第4話 思わぬ情報源

「ああ、その事件ならば知ってます」

 そして案の定、菫は知っていると目を輝かせた。

「不思議な事件ですよね。被害者の女の子たちは何があったのか、全く喋ってくれないんですよ。でも、とても楽しかったとは言うんですよね。大人がどれだけ確認しても、怖い思いなんてしていないって」

「何だって?」

 妙に詳しい情報が出て来て、飛鳥は思わず驚いた声を上げてしまう。それに菫は気をよくして、聞いてくださいよと続ける。

「実は神田で被害に遭った子の両親と知り合いなんです。それで親御さんに何があったか聞き出してくれないかと頼まれて、ちょっと話したんですよね。そしたら、いなかった三日間はとても楽しかったって言うんです」

「なっ、知っているのか。被害に遭った子と?」

 そこで飛鳥は思わず菫の手を握ってしまう。それに菫は顔を真っ赤にして、しかし嬉しそうにそうなんですと頷く。

「でも、ああ、内緒にしてくれって頼まれていたのに。でも、判じ物の先生ならば大丈夫ですよね。この事件を調べているんだし」

 そしてもごもごと口の中で言い訳をしていた。

「さすがは菫さんだ。ここらで知らない人はいない気立て良しだが、こんな困った事件でも頼られるだなんて」

 複雑な顔をしている菫に、優介がすかさずそう褒めそやす。しかし、菫は優介の方をぎっと睨むと

「煽てても一本つけるなんてしませんよ。まあ、そういうわけですから、被害に遭った子たちは怖い思いはしていないみたいですね。三日間、不可解に家を空けたことになりますけど、何もなかったってわけです。奉行所もそれじゃあ調べようもないって感じでしょ」

 と早口で捲し立てる。

「まあ、そうだね。だから俺も飛鳥さんに相談してくれって頼まれたんだけど」

「へえ、どちらの方から」

「そいつは秘密で」

「私に喋らせておいて、そっちはだんまりって不公平です」

 菫と優介がぎゃあぎゃあと言い合うのを横目で見つつ、飛鳥はますます訳の解らない事件だなと思っていた。

 小児性愛者の犯行かと思っていたが、どうやら完全に違うらしい。

 それが今の証言を受けての印象だ。

 しかし、何もされなかったというのは奇妙でしかない。

 ひょっとして、子どもたちに上手く口止めしているだけか。脅している可能性はないだろうか。

「なあ、菫さん。その子、紹介してくれないか?」

 全く判別がつかなくなった飛鳥は、優介と言い合う菫に向けてとびきりの笑顔を向けた。

 それに、菫だけでなく優介もドキッとしてしまったのだが、効果としては抜群だ。

「そ、そうですねえ。親御さんはやっぱり何かあったんじゃないかって気味悪がっていますし、判じ物の先生ならば、向こうも納得してくれるかも」

 口では躊躇う菫だが、今まで無視されていたのに、にっこりと微笑んで見つめられて、顔がにやけるのを止められない。

「じゃあ、ちょいと先方に確認しておいてもらっていいかい?」

 ということで、飛鳥はとびきりの笑顔を浮かべてそう押し切ったのだった。




 二日後。菫から神田の家の了承が取れたとの連絡があった。そこで優介と連れだって神田に向うことになる。それには何と菫も同行するというので、三人は神田明神で落ち合うことになっていた。

 しかし、朝から優介は飛鳥のいる裏長屋にやって来るなり

「ずるいんだからなあ、飛鳥さんは」

 と愚痴を零していた。

 普段は無視しておいて、仕事に都合のいい時だけ笑顔を振りまくなんて。ちっとも菫のことを好きだと思っていないのに、振り回すなんて。

 そう思うと自然に愚痴が零れてしまうのだ。

「居酒屋で何か情報が集まれば御の字だと思っていたが、まさか菫さんが知っていたとはね」

 それに対し、飛鳥は寝転んだままにやにやと笑うだけだ。

「飛鳥さん、本当は菫さんが気になるのかい」

「さあね」

「うっ」

 ここではぐらかされると辛いのは優介だ。

 もし飛鳥が菫に本気になったら。自分の居場所はなくなることだろう。そう思うと、どんよりとしてしまった。

 もちろん、菫の気立ての良さは優介も気に入っている。しかし、旗本の次男坊である自分には、菫と一緒になるのは難しい。その点、素性が知れぬところがあるとはいえ、飛鳥は町人のなりをしている。付き合って結婚するのに障害はない。

 となれば、結婚まですぐだろう。菫は飛鳥にぞっこんなのだ。話が纏まるのは早く、飛鳥はこの裏長屋から出てどこかに移ることになるだろう。どこかで居酒屋を開くかもしれない。二人は仲睦まじく生き、やはり戯作者の自分に入る余地がなくなる。子どもなんて生まれたら尚更だ。

 どんどん暗い空気を発する優介に、さすがの飛鳥も嫌気が差してきた。

「優介。お前さん、また変な妄想をしているね」

「も、妄想って。ええっ、ううっ」

 妄想と切って捨てていいのか。すぐやってくる未来じゃないのか。優介は妙な呻き声を上げてしまう。

「安心しろ。俺は菫さんに惚れちゃいない」

 どこまでも勝手に落ちていく優介に、飛鳥は諦めてそう言った。すると、がばっと優介は顔を上げる。

「本当か」

「ああ、女に興味はない」

「あの、それはそれで心配になるんだけど」

 この綺麗な顔で女に興味がないだって、と優介は目を細めてしまう。そして、よくやって来る雨月の顔が浮かんだ。

 あちらも素性が知れぬところがあるが、武士の身分であるらしい。それが裏長屋に住む町人のなりをした男を訪れてくる理由は――

「ま、まさか、雨月さんと出来・・・・・・」

 そこで優介の意識が飛んだ。

 飛鳥の遠慮のない拳が顔面に炸裂し、昏倒する羽目になったのだった。

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