ラノベ作家なら魔導書も書けるよね?

@hikarus225

1. 魔導書作家デビュー!?

 僕が子供の頃によく読んでいたファンタジーの漫画や小説では、魔法使いがみんなちゃんと呪文を唱えていた。

 文語調で、詩的で、長ったらしくて、なんかよくわからないカタカナ語が並べられていて、精霊への呼びかけとか悪魔との契約確認とか神様への讃美とかいった仰々しい手続きを踏んで、最後に「終焉獄炎メギドフレイム!」みたいな絶叫で締める、あれだ。


 でも、最近あんまり見ない。


 黙って発動させてあとは解説役に任せたり、発語するにしてもルビ付き魔法名だけだったり、あまつさえ『詠唱無し』で魔法を使える方がハイレベルみたいな風潮もあったりして、僕みたいな古い人間は肩身が狭い。


 自分の小説の中では、最低でも七行くらいたっぷり呪文を唱えさせることにしている。


 好きだからしょうがない。

 オリジナル呪文を登場させたくてファンタジー小説を書いている節がある。

 なんなら納得のいく呪文詠唱を思いつくまで二週間くらい筆が止まることもある。会心の呪文ができたときには実際に風呂場で十五回くらい唱えてみたりする。

 狭いユニットバスに反響する終焉獄炎メギドフレイム


「……そういうことをしているから国枝さんは売れないんです」


 担当編集の霧子さんは僕の原稿のプリントアウトを一瞥して冷ややかに言う。


「呪文で悩んでいる時間を使って、ラブコメ展開のひとつふたつ思いつけますよね」


「いやあ、はあ、まあ……」


「主人公が呪文を詠唱している間にラブコメ展開のひとつふたつ入れられますよね」


「入れられませんよッ! 敵が目の前にいるシーンですよっ?」


「そもそも敵が目の前にいるのになぜこんな小学校の国語の授業みたいなことをしているのですか? 敵は帝国軍最強の暗黒騎士ですよね? 六千人の騎士団を率いて今まさに主人公の眼前に迫っているところですよね? 『炎の精霊よ、我が呼び声――』のあたりで主人公は馬に踏み潰されて全身の骨を圧し砕かれて脳漿を撒き散らして死んでいると思うのですけれど」


「う……そっ、それは……言わないお約束では……」


 あと死ぬ描写が具体的すぎて怖いです霧子さん。


「だいたい遠隔攻撃できるのが魔術師の強みでしょう。なぜ敵の目の前までのこのこと出ていくんですか。見られないように納屋にでも隠れて、聞こえないように小声で、ぼそぼそと詠唱するべきです」


「かっこ悪いじゃないですか! リアリティとかどうでもいいんですよ!」


「じゃあラブコメ展開入れましょう戦闘中に。リアリティどうでもいいんですよね」


「んぐぐぐぐぐ」


 いつものように僕を容赦なく追い詰め、どこにでも恋愛要素をねじ込もうとしてくる霧子さん。それでいてクールな才媛の表情はまったく崩さないのだからすごい。


 今の時代、作家と編集者の打ち合わせなんてだいたい電話かネットで済ませる。編集者は忙しいし作家はだいたいひきこもりだからだ。僕がこうして打ち合わせのたびにわざわざ出版社に出向くのは、霧子さんと直に対面して目の保養をし、生活に潤いを供給したいからだった。

 もっとも霧子さんは態度も発言も辛辣の極みなので、精神の保養にはならないどころかむしろダメージを負うのだけれど。


「……呪文詠唱、かっこよくないですか? 我ながら今回のは良い感じじゃないかと……」


 僕は上目遣いでおそるおそる訊ねる。


「非常にかっこ悪くて恥ずかしいです」


 はっきり言われた。


「ためしにさきほど編集長に朗読してもらいましたが二行目くらいでもう許してくれと泣き出したので」


「なにしてくれてんですかっ! 僕が編集長に恨まれるじゃないですか!」


「読むのを嫌がられるとわかっているものをなぜ書くんですか」


「いやだからこれは魔法を使うときに唱えるものであってですね、時と場合というのがあるわけで、必要な場合には必要とされるはずで」


 我ながらぎこちない言い訳になる。霧子さんは憐れみの目になる。


「それならちゃんと、ほんとうに地獄の窯が開き万物を焼き尽くす業火が顕現するような呪文を書くべきでしょう。そうすれば、日頃からストレスが溜まりまくっていて焼き尽くしたいものがたくさんある編集長も喜んで唱えたはずです」


