2. 魔導書にも編集者が要る

「先生のために書斎も用意してあるんだよ」


 そう言ってマキナ姫は僕を砦の三階の奥に案内してくれた。


 ……魔導書なんて書けないと言ったはずなのに、なんか書く流れになっているのはなぜだろう。女の子に懇願されてきっぱり断れない僕の情けなさのせいか。


 通されたのは殺風景な部屋で、奥の壁に押しつけられたベッドと小さなデスク、部屋の真ん中のテーブルと椅子六脚の他はなにもなかった。お世辞にも書斎とは呼べない。デスクの椅子が布張りでまあまあ座り心地がよさそうなのが執筆場所としての気遣いを一応感じる。


 しかしそんな気遣いをされたところで。


「あの、僕、何度も言ってるけどただの小説家なので、魔導書とか言われても」


「大丈夫、先生はいつものように文章を書くだけでいいんだ。それを魔導書の形に仕上げるのは魔導編纂士がやってくれるから」


 まどうへんさんし?


 そのときタイミング良くドアにノックの音がした。


「殿下、遅くなりました」


 そう言って入ってきたのは、ぴったりと身体のラインが出る白い法衣を着た若い女性だった。僕は彼女の顔を見て口をあんぐり開けて固まった。


 マキナが僕と彼女の間に視線を渡して言う。


「マヒロ先生、こちらが編纂士のコキリだ」


「――霧子さんッ?」


 僕の声がでかすぎたのか、マキナはびくっとして後ずさった。当の霧子さん――に見える法衣の女性――は小さく首をかしげただけだった。


「コキリと申します。王立魔導院から派遣されました、魔導編纂士です」


 声も、冷然とした喋り方も、霧子さんそのものだった。


「……え、あ、あの、霧子さん? ですよね?」


 マキナも訝しげに僕らを見比べる。


「知っているのかい?」


「この方は先ほど召喚されてきたばかりなのでしょう。知るわけがありません」


 霧子さん――いや、コキリさん?――はにべもなく言った。


 よく似ているだけの他人? でも編纂士って、要するに編集者じゃないの? こんな偶然あるだろうか。あるいは『平行世界の同一人物』的なやつだろうか?


「テキストさえあれば、あとはわたしが魔導書に仕上げますので、国枝さんは執筆に集中してください」


「ああ、ええと、あのう、書くとは言ってないんですが……」


 コキリさんは眉を少し持ち上げた。


「まだ覚悟を決めていないんですか? そんなだからあの人気スマホゲーのノベライズの仕事も後輩にとられたりするんですよ」


「やっぱり霧子さんですよねっ?」


「なにを言っているんですか。霧子? だれですかそれは」


「いやだって僕の仕事事情にえらい詳しいし名前もなんか似てるしっ」


「どこが似てるんです。わたしはコキリです。コキリと十回言ってみてください」


 なぜそんなことをしなければいけないんだ、と思いつつも。


「……こきりこきりこきりこきりこきりこきりこきりこきりこきりこきり」


「ほら、霧子なんかじゃ全然ないでしょう」


「十回中九回くらい霧子でしたけどっ?」


「マヒロ先生、編纂士がコキリではなにか不満なのかな……?」


 不安そうにマキナが訊いてくるので、僕は彼女の手を引いて部屋の外に連れ出した。


「あ、あのコキリさんって、僕と同じ外つ国から来た人でしょっ? そうだよねっ?」


 僕の剣幕にマキナは目を白黒させる。


「……わからない。王立魔導院は秘密主義なんだ。とくに、魔導書作成に関わる人間の情報はぼくら王族ですら手が出せない。魔術の解析につながってしまうから」


「ええええ……いや、ううん……」


「コキリになにか問題があるなら、べつの編纂士をつけるから……」


 マキナ姫は僕の二の腕をぎゅうっと握ってくる。こいつ、男性への接触に抵抗がなさ過ぎないか?


「お願いだ。ぼくのために魔導書を書いてくれ。先生しかいないんだ」


 すがるような目で言われると胸が痛むが、僕はマキナの手を乱暴にならないようにそうっと外し、訊ねた。


「あのさ、なんで僕なの? 書けそうな人もっと他にいるでしょ。なんか特定して召喚したみたいなこと言ってたけど、でも僕の名前も知らなかったし……」


「作品を読んで決めたんだよ、もちろん!」


 マキナは意気込んで答えた。


「外つ国の物語を何百冊と読んだんだ。『紅蓮術師アグニス 聖魔伝承』という一冊が飛び抜けていた。ぼくはもう心を奪われたよ」


 僕はマキナの視線を受け止めきれず、天井を仰いだ。


『紅蓮術師アグニス』。


 全然売れなくて三巻で終了した僕のデビューシリーズだ。

 この娘、僕の――読者だったのか。


「何度も夢中になって読んだ。文章からたしかに魔法が感じられたんだ。魔導書を書いてもらうならこの人しかないと確信できた。でも、なぜかペンネームが本のどこにも書いていなくてね。名前というのは魔術においてはとても重要なものだから、わからないと目標固定が難しくなるんだ。召喚にはずいぶん手間取ったよ」


