07 フランス王と兄弟たち

 秘匿を旨としたアイユーブ朝エジプトの国王スルタン崩御だが、それはあっさりと十字軍の陣営に知られることになった。

 フランス王国のアンジュー伯シャルル(シャルル・ダンジュー)による諜報活動が功を奏したのである。

 シャルルは精力的にダミエッタ現地の協力者を募り、組織し、一大諜報網を作り上げた。


「従来の、教皇庁主導や、複数国の連合の十字軍ではできなかった」


 そうシャルルは述懐する。枢機卿ペラギウスの専権の目立った第五回十字軍では、回教徒イスラムの人間の協力などとされたろうし、それ以前の、たとえば英仏の連合による十字軍では、どちらがその汚れ仕事をやるかで揉めただろう。

 第七回十字軍は、フランスほぼ一国の、独力による十字軍とならざるを得なかった(他のヨーロッパ諸国に余裕が無かった)という事情があるが、それゆえにこそ、指揮系統がフランスを中心に統一されるというメリットがあった。

 後年はさておき、現時点ではシャルルは、兄であるフランス国王ルイ九世を「地中海帝国」の皇帝に祭り上げたのちは、エルサレムの王となって、オリエントに覇業を唱える予定であり、そのためにも諜報網は必須と思われた。


「とにかく、情報を集めろ。金銭かねに糸目をつけるな」


 シャルルは情報を二重三重に積み重ね上げ、そうした結果、浮き彫りになってきたアイユーブ朝エジプトの首脳陣の動向を、徐々に把握していった。


「王子トゥーラーン・シャーはイラクにて対モンゴルの牽制に従事しているところを召還。その交代役は、バフリー・マムルークの長たるアクターイ」


 ルイ九世の居室にて、シャルルは己の集めた情報から導かれた結論を披歴ひれきした。

 その部屋には、ルイ九世のほか、王弟・アルトワ伯ロベール、シャンパーニュ伯重臣セネシャルジャン・ド・ジョアンヴィル、イングランドから派遣されたウィリアム・ロンジェスピーである。

 ルイ九世がうなずいたのを見て、シャルルは話をつづける。


「……ひるがえって、エジプトの国王サーリフの親征軍に不穏の動きあり。ファフルッディーン・ユースフ将軍の更迭は無し。そして、バフリー・マムルークの副隊長たるバイバルスへの、十字軍討伐の勅命」


 ロベールの視線が強くなる。彼は、自身の調査でバイバルスへの警戒を抱いていた。最近、ロベールと接近して、その副将と言えるまでの立場となっていたウィリアムも、腕を組んで、じろりとシャルルを睨んだ。シャルルではなく、シャルルを通して、この場に居ないバイバルスへの敵意を高めたのだ。

 シャルルは苦笑しながらウィリアムの視線をかわすと、肝心要の報告事項を口にした。


「そして……不確定ながらも、私自身は確定だと思っているが……おそらく、国王サーリフは亡くなっています」


 ジャンが思わず卓をたたくようにして立ち上がった。ルイ九世は彼の腕に優しく触れて、座るよう促す。ジャンは赤面して、静かに座り直した。

 うなずきながら、ルイ九世は発言した。


「シャルルよ」

「何でしょう、陛下」


 会議の場ではあくまで主君であり、そう言葉を使うシャルルである。


「汝がと思う根拠は何か」

「左様」


 シャルルが懐中から一葉の紙を取り出す。


「これは、先日、国王サーリフからダマスカスへ向けて発せられた勅書です」

「……奪ったのか」

「いえ。勅書を受け取った相手からのです」

「…………」


 ルイ九世は内心、シャルルの手腕に舌を巻いたが、この末弟は調子に乗るところがあるので、敢えて押し黙っていた。

 シャルルはそんなルイ九世の心中を知ってか知らずか、微笑を浮かべながら、そのを会議の面々に回す。


「……で、これは偽書です」

「偽書!?」


 一同がうめくが、彼らはアラビア語がわからないので、それ以上は何とも言えなかった。


「よく似せてはあるのですが、前年の勅書と比較すると、どうしても筆跡がちがう箇所があります」


 シャルルはもう一葉の紙を取り出すと、さきほどの勅書とならべた。


「……定期の時候の挨拶を含んでいるので、そのあたりが分かり易いかと。で、結論から申し上げますと、ここまで偽装工作を行える、エジプトにおける人物は、王妃シャジャル・アッ=ドゥッルをおいて他なりません」

