01 聖王ルイ

 ダミエッタは第五回十字軍において、キリスト教・十字軍とイスラム教・アイユーブ朝の間で争奪戦が繰り広げられたことがある。

 アイユーブ朝としても、ルイ九世の第七回十字軍の情報を掴んでおり、守将として、ファフルッディーン・ユースフを配置していた。しかし、ファフルッディーンは上陸する十字軍に対して何ら攻撃を仕掛けず、それどころか退却してしまった。


「……あっけないものだな」


 ルイ九世としては、第五回十字軍に匹敵する激戦を予想していたが、アイユーブ朝のまさかの退却に拍子抜けした。しかし、この機を逃さず、武勇に誇る王弟・アルトワ伯ロベールに命じて、ダミエッタを占領した。

 洋上、旗艦にて待機していたルイ九世は、末弟アンジュー伯シャルル(シャルル・ダンジュー)から、ロベールからの知らせを聞いた。


「兄上、ロベール兄上から知らせが」

「ダミエッタ、もう手中にしたか」


 ロベールからの占領を終えたとの知らせを聞き、ルイ九世は早速、シャルルを伴って、ダミエッタの街へと向かった。


 ……街は恐慌状態に陥っていた。

 本来、街を守護すべきアイユーブ朝のファフルッディーンの軍がいなくなったのだ。当然、身の安全を確保したいダミエッタの人々は、我先にと逃げ出した。富裕な、余裕のある者が特に。

 そのような状態のダミエッタを、ロベールは易々と占領し、十字軍本営として街一番の豪商のやしきを確保していた。


いくさの字もなかった」


 ロベールはどちらかというと残念そうに、そう述懐した。彼は、この遠征の成功の暁には、エジプト王に擬せられている。

 そのため、その武勇をエジプトの民に示す絶好の機会を奪われたように感じ、歎じていたのだ。


「無血占領というのも、ひとつのいさおし。そう塞ぐものではない」


 ルイ九世は弟の覇気を愛し、そう労った。


「ありがたきお言葉なれど、おれには兄者のような大略がないゆえ、ここで……と」

「予のこたびの戦略のことか? 別にこれまでの十字軍のやり方を模倣したまで」


 エルサレム攻略のために、敢えてその支配者たるアイユーブ朝の本拠・エジプトに侵攻するというのは、第五回十字軍が実行している。


「……謙遜するな、兄者。いかにおれとて、こたびの十字軍が、その第五回十字軍とはことぐらい分かる……たとえば、アルビジョア十字軍への対策であることとか」

「…………」


 ルイ九世の祖父フィリップ尊厳王オーギュストの頃から、フランスは南部にキリスト教アルビ派が勃興し、それを異端として鎮圧するとしてアルビジョア十字軍が結成された。ルイ九世の治政の初期には終結したが、フランスの南部と北部に隔意を、そして本来は異教徒に対するはずの十字軍を自国に対して行なったという忸怩たる思いを国内にもたらした。

 ルイ九世としては、国内の意思統一と、内乱に十字軍を利用したという悔恨を晴らすため、本来あるべき十字軍のに出たのである。

 むろん、外征の目的はそれだけではない。


 ルイ九世の末弟シャルル。アンジュ―伯シャルルが、ダミエッタの街の物見から帰ってきた。

 アンジュー伯シャルル。

 シャルル・ダンジューとして歴史の教科書に載ることになる人物である。彼はのちにシチリア国王となり、そこを軸として地中海帝国を建てようとした野心的な人物である。しかし、その野心は、「シチリアの晩祷」事件という住民叛乱を契機に、もろくも崩れ去ることになる。そしてそれによって、後世の歴史の教科書に載るという皮肉な結果に終わる。だがそのような未来を予見できる者はなく、シャルルは今、野心溢れる若者であり、兄たちから可愛がられていた。


「……して、モンゴルは、果たして回教徒イスラムを挟撃する旨、了承してくれるだろうか」

「いや、それは無理です兄上。プラノ・カルピニへの、かのモンゴルの回答、ご存じでござろう」


 ローマ教皇もまた、モンゴルを回教徒イスラム攻撃に利用するべく、修道士プラノ・カルピニをモンゴルへ向けて派していたが、その回答はすげないもので、モンゴルへの臣従と教皇自身に出頭をいた。


「ですから兄上、モンゴルについては、回教徒イスラムへの圧力として利用するにとどまりましょう」

「……そうだな」


 ルイ九世とて、モンゴルがはいそうですかと援軍を派遣してくるとは思わない。モンゴルにはモンゴルの思惑があろう。しかも、かなりの精強さと横柄さをあわせ持つ相手だ。生半可な条件では、出てくるまい。


「やはり当初の狙いどおり、回教徒イスラムへは、モンゴルとの提携をちらつかせるのみとする。むしろ、モンゴルは出てこないほうが、今後の都合が良いだろうしな」


 のちに聖人として列聖されるルイ九世であるが、彼とて為政者である。覇道というものをわきまえていた。

 十字軍としてエジプトへ征き、エジプトを征服する。しかるのちに、ロベールをエジプト王とし、エルサレムにはシャルルを王として入れる。そして、フランス本国には、現在キプロスにて駐留中の弟、ポワチエ伯アルフォンスに任せる。

 これらを完遂したのちは、ルイ九世自身は、エジプト、エルサレム、フランスを統括する立場になろうと考えていた。この構想は皮肉にも、末弟シャルル・ダンジューが企図して挫折した地中海帝国の構想とよく似ていた。いやむしろ、シャルルがこのルイ九世の企図を模倣したのかもしれない。


「エジプトを制すれば、エルサレムをれる。すなわち、東地中海レヴァントはわれわれのものとなる。さすれば、ヴェネツィアやジェノヴァの商人どもに介入されず、貿易を行うことができる」


 ルイ九世は確認するかのように、ひとりごちる。ロベールは力強くうなずく。シャルルもまた、一礼し、そして彼はダミエッタの街を見ると、邸から出ていくのであった。

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