「ああ、うん。ペンネームね……。それ、ペンネームなんだ……」


 僕が小声で言うとマキナは首をかしげる。羞恥で脳みそがねじ切れそうになりながらも説明する。


「だから、その、『聖魔伝承』てやつね。タイトルの一部じゃなくて、ペンネームなんだ」


 マキナの大きな目がさらに大きく見開かれた。その顔に様々な表情の予感が現れては消え、最終的にぴっかぴかの作り笑いに落ち着いた。


「そ、そうだったんだ。う、うん、作風にぴったりの名前だね!」


 慰めてくれなくていいよ……。応募時はかっこいいと思ってたんだよ……。ちなみに読み方は《きよ しよう》で一応人名っぽく読ませようとしているところがかえって救えない。

 日本の読者もタイトルの一部だと勘違いする人続出で、一時期は作品内容ではなくこのペンネームだけで話題になってしまった(とくに売り上げにはつながらないバズり方だったのがなおいっそう哀しい)。


 でも授賞式のときに例の先輩作家に「かっこいい! 絶対これでいけ!」と力説されて押し切られてしまって今さら変えられなくて……あああああ……。


「では、その、キヨマツ先生と呼んだ方がよかったのだろうか……?」


「マヒロでいいです! 本名でお願いします、ほんとに!」


「そ、そうか。わかった、マヒロ先生。……とにかく、ぼくは先生の本に心動かされて、ぜったいにこの人に書いてもらいたいと思って……だから先生がだめだからって、他の人なんて考えられなくて……」


 マキナの声はどんどんか細くなっていく。


 僕は彼女のすがりついてくるような目を直視できず、顔をそむけ、気づかれないように小さくため息をついた。


「……わかったよ。……書くよ」


 姫の顔は長雨の後の晴れ間みたいになる。


「ありがとう先生っ」


 さっそく書斎のドアを引き開け、僕の身体を中にぐいぐい押し戻す。


「それじゃあ詳しいことはコキリに聞いてくれ! ぼくは軍議に出るから!」


 風のように去るマキナ姫。


 取り残された僕は、気まずさを噛みしめながら霧子――いや、コキリさんを見やる。


「……ええと、その、そんなわけで、書くことになりました」


「そうですか。締め切りは明日、早朝です」


「早っ?」


 話も早ければ締め切りも早かった。


「あの、ちょっと待ってください、引き受けておいてなんですけど僕は魔導書なんて書いたことなくて、なにをすればいいのかもさっぱりで、それを明日までなんて」


「さんざん書いているじゃないですか」


「……え?」


「国枝さんが今まで書いてきた小説、あれはすべて魔導書です」


 さらりとものすごいことを言われてしまった。


「魔法使いが出てきて、呪文を唱えて、とてつもない現象が起きる。それをあたかも現実にあったかのように臨場感を持たせて書く。これはもう魔導書以外のなにものでもありません。呪文はただそれらしい文句を並べればいいというものではないのです。そこに魔力を持たせるためには、呪文を耳にする者すべて、万物の精霊に至るまで、心を動かすためのもの――つまり物語が必要なんです」


「は、はあ……」


 ちょっと話が壮大すぎてついていけない感があるが。


「ということでいつものような小説を書いてください。時間制限と効果の兼ね合いを考えると、今回は文庫見開き10枚程度の掌編あるいは長編の冒頭一章という感じでお願いします」


「あ、いきなり卑近な話に戻していただいてありがとうございます……」


 しかし見開き10枚って相当な量だぞ。

 一日でそれだけ書き切ったことなんて、小説家になってから数えるほどしかない。だいたいノートPCの充電が保つだろうか?


 いや、待て、それ以前に。


 僕はものすごいことに遅まきながら気づいて胃の底が冷えるのを感じた。


「……あの、ぼ、僕、……このままここで暮らさなきゃいけないんですか?」


 コキリさんは首をかしげた。僕はしどろもどろに続ける。


「いや、あの、日本にはもう戻れないんですよね? 向こうでは失踪扱いになってるのかな。ガスコンロ消してあったっけ? 他に放置しててまずいものとか……借金とか……なんか大事な約束とかは……なかった気がするけど……」


 コキリさんは訝しげに目を細めて言う。


「憧れのファンタジーワールドに移住して可愛らしい王女に懐かれて尊敬されて期待されて重要な仕事も任されてしかも自分の既存のスキルでこなせてしまうという美味しすぎる生活がこれから待ち受けているのに、元の生活のことなんて気にするんですか。日本での作家としての人生にそんなに未練があったんですか? あんなに売れてないのに」


「そっ、そりゃありますよ!」


 身も蓋もないコキリさんの指摘に、僕はむきになって言い返した。


「たしかに全然売れてませんけど! でもやっと新人賞獲れて、少ないですけど読者もいて、ごくごく少ないですけど僕の本が好きだって言ってくれる人もいて、書きたい話もたくさんあって、これからってときに、もう死んだも同然で戻れないなんて――」


