遺書
結局のところ、春を迎えることはできなかった。素晴らしい夏にももう出会えない。
推敲をしようと思っていたが、どうやら俺には、もはや筆を握る気力すら無かったようだ。この小説を誰かに見せる気もない。応募はしない。
きっと、清掃業者の手によって何も顧みられることなく可燃ごみの袋に放り込まれるだろう。だが、それでいい。
妻と一緒であればどんなによかっただろう。いつかの日記で書いたが、妻は、ある春の日に、唐突に命を奪われた。子供と一緒にだ。
それからは一人で生きてきた。厳密にいうならば、飼っていた黒猫がいたが、それも二年前に死んだ。こちらは寿命だったから、まだよかった。
俺は、彼女をこの世にとどめておきたかった。だから、小説を書き始めた。彼女をモチーフにした作品を多く書いた。それが、彼女が死んでから一年間の間、調子づいた言葉で言うなら、初期作品だ。
その時は楽しかった。彼女がほんとうに蘇ったように感じた。目の前にはいなくても、頭の中で簡単に想像できた。創作さえ続けていれば、俺と彼女はずっと一緒にいられるのではないかと思った。
中期作品は、彼女の範疇から飛び出したものを書いた。「創作行為」の楽しさに気が付いたといったほうが正しいだろうか。完全オリジナルの登場人物を作り、構成や展開を熟考した。
自分は何でも書けると思った。世界を創れるんだ、創造主なんだと思った。しかしその源は、無限ではなかった。
後期作品は、何を書いたらいいのかわからなくなったままで、とりあえず筆を動かしているだけの駄作しかない。「作品」と呼ぶことすらおこがましい。
過去の自分に負ける気がするから、原点回帰だけはしたくない、かといって新しいプロットを創れるわけでもない。俺の創造力は、とっくに底をついていた。
そんな状態で始めたのが、この日記だ。初日に書いた通り、言葉の掃き溜めが欲しかったというのが理由だ。
しかし、それは不思議なもので、言葉は吐けば吐くほど無くなっていくらしい。ぞんざいに扱った言葉は、俺の口から発されるたびにその意味を削っている。次第に薄っぺらい言葉になって、今度はそれを使うことが躊躇われる。
「愛してる」と、一日一回、毎日恋人に言い続けてみるといい。突然の本心の吐露に初日は驚き、頬を赤らめた恋人も、一週間後にはそれを聞き流すようになるだろう。それと、だいたいおなじことだと思う。
俺が人生を諦めたのはそういうことだ。もう何も書けなくなった。彼女の痕跡は、不完全なままで残った。心残りではあるが、許してほしい。
では、またいつか
或る偉大な小説家の日記 大地 慧 @kei_to_sora
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