 なんかやべーこと言い出したぞ……。


 僕はふうっとため息をつき、霧子さんの手元のプリントアウトに目を落とす。霧子さんは原稿の該当部分を指でたどって言った。


「このままだと、このページは読者には確実に読み飛ばされます。紙幅の無駄です」


 苦笑いすらも出てこない。


「霧子さんもそこは、その、さらっと読み飛ばしていただければ……僕も、たまに自分で書いたやつが恥ずかしくて平静な気持ちで読めないことがあるし……」


 普段から彼女は機嫌が悪そうな無表情なのだけれど、そのときはむっとした不満感が顔にはっきり表れた。珍しいことだったので僕は内心びっくりする。


「なにを言っているんですか。わたしは編集者ですよ」


 そう言って霧子さんは僕の原稿の一ページ目に両手を重ねて置く。


「世界中のだれもが、たとえ国枝さん自身が読み飛ばすとしても、わたしだけは最初から最後まで一言一句漏らさずに読みます。それが担当編集の仕事の第一ですから」


 気恥ずかしくなって僕は顔を伏せた。


 鬱々とした低空飛行続きの僕の作家人生で、唯一良かったことがあるとするなら、この人が担当編集になってくれたことだろう。目の保養というだけではなく。


「呪文のことにだけかかずらってはいられないので先に進みますが」


 霧子さんはプリントアウトをばさばさっと何枚かめくる。


「戦闘後ですね。魔法で騎士団を殲滅した主人公が、虫の息の暗黒騎士に近づいていって冑をむしりとると、実は生き別れの兄で、という箇所です」


「ここは自分でもよく書けたと思うんですよね!」

 僕は鼻息荒く身を乗り出して言った。

「これまでの伏線を回収しつつ正体は父親だとミスリードさせておいてひっくり返し、兄の真の意図を明かして弟への想いを悟らせる最期の対話――」


「ここにもラブコメ展開を入れましょう」


「なんでだよッ?」


       *


 世界の中心はどこか知っているだろうか?

 飯田橋である。

 日本の出版関連限定の狭い世界の話だけれど。


 飯田橋には角川グループの社屋群があるし、ちょっと歩いた神楽坂には新潮社もあるし、有楽町線で二つ隣の護国寺には講談社や光文社の音羽グループが、反対方向の神保町には集英社や小学館といった一ツ橋グループがそれぞれ居を構えているし、新宿にある幻冬舎や一迅社にも中央線一本だ。


 とにかく作家なら飯田橋にアクセス容易な場所に住め!


 ……というのを新人賞受賞パーティで大御所の先輩作家に吹き込まれて真に受けた僕は飯田橋の四つ隣である池袋のワンルームマンションに住んでいるのだけれど、家賃の割に狭いし交通の便以外に良いところはないし五年間ずっと後悔しっぱなしだった。


 だいたいこの仕事、ほとんど机の前だけで完結してしまうのだ。わずかな外界との接触である月に数回の編集者とのやりとりにしたってオンラインか電話で済む。沖縄だろうがアラスカだろうが火星だろうが電波さえ届けばどこに住んでいたってできる仕事なのに、わざわざ家賃の高い都内に住むなんてばかばかしい。


 もっとも、交通の便が良いというのは霧子さんに逢いにいきやすいということでもあるので、いまだに引っ越せずにいるのだけれど。


 作家生活五年目、めぼしいヒット作なし。


 六畳間の万年床の枕元に置いたノートPCの前で、ため息をつく。


 このままでいいわけはない。

 でも、どうすればいいのかわからない。わかってたらとっくに売れてる。


 たぶん、結局のところ呪文が長くて恥ずかしいかどうかは本質じゃないのだ。


 本棚に手を伸ばす。


 僕が中高生時代に読みふけって憧れた、鳴滝修司先生の『雷鳴の魔導師リクゥ』。累計発行部数五百万部超の大ヒットシリーズ。我がバイブルだ。

 第一巻を抜き出して読み返す。

 呪文詠唱がめちゃかっこいいけれど、それ以前にまずもってしてキャラが魅力的で、舞台設定からしてわくわくさせてくれて、話の展開もエキサイティングで、要するに小説として抜群に面白いのだ。