「戻れますけど」


「戻れるのかよ!」


 コキリさんはなにもない空中を指でつまんでなにか引っぱるようなしぐさをする。と、みょいーんという感じで不思議な裂け目が現れ、その向こうは見慣れた六畳間の光景だった。僕の部屋だ。


「それなりに魔力を使うので人間サイズの物体が行き来自在とまではいきませんが、電源くらいでしたらこうして」


 そう言ってコキリさんは空間の裂け目に手を突っ込み、タコ足コンセントをこちら側に引っぱり出した。


 拍子抜け極まりなかった。いいのかよ、そんな簡単に。


「あれ? それなら僕がここにいる必要もないんじゃないですか。自分の部屋で書いて、できた原稿だけこっちに送れば」


「だめです。二十一世紀の日本は誘惑が多すぎて執筆に集中できません。国枝さんを自室に戻したりしたらゲームと漫画とエゴサーチで一日潰れます。防壁が突破されるまでに魔導書を完成させるなんてとても無理です」


「うっ……」


 痛いところを突かれまくりだった。完全にその通りだった。


 とするとこれは要するにカンヅメか。

 憧れのカンヅメ!


 僕のまわりでも出版社に準備させてカンヅメしたことがある人なんて一人もいない。一般文芸の大御所だけの話だと思っていた。


「この仕事が終わったらどうぞ日本にお帰りください。魔導書のために書いた原稿も、そのまま本業に流用できるでしょう」


「はあ、それじゃもうほんとうにいつも通り仕事するだけですね……」


 しかし、こうも簡単に日本と行き来ができるということは、この人が霧子さんである公算がますます大きくなったのではあるまいか。なぜか本人は頑なに否定するけれど。


「では、後ほど飲み物とお食事をお持ちしますので」


 そう言ってコキリさんは部屋を出ていこうとし、ふと振り返って付け加えた。


「ファイル形式は.txtか.docでお願いしますね。前みたいに.jtdで出されても困ります」


「やっぱり霧子さんですよねっ?」


       *


 あらためて、一日で文庫見開き10枚というのはかなりの分量である。


 僕観測史上の最大瞬間風速がだいたいこれくらいだ。

 締め切りをぶっちぎり、長編の終盤にさしかかり、様々なものが煮詰まりきってようやく出るスピードである。


 今回はそもそもなにを書くかも決まっていないのだ。

 普通に考えたら無理である。


 砦の一室でノートPCを前にしばらく思案した僕は、やむを得ない結論に達した。


 いま自分の身に起きていることをそのまま書くしかない。


 新規ファイルを開き、タイプし始める。


 しがない小説家がある日突然、魔界からの侵略に脅かされる聖王国に召喚される。魔導師でもある王女に頼まれ、新しい魔導書の執筆に取りかかる……。


 そのまんまだ。


 もちろんその先も書く。小説家は苦心して魔導書を仕上げ、制限時間ぎりぎりで王女に手渡す。まさに眼前で魔界の門が開き、魔物の大軍が襲いかかってくるそのとき、王女は朗々と呪文を詠唱して極大魔術を発動させ敵を薙ぎ払う!


 目の前に新鮮でリアルな素材が転がっているせいで、筆はするする進んだ。


 執筆中、何度も地揺れがあった。

 魔界の門の障壁を魔物たちが突き上げているのだ。だんだん間隔が短くなってきている気がして、焦りが募った。


 自分でも驚くくらいのペースで、夜半過ぎに脱稿した。ちょうど夜食を持ってきてくれたコキリさんに読んでもらう。目の前で自分のPCの画面に表示された原稿を読まれるというのは初体験なのでむやみに緊張する。


 読み終えたコキリさん、開口一番――


「面白くないですね」


「えっ……あ、ああ、はい、……お、面白くない?」


「はい。あったことをそのまま書いてあるだけで、読みどころがありません。いかにも書き急いで体裁だけ整えたという感じです」


 何度も対面してきたおなじみの辛辣さだった。


 書き急いだ――。


 そりゃ、その通りだ。だって一日で見開き10枚とか言われたんだぞ。


「魔導書ですけど、面白くなきゃ――だめですかね?」


「当たり前でしょう」


 コキリさんは冷ややかに言う。


「心動かされるような文章でなければ魔力は宿らないと言ったじゃないですか。面白くなくてもいいなら国枝さんにわざわざ頼んだりしません」


「そ……そう……ですね……」


 僕はしょんぼりするが、同時に、腹の底に一握りの喜びが熱を持っているのを感じていた。面白くなくてもいいなら僕に頼んだりしない、ということは、僕なら面白くできると信じてくれているのだ。


「わかりました。改稿します」


 僕は虚勢を張って力強く言った。それから肩を落とす。


「といってもどうすればいいのかよくわかんなくて。魔導書としての面白さなんて」


「国枝さんは魔導書というのに変にこだわりすぎです。文体もいつもより格調高くしようと無理してますね。いつも通りに書いてくださいと言ったのに」


「いつも通りっていうと」


 コキリさんはPCの画面に表示された原稿のクライマックス手前あたりを指さした。


「とりあえずここにラブコメ展開を入れましょう」


「絶対に霧子さんでしょっ?」

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