第3話 居酒屋・弁天屋

 二人は馴染みの居酒屋である弁天屋べんてんやへとやって来た。縄暖簾なわのれんを潜るとすぐに

「いらっしゃいませ」

 と看板娘のすみれが出迎えてくれる。可愛らしい笑顔が特徴的な娘で、溌剌とした性格をしている。

「あら、先生方、いらっしゃい」

 誰が入ってきたのか確認して、菫が言い直す。しかし、先生方と言っている割りに視線は飛鳥にしか向いていないことを、優介は気づいている。が、それを指摘するほど野暮ではなかった。

「いつもの頼む」

 飛鳥は菫の熱心な視線には気づいていないかのように、素っ気なく注文をして空いている席に座った。

 店の中はすでに仕事が終わった職人や行商人たちで賑わっている。ここは安くて美味いと評判で、いつも混んでいるのだ。

 さらに、その中には看板娘の菫を目当てにしている連中もいる。だから余計に混雑するのだ。それは菫がたまに休んだ日に顕著に表われるのだから、これもこの店の面白さの一つである。

「はい、お酒とねぎま、それと切り干し大根ね」

 二人が座って周囲の様子を眺めていると、いつも最初に頼んでいる品が到着した。これでしばらく飲んで、後はその時の気分で頼むのが定番だ。

 ちなみにねぎまは現代とことなり、ネギとマグロの身を鍋で煮たものだ。江戸ではマグロが多く捕れたのである。

 運んで来た菫はしっかり飛鳥の整った顔を堪能してから去って行ったが、この場合も飛鳥は無視しているかのように無反応だ。

「飛鳥さん、菫さんに冷たくないかい?」

 手酌でさっさと酒を飲み始める飛鳥に、何か思うところはないのかと思わず確認してしまう優介だ。

「そういうお前さんは菫が気になるんだな」

 しかし、飛鳥はにやっと笑ってそう返す。それに優介は僅かに顔を赤くしたが

「気になるというか、可愛いなあとは思うよ」

 と、しっかり言い返してきた。飛鳥はその反応に笑ったが、自分が菫に対してどう思うかについては口にしない。いや、口に出来なかった。

 もちろん優介と同じく可愛いと思うが、所詮は種族が違う。優介の抱える武士と町人の差よりも大変な差だ。恋心を抱くことはない。だから、菫がどれだけ熱心な目で自分を見てきても、気にしないようにしていた。

 そこからしばらく二人は黙って飲み食いしていたが、お腹が落ち着いたところで優介が口を開いた。

「それで、明日から調べるのかい?」

「まあね。とはいえ、まだ情報はないに等しいな。三件起こっているってことだが、どこの誰だか優介は知っているのか?」

 ちびちびと酒を飲みながら、もう少し情報はないのかと飛鳥は確認する。

「ええっと、ちょっと待ってくれ」

 優介は懐から帳面を取り出すと、吊り行灯あんどんの頼りない光りの中、書き付けたものを探す。

「朝でもいいぞ」

 細かい字でびっちり書き込まれていることが解る飛鳥は、苦笑してそう言った。あの帳面は事件のことだけでなく、優介が創作のためにとあれこれ書き付けているものなのだ。

「いやいや、ちょっとでも解れば思い出せるから。ああ、あった。最初は日本橋の近くだな。夕方、近所の店まで使いに出ていた九つの娘が攫われたんだ。そして三日後、家に戻ってきている」

「ほう。随分と大胆な犯行だな。日本橋だったら目撃者もいただろうに」

 日本橋といえば魚河岸、青物市場があり、さらには商店が連なる地域もある。人通りは多く、犯行には不向きのように思えた。

「いや、逆に人が多いからやりやすかったのではないか。子どもが夕方以降に一人で出歩くのは滅多にないことだし、人波に紛れてだろうと、これは知り合いの同心の見解だ。他の二件も人通りの多い場所だったな。深川と神田だ」

「なるほど」

 確かにそれは人混みを利用しての犯行だろう。ということは、犯人は江戸中をうろうろとして、幼子を見つけると連れ去るのだろうか。いや、それだと連続した事件と認識されるはずがない。

「立て続けに起こっているんだったよな」

 飛鳥の確認に優介はそうだと頷いた。

「日本橋の事件から十五日経って二件目、そこから十日ほど経って三件目だな」

「ふうむ。ということは、一月に二件起こせばいいと犯人は考えているのだろうか」

「かもな。しかし、そう簡単に幼子が歩いているのが見つかるものかな。被害者は三人とも十歳前後だぞ。お使いを頼むにしても、そう遠くにやることはないだろうし」

「そうだな」

 意外と難しいと、追加で頼んだイカの炙りを囓りながら飛鳥は悩む。単純に小児性愛者の犯行かと考えていたのに、それだけでは説明できないものばかりだ。

「難しい顔をしてどうしたんです?」

 そこに酒の追加を運んで来た菫が、我慢できなくなったのだろう声を掛けてきた。

「ああ。最近続けて起こっている幼い女の子の誘拐事件についてだよ。飛鳥さんにちょっと考えてくれないかと依頼が来ているんだ」

 それに優介がすかさず答えるのだから、飛鳥は顔を顰めてしまう。とはいえ、自分を頼ってくるような事件だ。すでにあちこちで噂になっているだろう。秘密にする理由はない。

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