拉麺/らあめん

西乃狐

拉麺/らあめん

 昼間、眼科に行ったわたしは敦史あつしの頭を撫でながら診断結果を報告した。敦史は男のくせに女のわたしに腕枕をしてもらうのが大好きなのだ。


「今日医者からさ、血も涙もない人間だって言われたんだよ」


「何科で診てもらえばそんな診断をしてくれるの? やっぱり精神科?」


 子どもっぽくて馬鹿だけど、正直者で優しい人だ。彼の良さはわたし以外の女には分からないと自負している。


「眼科だよぉ」


 彼は不思議そうな顔でわたしを見た。そんな彼は小動物のように愛らしい。


「でも、里奈ってテレビ観ててもすぐぼろぼろ涙零して泣くじゃん。こないだはコピー用紙で指切っていっぱい血が出たって言ってたし」


 愛らしいけれど、この話が通じなさはもう少し何とかしてもらいたいとも思う。


「本当に血も涙もないわけがなかろうが。わたしを何だと思ってるんだよ」


 正しくはドライアイと診断されただけのことだ。けれど、そこまで言っても通じないのが彼だ。


「ドライアイ? ドライアイスを水につけて煙出して遊ぶのは好きだけど」


 天然かボケか分からない発言は突っ込まずにスルーした。この程度のことでイライラする時代は乗り越えたのだ。


 そこから近視だ乱視だという話の流れになって彼が思い出したのがこの拉麺ラーメン店だった。


「そういえば、こないだ仕事中に検索して遊んでたら、目に良い拉麺店ってのが出てたよ」


「仕事中に遊んでちゃ駄目じゃん」


 彼は何やらコンピュータ関係の仕事をしているらしい。詳しいことは何度聞いてもさっぱり理解できないけれど、馬鹿なくせに仕事はできるのだとか。本人曰くだから、本当かどうかは怪しいところだ。


「ブルーベリー拉麺とかかな? 紫色してんのかな? 美味しくなさそう」


 そんなこんなで彼と一緒にこの拉麺店に来るはずだったのに、直前になってドタキャンされた。なんでも彼の会社が納品したシステムにバグが見つかって大変なことになっているんだとか。


「三日くらいは泊まり込みになるかも。里奈ひとりで行ってきて。行き方はアイちゃんが知ってるから」


 アイちゃんというのは、これも彼が仕事中に遊びで作ったというスマホで使える簡易型AIだ。AIだからアイちゃん。馬鹿の考えることは単純だ。


==次の角を右でーす。


 アイちゃんは愛らしい声で優しく道案内をしてくれる。でも間違えるとすぐ怒る。


==行き過ぎだろ。すぐ引き返せ。


 どぎつい言葉を吐きながらもスマホの画面で笑っているアイちゃんの左の頬の辺りには、エマージェンシーと表示されたボタンがあった。


「これは何?」


 そう尋ねたら、彼は気まずそうに笑った。


「カッコよくしようと思って作ってみたけど、まだ何の機能も無いダミーだよ」


 辿り着いた拉麺店。

 水を持って来てくれた店員の言葉がまず理解できなかった。


「なにし?」


 何だ?

 住んでる市を訊かれてるのか? 

 それ以外には何の漢字にも変換できないわたしが悪いの?


 わたしが外国人に話しかけられたみたいなリアクションをしていると店員が言い直した。


「近視? 乱視?」


 ああ、そういうことか。合点がいったわたしは両方と答えたら、店員は満足そうに奥に引っ込んだ。


 で、出して来たのがこの拉麺だ。


 黄金のスープ。固ゆでストレートの細麺。そして、その麺の隙間からじっとこっちを見つめている目玉。そう眼球。それがこの拉麺唯一の具らしい。拉麺にする意味が分からない。


 こんなの食べられるわけがない。

 苦悩するわたしに、食べ終わった別のお客さんが声を掛けてきた。


「あんたみたいな若い人が思い切ったな」


 感心されたのか同情されたのかよく分からない。


「分かってるな。代金は自分の目玉で支払うんだぞ。じゃあな、達者でな」


 達者でいられるわけがない。

 何? この目に良いとかいう拉麺食べたら、自分の目玉取られちゃうの?

 どういうこと?

 じゃあ、この拉麺に何の意味があるの? 


 敦史に連絡しようにもスマホは圏外で使えない。

 そこでわたしはアイちゃんのことを思い出した。


「ねえねえ、あいちゃん」


==はいはーい。何か御用?


「このお店のこと、ちゃんと知りたいの」


==おっけー。ここガンキュウ亭は敦史さんがダークウェブを遊び回ってて見つけたお店で、中国薬膳の同物同治の考え方に基づいて、中でも目の悪い人向けに特化した拉麺店なんだ。近視の人には近視用の目玉を、乱視の人には乱視用の目玉を提供してくれるよ。自分の目玉を代金として提供するから、お金がなくても安心なんだ。


 どうぶつどうち?

 確か身体の不調がある場合は部分と調子の悪い場所と同じものを食べると良いという考え方だったはず。肝臓が悪けりゃ牛やら鶏やらのレバーを食べるみたいな。


 あの馬鹿。どうやればこんな店に辿り着くんだよ。

 冗談じゃない。何とかしないと。


「ねえ、何とかして。助けて、アイちゃん」


==おっけー。じゃあ、エマージェンシーボタンを押してね。


 そうか。それがあった。ああは言っていたけど、敦史もそこまで馬鹿じゃない。いや、馬鹿だけど仕事はできると言っていた。これを押したら彼と連絡がとれるとか警備会社に通報が行くとか、何かあるはず。


 お願い。そうであって。


 わたしは祈りながらエマージェンシーボタンを押した。

 敦史は馬鹿だ。馬鹿だけれど、嘘はつかない。わたしはそこに惚れたんだ。


 今回も敦史の言ったことは本当だった。


《了》

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