 面白いから呪文詠唱も冴えて見える。逆はない。

 だから面白いものを書くしかなくて……でもどうすれば……


 思考が堂々巡りしたまま、僕はノートPCのブラックアウトした画面に映る自分の情けない顔をじっと見つめる。


 にらめっこしていてもしょうがない。書くか。


 電源を入れようとしたとき――


 不意に、どこからか声がした。


 聞き慣れない女の子の声だ。僕は頭を巡らせた。隣室? いや、壁越しにしてはやけにくっきりと聞こえてくる。それに、隣ではなく……上?

 天井を仰ぐ。うちの部屋、最上階だぞ?


 話し声というよりは、大げさな抑揚をつけて読み上げている、いや――


 唱えている。


 天地の精霊がどうとか地獄の門がどうとかいう言葉が端々に聞き取れる。おい待て。待て待て待て。呪文……?


 あたりが真っ暗になった。


 僕はぎょっとして、とっさに自分の最も大切なもの――原稿の入ったノートPC――を抱えて中腰になった。


 次いで、ぐにゃり、と平衡感覚が消え失せる。


 どろどろした紫色の光が僕を取り巻き、回転を速め、烈しさを増し、やがて僕は上へと向かってすさまじい勢いで墜ちていく――


       *


「――やっとだ! 召喚成功だ!」


 弾む声が紫の靄の向こうからはっきり聞こえた。さきほどの呪文の声だ。


 靄が晴れる。

 僕は唖然とし、抱きしめていたノートPCを落っことしそうになった。


 六畳間やテーブルや本棚や布団はすべてかき消えていた。


 広く、薄暗い空間だった。足下は手触りからしてどうやら石だ。壁も石造りに見える。古めかしい燭台が等間隔でぐるりと並んでいる。

 目を落とすと、僕の周囲の床には赤い塗料で何重もの円形と三角形、よくわからない文字を組み合わせた複雑な紋様が描き込まれている。


 ……なにここ……どこ……?


 足音が背後から駆け寄ってきて僕はびくっと振り向く。


「救国の英雄殿! よく来てくれた!」


 十五、六歳くらいの少女だった。

 明るい栗色の髪を結い上げ、少し尖った耳を見せている。中性的な顔立ちはなにか子供時代の焼けつくような憧れを想起させる愛くるしさだ。僕の目の前にぺったりと膝をついて視線を合わせてくるので、僕はのけぞる。


「ぼくはマキナ、この聖王国の第四王女にして国軍魔導師だ」


 少女は興奮気味に言う。顔立ちも、それからまとっている壮麗な軍服も、まったく日本っぽさがないため、そんな彼女の口から日本語が飛び出してくるのが異様に感じられた。王女?


「英雄殿、お逢いできてとてもうれしい。名を教えてくれないか」


「……え? ああ、はい、……国枝真尋です」


 思わず本名を名乗る。ゆえあってペンネームを自分から名乗ることはほぼない僕である。


「クニエ……ダ……マヒロ? マヒロ! 良い名前だね」


 承認欲求の塊である僕は女の子に名前をほめられただけでだいぶ舞い上がってしまう。落ち着け。状況を把握するのが先だろうが。


「マヒロ先生と呼んでもいいだろうか?」


 先生……。


 世間的には、作家は先生と呼ばれるのが普通だと思われているかもしれないけれど、とくに売れてなくてデビューした版元からしか本を出せていないようなぺーぺーは先生扱いされる機会なんてまずない。まさか僕の先生初体験がこんなわけのわからない形になるとは。


「……え、ええと、あの、これ、……なに? ここはどこなんでしょうか。僕、自分の部屋にいたはずなんだけど」


 自分に残された唯一の現実感であるノートPCをあたらめて強く抱え直して僕は訊ねる。マキナと名乗ったその少女は、同情の色を目に浮かべて言った。


「そうか、来たばかりだから混乱しているのも無理はない。ここはオルトニニア聖王国の北マッカドキア砦だ。防衛のためにぼくがマヒロ先生を外つ国から召喚したんだ」


「……とつくに?」


「あなたがたが日本とか地球とか呼んでいる世界のことだ。先生の方が詳しいだろう、自分の世界なんだから」


「ああ、はい……」


 召喚。


 僕の頭はもういっぱいいっぱいだった。


 そりゃあ僕だってファンタジーを主戦場にしてきたから、そういう話も書いたことがある。でもまさか実際に自分の身に降りかかるなんて思わない。なんなんだこれ。新作の構想を練っている間に寝落ちして見てる夢なのか? それにしてはディテイルがしっかりしていて、五感すべてに現実味がある。


