第30話 死なれては困る
「懲りずにまた妙な事件に首を突っ込んでいるらしいな」
「お前のその情報網が俺は一番怖いぜ」
今日も弁天屋から戻ると待ち構えていた雨月に、飛鳥は思わずそう文句を言ってしまった。しかし、雨月は僅かに眉を動かしただけで、気にした様子もない。
「そうやって人間が起こした汚い犯罪を知ることが、鬼のためになるのか?」
雨月は飛鳥の前に座りながら、そんな嫌味を言ってくる。
「今までは鬼の仕業とされていたことだ。そういうのを解き明かし、人間の仕業だと明らかにするのは、鬼のためにならないかい?」
飛鳥はにやっと笑って言い返してやる。すると雨月は難しい顔をしたが
「まあ、そうだな。鬼は生き肝を食らうなんて言われては困る」
と、こちらもにやっと笑って言い返してくる。
「ちっ。優介の家で相談事なんてやるもんじゃねえな」
床下に何かいやがったなと、飛鳥は不機嫌になった。雨月は優介の離れに手下の妖怪を潜ませていたに違いない。この裏長屋と違い、優介の住む離れは立派な造りだ。何かを潜ませるなんて造作でもない。
「それにしても、人間の生き肝か。薬になるという話だが、本当に効くのか?」
雨月は気持ち悪いだけじゃないのかと、珍しく優介と同じような反応を示した。それに飛鳥は苦笑しつつも
「生き肝を食うのは血の気を補うのにいいらしいぜ。貧血なんかには間違いなく効くようだ。だが、人間の肝を食らって何かが治るなんて話は知らねえな。そもそも、人間が人間を食うのは共食いになっちますからな。普通は忌避する行為だ」
と説明してやる。
「そうだな。鬼だって共食いはしない」
同じ種族のものを食うのはどんな動物でも禁忌だ。雨月は難しい顔になる。
「そう。つまりこの時点で常軌を逸しているわけだが、それだけ追い詰められているとも考えられる。よほど死なれちゃ困る御方なんだろうな。世継ぎがいないのか、何なのか」
飛鳥は手掛かりが少ない上に調べ難いと腕を組んだ。考える方向性は定まっているが、具体的にどうすべきかは見えていなかった。
「今の世の中で藩のお取り潰しなんてあるのか?」
雨月は勝手に火鉢の火を熾し、土瓶を乗っけて茶を飲む支度をし始める。飛鳥が出さない時はいつもこうだ。
「ないと思う。江戸に幕府が出来た直後はよくあったがな。浪人が増えて仕方がないってことで、末期養子を取ることは可能になったし、そう簡単には潰れないはずだ。とはいえ、人間ってのは血に拘る。他家の血を入れたくないって理由で、当主の子を望むことは多い。今回の事件もそういうことが理由で起きているのだろう」
飛鳥は雨月の動きを目で追いながら、理由は藩の存続だけじゃないさと諭すように言う。
「血に拘るか。俺たちが人間と交わらないようなものか」
「ちょっと違うが、考え方としてはそんなもんだ。つまり養子を入れたくないんだろう。それで病を治したいと考えた」
そう考えると、治したかったのは跡取りの方か。次の藩主にと期待される子どもが大病になり、仕える武士たちは大慌てで治す方法を探した。そう考えれば、今回の蛮行の理由としても明確だ。
「まあ、それならば俺も納得出来るな。もし桜鬼に何かあって、助ける方法があるのだと言われれば、俺は人間を躊躇いなく襲う」
それに雨月が物騒なことを言って同意してくれた。
「おいおい」
「そういうものだ。お前は生まれながらに鬼を統治する立場にいるから解らないだろうが、俺たちにとって桜鬼は生きる指針なんだ。それが消えることは、何があっても阻止しなければならないことだ。こうやって俺がここにやって来て、お前の様子を見るのも、他の鬼が心配しないようにということからだぞ。もしも人間に混ざりすぎて、雲隠れするようなことがあったら、俺は、どうすればいいのか解らなくなる」
ぐっと握りこぶしを作って語る雨月に、飛鳥は思わず目を逸らしていた。
今は父の桜大鬼がいるから大丈夫だと思っていた自分が、いかに甘かったかを突きつけられた気がした。
雨月は、柳鬼はただ口うるさい幼馴染みというだけではないのだ。一族のためを思って、人間を知りたいという飛鳥の我が儘に付き合っているだけだ。
「ともかく、そういう思いで生き肝を奪っていったってわけだ。しかし、病気の若様か。高橋にでも確認するか」
飛鳥は何とか雨月に視線を戻すと、どうしたものかねと溜め息を吐く。
「あの男は止めておけ」
それに雨月は、飛鳥に色目を使う男なんて頼るなと、素早く諫めてくる。
まあ、こちらとしても積極的に関わり合いたいわけではない。しかし、あの男は女も男もたらし込む技術を持っているから、そういう秘密を握っている可能性があるのえではと思っただけだ。
「やっぱり頼るとすれば優介の兄か」
「旗本の、か」
「ああ。依頼そのものは父親が妙観院と知り合いだったことから、俺に相談してはどうかという流れになったらしい。となると、訊くならば父親の方かな」
「無難だろう」
早めに丸投げしてしまえと、雨月はいつになく冷たく言ってくれるのだった。
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