第40話 運命の悪戯
男が通った道は呉作と一緒に通ってきた道とは違って急な坂道の連続だったが、半分の時間で村に戻ることが出来た。そして妙観院の家の裏手に出るものだった。
「ここを通るなんて疲れるだけだぞ」
呉作は面倒な道を選んだなと男に言う。しかし男は
「誰にも目撃されたくないので、この道しかなかったのです。夜明けを待ってこの道を上がっていきました。俺の姿が目撃されないよう、僧の格好をした同僚が同時刻に出発する手筈になっていました」
と説明する。
なるほど、生き肝の鮮度を考えるとすぐに出発したのかと思っていたが、夜明けまでは山の中に息を潜めていたのか。
「確かに、殿に食べて頂く前に腐ってしまっては困ります。しかし、途中で事が露見するわけにはいきませんので、慎重に進む策を採りました。殺すのも夜明けより少し前と、その時間もきっちりと決めて行っております。とはいえ、俺よりその後は足の速い者が次々と運んでいくのですから、通常よりも早く国元に着きます」
あちこちに小屋まで建てて入念に準備していたのだ。どうやれば最短で着くことが出来るか、その方法はしっかりと確立していたという。
「そこまでするとは執念だな。それほどに生き肝に力があるのか?」
雨月が切り取って運ぶというだけでも、気分の悪くなる話だろと訊ねる。
「解りません。執念というのならば、確かにその通りです。しかし、多くは国のため、殿のためとやったことです。さすがに切り取る役を仰せつかった俺は、しばらく気持ちが塞ぎました」
そんな話をしていると、妙観院がこちらにやって来た。後ろから呼びに行った優介がよろよろと着いてくる。先ほどの戻りの道は雨月に背負われていたというのに、本当に体力のない男だ。
男は妙観院に気づくと、深々と頭を下げた。そして
「申し訳ありませんでした」
とはっきり謝罪を口にした。
先ほどもしばらく気持ちが塞いだと言っていたように、この男はすぐに謝りたかったのだろう。しかし、そうすると、殿と呼ぶ主に迷惑が掛かる。板挟みだったのだ。
「説明してくださいますね」
妙観院は頭を下げる男を見つめたまま、感情を抑えた声で問い掛けた。
「もちろんです。あなたが江戸に赴き、知り合いを通じてこの判じ物の先生を頼ったという情報を得た時から、こうやって説明する機会があるものだと思っておりました故」
男はそう言うと、犯行のあった家を見つめる。その目は後悔が滲んでいた。
その顔で、飛鳥はこの男と優之助は事前に通じていたのだなと気づく。そもそも、優之助はどの藩の者がこの事件を起こしたのか特定しているようだった。そして、下手人も知っているようだった。
まったく、本当に飛鳥は体裁のため、口実のために使われたに過ぎなかったのだ。しかし、事が露見することを恐れた者が妨害してきたように、あまり公にしたくないという勢力が大勢いることが解る。
だから、この茶番は必要だったのだ。飛鳥ならば追っ手が掛かろうと逃げ切れることも、予測済みだったのだろう。ただし、この場合は利根川に放り込むなどという荒っぽい解決だとは思わなかっただろうが。
ともかく、お膳立てをするために飛鳥はここまで派遣されたわけだ。利用されたことは少々腹が立つが、日頃から優介をいいように使っているのだし、このくらいは利用されてやってもいい。
「殿は、ああ、今は無事に家督をお継ぎになったので殿と言いますが、半年前は、家督相続も危険なほどの状態でした。その原因は不明で、我らは非常に困っておりました。だから、どんな迷信にも賭けるしかなかったのです」
男はそう言って語り出した。
病を治す方法。それは藩総出で探し、行われたという。有名な医師を何人も紹介してもらっては、その度に多額の報酬を払ったものだという。しかし誰も有効な手段を見出せなかった。
そんな時、大殿、当時の殿様が
近くの寺に薬に詳しく、さらに呪いもよくする僧侶が一人いた。その僧曰く
「五月五日に生まれた
という占いの結果が出たというのだ。
顔色も真っ青で息も絶え絶えの若君を救うにはそれしかない。多くの者がその占いに賭けるしかないと思うまで、そう長い時間は掛からなかったという。
そんな時、この村にもうすぐ婿取りをして家を再興しようとしている娘がいるという話が飛び込んできた。しかもその娘は五月五日生まれだという。
「確かにそうです。端午の節句に生まれるなんて、よほど丈夫な子に育つわねって、そう、亡き夫と話したものです」
妙観院はなんという運命の悪戯なのかと涙ぐむ。それに、男はより一層悲しげな顔をした。
「何にせよ、ここで母と娘が暮らしていることは有名だったわけだ。良き婿を得ようとしているところだったから、娘のことを詳細に知ることは簡単だったというわけか」
飛鳥は時期的なものもあるだろうなと呟く。もしもまだ娘が幼く、婿取りの話題が出ていない時期だったら、見過ごされていた可能性が高いだろう。
「ええ、その通りです。我らにとってそれは、こう申し上げてはお母堂に失礼ですが、天啓のようでした。五月五日生まれの娘がすぐ近くにいることが解ったのですから」
そこから、冷酷な計画は素早く、そして多くの人々を巻き込んで行われた。
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