第39話 待ち人現る
翌朝。朝早くから起き出した飛鳥たちは、村長に握り飯の弁当を貰って呉作の家へと向った。呉作はすでに身支度を済ませ、片手に鎌を持って待っていた。
「この時期は藪が茂っているからな」
鎌を持っている理由は道を切り開くためだという。これだけでも大変な山登りになりそうだ。
「優介は残るか」
だから飛鳥は思わず優介にそう言ってしまう。しかし、優介はぶっと顔を膨らませると
「気になるから行くよ」
頑張って登ると表明する。
「まあ、何にせよ山を通るのは秋から冬、春先までってのが定番だな。もちろん雪が山盛り降ってしまったら無理だが、葉が茂っていると大変だからな。だから、この時期には登らん」
呉作は本当に大変だぞと、明らかにひょろっこい優介に釘を刺す。
「だ、大丈夫」
そこで優介がちらっと雨月を見てしまったのは言うまでもない。世話になる気満々だ。
「早く行こう。往復するだけで大変なんだろ」
その雨月はこっそり溜め息を吐きつつ、ここで揉めていても仕方がないと出発を促す。
「それもそうだな。じゃあ、行くぞ」
呉作はそう言うと、自分の家の裏手からずんずんと昇り始める。
「小屋はこっち側なのか?」
だから思わず優介はそう確認してしまう。それだと、妙観院の家の事件に利用されたと考え難いのではないか。
「いや、道はこっからだが、小屋はあっち側だよ。あっちは傾斜がきついから、こっちから登るのが楽なんだ」
しかし、それは登りやすさの問題だと呉作は言う。確かに優介が登ろうとして転んだ裏山より、こちらは登山に適した山だった。
「途中であっちに向って進路を取るんだ。山の中は複雑だからな」
呉作は尾根を意識しなければならないんだと説明してくれる。あえて高くなっている場所に挑む必要はなく、尾根づたいに行くのがいいのだと言った。
「なるほど。急がば回れというやつだな」
飛鳥は直線的に考えては駄目なのかと、山ならではの難しさを感じていた。となると、生き肝を狙った奴らもかなりの事前調査をしたことだろう。
「そもそも、どうしてあそこの娘を狙ったんだ?」
呉作が藪を払いながら、あの事件って意味が変わらんよなと訊いてくる。
「生娘だからだろう。妙観院様の娘がお家再興のために婿を取ろうとしていたのは有名だろうから、確実に生娘だと解ったということだろうな」
飛鳥は巫女的な発想で、生娘の生き肝が効くと考えたのだろうよと付け足した。少女に神秘性を見出すというのは、よくある話だ。それが正しいかは別として、ありがたさを付与するには丁度いい。
「ははあ。まあ、生き肝を食らいたいというのならば、若い方がいいわな。鹿の肝も若い方が美味いぞ。それに雌の方が美味い気がするな」
呉作が似たようなもんかなと、そんなことを言ってくれる。生き肝なんて食べたくない優介は、口を押えてうげっという顔をしていた。
それからしばらくは黙々と山道を歩いた。山小屋まで一刻ほどは掛かっただろうか。崩れかかった粗末な小屋が現われた。
「急拵えだったんだろうな。もう駄目になっとる」
呉作は俺たちが作ったのならばこうはならないと、崩れかかった小屋を見て呆れた様子だ。
これもまた、ここが事件に利用されたと考えることが出来る証拠になるだろう。飛鳥は中がどうなっているのかと近づこうとしたが、それを雨月が阻んだ。
「雨月」
「誰かいる」
雨月が指摘すると、小屋の影から身なりのいい武士が一人、一文字笠を被ったまま現われた。
「ここまで辿り着くとはさすが、江戸で噂の判じ物の先生というところか。しかも、それは仮の姿のようだな」
いつでも抜けるように刀を構える雨月を見て、武士が守るほどの御方かと、少し困惑したように言う。
「こちらの事情はどうでもいい。ここで待っていたということは、あんたが下手人ってことか」
この村に来いという文は、刺客を利根川に放り込んだ次の日には出している。文は優之助が
「左様。拙者が娘の生き肝を盗んだ張本人だ。一番足腰が強いという理由で、その約を仰せつかった」
武士は申し訳ないことをしたと、ずっと思っていたのだと悔しそうに言う。どうやら、全員が娘の生き肝を盗むことに積極的ではないようだ。
「では、妙観院様のところまで付いて来てくれるか」
「もちろん。お主たちが説得役を返り討ちにした時点で、ちゃんと説明すべきだと説得しやすくなっていたからな。腕の立つ男を傍に置いておいてよかった、というわけだ」
雨月がやったのだろうと、男はその力を推し量るかのように目を細める。
「若自らが倒した。俺は手伝っただけだ」
それに対し、雨月はそう答える。飛鳥はこいつまたと思ったが、相手は見抜いているので、そう答えておくのが無難だろう。
「なるほど。それはお見逸れした。すでにどうやってやって、どう運んだのかもお見通しのご様子であるし、村に行きましょう」
男は飛鳥に頭を下げると、自分が先に行こうと、その時通った道筋を歩いてみせると言って案内を始めるのだった。
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