバルスもまた、戦場において、この程度のことはわきまえていた。

 苦し紛れに、転がっていたロベールの槌矛を蹴って、抵抗する。

 ロベールがそれを跳ねて避ける。


「無駄なあがきよ!」


 跳ねた勢いで、ロベールはそのまま長剣を振りかぶり、バイバルスの頭蓋を狙った。バイバルスは死を覚悟した。


 長剣が。

 鋭く。

 速く。

 振り下ろされ。

 衝突音が。


「砕い……何ッ!?」


 ロベールの長剣を、バイバルスの横合いから突如出てきた槍が防いだ。


「やはりお前は不肖の弟子だ……最後まであきらめるなと教えたはずだ」


 槍を持つ繊手が、震えながらも衝撃に耐えている。その手をバイバルスが握った。


「手数をかける……ゼノビア」

「まったく……ふつうは逆だぞ、は」


 美女の危機を勇者が救うのが常だ、とこぼしながらもゼノビアは、バイバルスと息を合わせ、二人分の力で、槍を思いきり突き上げる。


「……ぐっ」


 長剣を持っていかれるのをこらえ、ロベールはかろうじて踏みとどまった。そこへバイバルスが、槍から手を離しざまに、三日月刀を突き入れる。


「殿下!」

「おっと、お前の相手はわたしだ、ウィリアム・ロンジェスピー」


 ウィリアムの接近を、ゼノビアの槍が押しとどめる。


女人にょにんの相手はちと心苦しいが、許されよ、レディ」

「御免あそばせ、とでも申しておけば良いか、サー?」


 ゼノビアのイングランド語のに、ウィリアムは斬撃をもってこたえた。

 ゼノビアもまた、槍を回転させながら振り下ろし、斬撃を弾く。


「……何、この女、つ……強い!?」

「当たり前だ。ホラズムに勝てるのはモンゴルぐらいだ」


 そしてそのモンゴルを倒す前に、貴様ら十字軍フランクから倒してやる、とゼノビアが息巻く。

 振り返ると、バイバルスがロベールと剣戟を繰り広げている。先ほどよりも押していると思うのは贔屓目だろうか。


「主よ!」

「偉大なる神よ!」


 互いの神への祈りがかけ声となり、バイバルスとロベールは、もう何度目かになる激突をした。

 三日月のかたちをした刃が、横ぎにぐ。

 長剣はまっすぐに振り下ろされる。

 バイバルスが吼え、ロベールが唸る。

 三日月の円弧が、長剣の直線を斬った。


「……ぐはっ」


 叩き斬られた長剣ごと、ロベールは転がっていく。

 騎士たちがどよめき、そしてロベールをかばうように囲む。


「ロベール殿下!」


 ウィリアムがロベールの方に駆け寄ろうとするが、ゼノビアの槍が一閃して、その足をえぐった。

 たまらずうずくまるウィリアムに、ゼノビアの二撃目が閃く。


「ウィリアム卿!」


 ロベールが騎士たちの助けを借りて立ち上がると、哀れなウィリアムの首が転がっていく光景が見えた。


「おのれ……」


 怒りと屈辱に打ち震えるロベールだが、突進してくるバイバルスの背後に、ゼノビアも槍を繰り出してくる姿を見て、この場を逃げる必要を感じた。よく見ると、城門の方から、先ほどのカラーウーンとかいう分隊長の部隊が戻ってくるのが分かる。


「皆の者! 散れ! 逃げよ!」


 ロベールは場から逃げるように、騎士たちに命令した。そして自らも、長剣をバイバルスに向けて投擲して、そのまま振り返って、脇目もふらずにマンスーラの街中へと疾駆していった。

 むろん、美々しい甲冑をまとった大男であるロベールは目立つ。目立つが、それが仲間たちを逃がすことにつながるとロベールは信じた。


「追え!」


 ロベールの長剣を、ゼノビアの槍が叩き落とすのを横目で見ながら、バイバルスはマムルークたちに命令を下した。

 マムルークは逃げ遅れた騎士たちを掃討しながら、ロベールらの行く手に向かった。

 気づくと、カラーウーンの部隊、そして、ベルケの率いるホラズム傭兵らも、王宮前に集結してきていた。

 ロベールがこの場から逃げたのは正しい。正しいが、それは十字軍がこのマンスーラにて、組織的な抵抗をあきらめたということである。


「……ふぅ」


 肩で息をしながら、バイバルスはようやく、気を抜くことができた。その隣に、緑色の瞳の女が立つ。


「……何で来たんだ?」

「今さら聞くか?」


 ゼノビアの返しに、バイバルスは苦笑した。そして、そのとき、これまでの疲れがどっと襲ってきた。

 膝をつきそうになる。

 その腕を、ゼノビアが抱えて、支える。


「……すまん」

「殊勝ではないか。だが、この貸しは高くつくぞ」


 一生ものだ、とゼノビアは付け加えた。

 バイバルスは何も言わなかった。

 それが否定か、肯定か。

 ただ史書には、このあと、紆余曲折があって、やがて国王スルタンとなったバイバルスのきさきは、ホラズムの長、ベルケ・ハーンの娘であったと記されている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る