「シャジャル・アッ=ドゥッル……」


 真珠の樹、という意味の名です、とシャルルは付け加えた。

 この時、ルイ九世以下、フランス王国の武将たちにおいて、女だから、という発想は無い。他ならぬルイ九世の母であるブランシュ・ド・カスティーユにしてからが、かつて夫・ルイ八世(獅子王リオン)に成り代わってフランス国政を取り仕切っており、こうしている今もなお、フランス本国において摂政として辣腕を振るっている。


「……むしろ、油断できない人物が王位に就いた、とでも考えるべきかな」


 ルイ九世は眉根を寄せる。シャルルの調べが無ければ指摘できなかったぐらい、アイユーブ朝エジプトは国王サーリフがいるものとして粛々と活動している。つまり、シャジャルは、それだけ亡夫の死を隠し、かつ、亡夫と同様の治政を行えている、それが可能な人物であるという証なのだ。


「兄者、やはり攻めよう。ナイルも減水してきている」


 ロベールはシャジャルの手腕を認めながらも、やはり不安定さは否めないとして、機を逃がしたくないと述べた。


「その女王の政権が安定してしまったら、目も当てられんぞ」

「そうだな……」


 ルイ九世としても、バイバルスがバフリー・マムルークを掌握してからの、たび重なるゲリラ戦に悩まされており、このあたりでそろそろを軍を動かして、新たな拠点を制圧するなり、ゲリラ部隊=マムルークの根本を断つなり、する必要に迫られていた。


「ふむ……」


 しかし、今攻めても勝てるのか。ルイ九世は、母后ブランシュをはじめとして、多くの重臣からの反対を押し切り、この十字軍を推進してきたという経緯がある。万が一、失敗してしまったらと思うと、慎重にならざるを得ない。


「そういえば兄者」

「なんだ」

「アルフォンスがキプロスからそろそろやってくるとのことだ」

「なんと」


 ポワチエ伯アルフォンス。

 ルイ九世とロベールの弟であり、シャルルからすると兄にあたる。

 ルイ九世の腹心であり、このとき、キプロスから予備兵力および兵糧等の物資をダミエッタにもたらすために渡海してきたのである。

 さすがのルイ九世も喜色をあらわにして立ち上がった。


「……機は熟した、といったところか」


 アルフォンスがダミエッタに至れば、兵力も増強され、何より、最近不足がちになって悩まされていた兵糧、物資の問題が解消される。


「しかし……逆に、アルフォンスのもたらした補給の分がつ間に、事を決せねばなるまい」


 ルイ九世はすぐに冷静に立ち返り、兵糧物資の問題の解消が一時的であることに思い至った。アイユーブ朝エジプトの有形無形の妨害により、周辺の農地や漁場からの食糧の運搬も滞っている。それをせねば、たとえ兵糧が得られたとしても、その時だけのものであり、今後も同様、というわけにはいかないだろう。

 ロベールは片手で佩剣の柄を握りながら、片手の拳を振るう。


「今このときこそ、アイユーブ朝エジプトを倒すべき。兄者、カイロをこう」


 シャルルもまた、両手を広げて、注目を集めてから、言った。


「カイロへの征路はお任せ下さい。すでに、ナイルの浅瀬をいくつか調べさせております」


 ルイ九世は目を閉じて、今一度、彼我の状況を分析し、そしてそれが終わると、目を開けた。


「……よし。では、征こう。諸侯に告げよ、ポワチエ伯アルフォンスの到着をもって、カイロへの進軍を開始する、と」


 おお、と会議の一同は感嘆の声をもらし、そしていち早く麾下の将兵へ伝えるべく、部屋から出ていくのであった。

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