 どうも夢ではない――らしい。


 深呼吸すると、少し気持ちが落ち着いてきた。


 と同時に、ちょっと心が弾んでくる。


「こちらから特定の人物を召喚するのはとても難しいんだよ、もう何度も失敗してだめかと思っていた、ようやく逢えてほんとうにうれしい!」


 こんな麗しい女の子に英雄とか先生とか呼ばれて、よくわからんが期待の目を向けられまくっているのだからとても気分が良い。


 でも、さっきスルーできないことを言っていたような。


「砦とか防衛とか言ってた気がするんだけど……」


「そう、一刻の猶予もないんだ! 一緒に来てくれ、見た方が早い」



 王女マキナは僕の手を引いてその石室から連れ出した。


 石造りの階段を何度も折り返して駆け上る。途中で、甲冑をつけた男たちと何度もすれちがった。


「あっ、殿下!」


「その方は」


「召喚に成功したのですか!」


「ついに!」


「これで耐えきれるぞ!」


 みんな口々にそんな言葉をかけてくるので、ほんとうに王女なのだなと思いつつ、なんか僕に過度な期待がかけられているのをひしひしと感じて胆が冷え始めた。


 ……人違いだったりしない? 僕、ただの売れない小説家だよ?


 やがて階段の先の方から冷たい空気が流れてくるのに気づいた。同時に、かすかな地響きと爆発音みたいなものも聞こえてくるようになる。


 広い屋上に出た。


 空は灼けた鉄みたいな色をしている。早朝なのか日没前なのかわからない。


 巡らされた胸壁の向こうから、物騒な震動音は断続的に遠く響いてきていた。胸壁際に槍を手にして並んで立っていた監視兵たちが振り返る。


「マキナ殿下、そちらの方は?」


「あっ、召喚された救国士の方ですか!」


「そうだ、ご苦労さま! 状況は?」とマキナは兵の方へ駆け寄る。


「かなり亀裂が進行しています。保って二日かと……」


 マキナに促され、僕も胸壁に近づいて凹部から向こうをのぞいた。

 焦げ臭い風が吹き寄せてくる。


 最初、砦のすぐ目の前に小さな湖があるのかと思った。澄んだ湖面が夕焼けだか朝焼けだかの色を鮮やかに映しているのだと。


 でも、すぐにそうじゃないと気づいた。


 まず、空よりもその湖面はずっと色濃く燃えている。


 おまけに、風が強いのに波一つ立っていない。水ではなくガラス状の固体のようだ。


 さらには、なにか得体の知れない大きな影が数え切れないほど、その分厚いガラスの下で蠢き、ときおりガラスを突き上げている。先ほどから聞こえていた震動音の正体はそれだった。

 激突のたびにガラス面には幾何学的な亀裂が走る。


「……なにあれ……?」


 思わず声が漏れる。

 隣でマキナが僕と同じようにガラスの湖を見下ろしたまま言う。


「魔界の門だ。障壁で蓋をしてあるけれど、じきに破られる」


「そしたらどうなるの」


「見たらわかるだろう、魔軍が地上に攻め込んでくる!」


「はあ……」


 そんなところに僕を連れてきてどうしようっていうんだ?


 と、マキナはいきなり僕の両手をぎゅうっと握って顔を寄せてきた。近い、近い!


「もうぼくらの魔術はほとんど魔族に解析されてしまっているんだ、頼む、マヒロ先生! やつらを撃退するための、新しい魔導書を書いてくれ!」


「……ええええええええええええっ?」


 自分でもどん引きするくらいの声が出た。


「む、無理! 意味わかんないよ! あのね、僕はただの小説家で」


 マキナは期待に目を潤ませて僕の言葉を遮る。


「知っているよ。ものすごく長くて複雑でだれもが読むのをはばかるような呪文が出てくる物語ばかり書く希有な作家なんだろう? だったら魔導書も書けるはずだ」


「できるわけねえだろッ」

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