第18話 庵の中に残るのは
ここまでで、どうして男と寝ようとした時を狙ったのかははっきりした。
高橋を疎ましく思う同じ藩の誰かが、高橋の恋人である藤本といる時に嫌がらせをするのが効果的と思ってのことだろう。しかし、何故の部分が明らかになっても、問題はまだまだあった。
「四回繰り返されたというのが曲者だな。これが一度ならば何とか出来そうだが、四回とも別人の顔が見えたってのが難しい」
飛鳥はどうしたものかなと顎を擦る。
「一度ならって、煙か何かを幽霊と見間違ったってことかい?」
それまで口を挟む暇もなく、黙って聞くに徹していた優介が口を開く。
「煙ね。確かに煙やら湯気を見間違えるってのはあり得る」
飛鳥はそれに頷き、しかし、この部屋で煙や湯気は無理だろうと部屋を見回す。
庵と言うだけあって、六畳間は綺麗で質素なものだ。土間は入り口近くと遠く、煙や湯気がこちらまで来ることはないだろう。
「幽霊を見た夜の灯りはそれだったかい?」
飛鳥は部屋の隅に置かれた行灯を指差した。それに藤本ははいと頷く。
行灯はどこにでもある一般的なものだ。飛鳥は近づいて見てみるが、特に変わった様子はない。これに仕掛けがあったわけではないようだ。
「山の中の夜って暗いんですよね」
優介も何かないかときょろきょろ目を動かしつつ、そんなことを考える。江戸の町中は家から漏れる灯りや居酒屋の提灯、蕎麦屋の提灯などぽつぽつと灯りがある。しかし、こんな山の中では他の灯りはないだろう。
「そうですね。真っ暗です。一人でいる時は、日が暮れるとさっさと寝てしまいますよ」
藤本はそう言って首の後ろを掻く。
「では、幽霊を目撃した日は例外的に遅くまで起きていた。なるほど、これで相手は高橋が泊まっていることを特定できたわけか」
飛鳥はふむふむと頷く。外から高橋が訪ねて来ているのか、確認するのは簡単だということだ。
「そうだとしても、犯人は真っ暗な中でずっとじっとしてなきゃならないよね」
優介はその辺はどうなんだいと飛鳥に訊く。今のところ犯人がいることを前提に話が進んでいるが、そもそも、犯人がこの辺りに潜むことが難しいのではないか。
「別にここまで道がないわけじゃない。八王子には宿屋もある。夜、脅かし終わればさっさと退散すればいいさ」
それに関して飛鳥は悩むことなく言う。
「じゃ、じゃあ、本当に幽霊の仕業ではないんだな」
高橋は少しほっとしたように言った。確かに幽霊を見たから何とかしてくれというのが依頼内容だった。飛鳥は雨月と話してから完全に人為的仕業だろうとしか考えていなかったから、そう言えばそうかと今更だった。
「大体、幽霊が示し合わせて四人で次々出てくるってのは奇妙だろう」
飛鳥は、人為的と考えていた理由を述べて、幽霊じゃねえよと断言しておく。何度考えても、この点が幽霊の可能性を真っ先に排除してくれる。
「まあ、そうですよね。恨んでいるのならば個人個人で来ますよねえ」
高橋はそれもそうかと顎を擦っている。この男、振られる側のことを解っているのだろうか。そこが不安だ。
「証文まで書いた相手というのも意味深ですもんね。高橋さんの性格からして、証文なんてなくても出てきそうだ」
優介がうんうんと頷いている。さらっと酷いことを言っているうえに、この男はあまり考えていないなと、飛鳥は溜め息が出そうだった。本当に、どうしてこの男は戯作者になろうと思ったのだろう。
「藤本さん。ちょいとあちこち見ていいかい?」
飛鳥はここで駄弁っていても結論は出ないと、検証を始めることにした。それに藤本はどうぞと簡単に許可してくれた。
「調べるって言っても、何もないですけど」
世捨て人同然の生活をしている藤本は、それだけ付け加えた。確かに生活空間である六畳間に置かれているのは行灯と経机だけ。経机には経文が載っていて、写経をしていることが解る。着物と布団は纏めて押し入れに入れられていた。
「必要最低限ですね。ふうむ」
飛鳥は幽霊が出た時に透けて見えたという障子に触れる。こちらも特に変わった様子はなかったが
「ん?」
ざらっと指に何かが付いた。見ると白い粉だ。
「何だ、これ」
よく見ると障子の桟に白い粉が付着していた。さらにあちこち見て回ると、掃除しきれなかったかのように、白い粉があちこちに残っている。
「ははん。なるほど」
これはまた随分と奇術めいたことをやったらしいぞ。飛鳥は粉を見てにやりと笑う。そして次に藤本を見た。藤本は僅かに首を竦める。
どうやらこの幽霊騒動に藤本も一枚噛んでいるらしい。それは犯人に脅されてなのか、自ら協力することになったのかは不明だが、少なくとも、彼は見た物が幽霊ではないことを知っていたのだ。
「どうしたんだい? 飛鳥さん」
相変わらず呑気な優介は、庵での生活って憧れますねえと、一層呑気なことを言っている。
「ううむ」
ただ、ここで高橋だけが目撃していたのならば、藤本が幽霊の役も演じたのではと疑えたが、彼は高橋と抱き合っている最中だった。ここがややこしい。
「解りそうですか?」
高橋は幽霊の出た庵に住み続ける藤本を心配しているのだろう。何とか解決してくれと、その目は真剣だ。
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