西瓜(すいか)

西乃狐

西瓜

 縁側のない庭先にホームセンターで買ったアルミ製のベンチを据えて、急ごしらえの縁側にしてみた。


 これが案外と按配がいい。


 四方八方から鼓膜を揺らす蝉の鳴き声が、体感温度を上げる。


 風鈴の風情など、蝉の傍若無人の前では何の役にも立たぬ。そもそもそれを鳴らす風が無い。


 羽化して間もない蝉の抜け殻が宿主を失って尚、器用に葉に留まっている。


 これは通販で買った小洒落た蚊取り線香入れから、微かに白い煙が立ち上る。


 その隣には少し煤けた白い皿が一枚。


 蚊取り線香だけでは効かないので、あらかじめ虫除けスプレーも使っている。けれど、必ず薬効の及ばぬ部分があって刺されてしまう。

 耳なし芳一の時代から人はいかに進歩していないものか。


「西瓜、切ったわよ」


 母が大きな皿に赤い三角を並べて運んで来た。


 半月型に切られた西瓜の方が絵にはなるように思うが、食べやすさで言えば三角だろう。正確に言えば底辺は弧を描いているから扇なのだろうけれど。


 母は縁側風ベンチまでは出ず、フローリングの上に麻のカバーを掛けた座布団を敷いて正座をする。

 半分ほど巻き上げた簾が、ちょうどその顔に影を作った。


 扇風機の風をこちらに向けたようで、余計に蚊取り線香など意味を成さなくなってしまう。

 風鈴はその風よりも高い所で沈黙を守っている。


 頂点をとうに過ぎ、隣の家の屋根に近づく太陽。


 庭から見上げる狭い空には雲ひとつない。


 こんな狭い空に小さな煙を立ち上げただけでもちゃんと目印になったのだなぁと、ほんの刹那感慨に耽る。


 夏の空気を我が物に泣き叫ぶ蝉々。


 じっと黙り込む風鈴。


 細い葉にしがみつく蝉の抜け殻。


 蝉の声に散り溶ける蚊取り線香の煙。


 よく冷えた西瓜。


 甘い——。


 目立つ種だけはあらかじめ取り除いてかぶりつく。


 口に入った種は、庭に吹き飛ばすようにして吐き出す。毎年こうしていても、庭に西瓜が成ることはない。


 いくら気をつけても手は確実に西瓜の汁塗れとなる。それを見越した母は西瓜の皿の横に固く絞ったおしぼりを置いてくれているが、途中で拭ったところで元の木阿弥だから、気にせず次の扇だか三角だかを手に取ってかぶりつく。


「うまいなあ」


「甘いねえ」


 母は口をつける前にフォークを使って丁寧に種を皿に落としている。種の無くなったところだけを小さく食べるが、それでも口に入った種はいったん手に出してから皿に並べている。かと思えば、端の方を二切れ食べただけで、おしぼりを使い始めた。


「あなたはほんとにきれいに食べるわねえ」


 明らかに母が食べ終えた皮の方に赤い実が多く残っている。幼い頃は夏になると甲虫や鍬形を買ってもらって飼っていたので、西瓜の残骸は彼らの餌になった。わざと少し赤いところを残しておいたりしたものだ。


「もう食べない?」


 分かっているけど聞いてみる。


「もうお腹いっぱい。あとは全部食べて」


 黙って次の一切れを手にすることで、了解の意を示す。


 ひと玉の八分の一程度だっただろうか。晩御飯はいらないと思えるほど腹は膨れた。


 そう思いつつも夕飯の時間になればまた食べるのだ。


 西の空が濃く色づき始めた。


「晩御飯は何だろうなあ」


 誰にともなく呟く。


 右腕に止まった蚊に気づき左手で叩くが、逃がしてしまう。

 盆に殺生は不謹慎だろうか。


 母は皿を片付け始めた。


「何か食べたいものある?」


 皿を持った母がよっこらしょっと声をかけて立ち上がる。


「母さんの作ったロールキャベツが食べたいなあ」


「もうずいぶん作ってないね」


 母の作るそれは一般的なものよりも和風な味付けだ。ネットで検索しても同じようなものは出て来ない。


「そろそろかなあ」


「そうだねぇ」


 正しい作法など知らない。


 迎え火の名残りの煤が少し残った白い皿に、苧殻で小さな山を作って燐寸を擦った。


 白い煙と黒い灰に分離する。


 煙は天にいざない、灰は地に残る。


 振り返れば母はいない。


 仏壇の飾りも片付けなければ。


 何か月かぶりに、亡母を思って泣いた。






『西瓜』 ——了——

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