第6話 未来に向けて


 ぐったりと汗だくで階段で座り込むカートの頭の上に、タオルが一枚投げかけられた。そのタオルを手に取って階段の上段を見ると、手すりにもたれ、少年の顔を面白そうに見る魔導士のローブを羽織った黒髪の青年。


 貴族階級らしいそれなりのローブなのに、着崩しているせいであまり優秀には見えないが、凛々し気な姿に頼りがいを少年は感じる。


「ピアさん」

「大変そうだな?」

「誰のせいですか、ピアさんがあんな事を言うからですよ!」

「仕方ないだろう、あの場合。あいつの夢も守ってやりたいし、騎士団も強化されて一石二鳥だ」

「もう、本当に滅茶苦茶なんだから」


 あの出来事の後、アーノルドはもじもじしながら少女人形であるピアに告白をして来たのだ。


「あのね、ピアちゃん。もう少し大きくなったら、俺の婚約者になってみたりしないかなあって? カートの事を兄と呼ぶ事も俺は抵抗ないし」


 面食らい思わずカートの顔を見たが、妹と紹介しろと言ったのは自分であった。無下にも出来ず、ある意味では命の恩人でもある。はしかのような一時的な恋であろうという気配もあったから、ピアは適当な返事をしたのである。


「ボクは、カートより強い男じゃないと、興味ないから?」


 と。


 それからというもの、アーノルドは、暇さえあればカートに勝負を挑んでくるようになってしまったのだ。型も基本もあったものではないアーノルドに怪我をさせないよう、その腕を磨かせるのはなかなかカート側に体力を使わせており、それで少年は今日も疲労困憊ひろうこんぱいなのだ。


 少年は立ち上がると階段を登り、ピアの傍らに寄る。彼は猫のような金色の瞳を細め、微笑む。


「また、逞しくなったな」


 少年は少し身長が伸びていて、ピアを見上げはするが、ほんの数年で彼に追いつきそうであった。

 先日双子の丘に少女人形で行き、黒い水晶木すいしょうぼくの種を魔法の封印を施した箱に入れ、丘の岩場に隠れた神殿の遺跡に眠らせて来た。細身で小柄なカートはぎりぎり穴を潜る事が出来たが、今日の彼を見る感じ、もう少年にあの穴は無理そうである。


「毎日、育ってる気がする」

「今頃になって、成長期ですかね?」


 にこりと笑う。

 それを見ながら、魔導士は杖なしで歩き出した。まだ、ゆっくりとではあったが。


水晶木すいしょうぼくの方はどうですか?」

「かなり傷んでしまったから、もって十数年ってところだろうな」

「そうですか……」

「ヴィットリオ宰相が随分前から、枯れる事を想定して準備をしていたようだ。おかげで対応が楽になっている。あの人は、精霊の支配を受けつつも立派だったな。昔からそういう人だったんだ。ずっと国の将来をうれいていて」


 ピアは歩きながらカートの肩に手をかける。


「おまえ、本当に親子であることを公にしないのか? 宰相の家は国内でも有数の金持ちだぞ」

「僕はこれからもカート・サージアントとして生きていきます。だって家柄だとか身分を、ピアさんは気にしないでしょう?」

「ボクは気にしないけど」

「じゃあ、それでいいです。もしかして僕をあの家から追い出したいんですか?」


 金色の瞳を驚いたように見開くが、それが猫が驚いた時と同じで、カートを笑わせる。


「少年も言うようになったな。ボクはまだ、カートと暮らしたいかな。楽しいし」


 ピアに与えられた宮廷魔導士の部屋に二人は来ると、彼は棚から妖精の小瓶と革袋に入った薬を取り出して、カートに手渡す。


「グリエルマに妖精の小瓶を届けてくれ。あんまり食うと太るぞ、っていう言葉も、忘れずに伝えてくれ」

「それは自分で言ってくださいよ」

「こっちは、カルディアの蹄の薬だ」

「ありがとうございます」


 ピアは部屋の中央にあるソファーに座った。その対面には少女人形。いつもの戦闘のための服ではなく、いかにもお人形と言った風情のフリルとリボンのお姫様ドレスを着ている。その人形がカートの方を向いて笑ったように見えた。切ってしまったはずの三つ編みは元の長さに戻っており、その先にはアーノルドにもらった刺繍入りの白いシルクのリボンが結ばれている。


「ちゃんと使ってあげてるんですね」

「流石に婚約も結婚も無理だからな。絶対に負けるなよ、カート」

「善処します」


 笑顔と共にそう言い残して魔導士の部屋を出ると、まず女王のいる中庭の東屋に向かう。

 騎士団長と睦まじく、東屋の椅子に座る幸せな光景が見えた。二人の結婚式は城の修理が終わる来月だ。


「陛下、お届けものです」

「まぁピアったら。また、カートにこんなお使いをさせて」


 妖精の小瓶を手渡すと、彼女はそれを光に透かした。虹色の夢のようなお菓子。


「どうせ、ろくでもない伝言もついているんだろう?」


 ヘイグが笑いながら言う。


「正解です。食べ過ぎると太るぞ、と」

「もう、ピアったら本当に。あの人は相変わらず」


 そう言いながら、ヘイグの顔を見つめる若草色の瞳。

 二人の交わし合う愛に満ちた光景に、カートの心も温かくなる。

 この愛は苦しみを伴った狂おしいものではなく、重なり合い溶け合う穏やかなものであった。


 少年は続けて厩舎に向かい、すっかり馴染となったバッカスに声をかけた。


「カルディアの薬を作ってもらいました」

「おお、これで良くなるな」


 カルディアは石を踏んで蹄を割ってしまい、今はその治療中。

 二人で馬の手当をしていた時、バッカスが口を開く。


「カート、おまえは儂が昔仕えていたお屋敷のお嬢様によく似ているから、もしかしてお嬢様のお子ではないかと思ってしまっていた。動物と仲良くなれるところもそっくりだったから」

「そうなんですか?」

「でもまあ、あり得ないかな。お嬢様は盲目でね。そして儂にだけ、教えてくれたんだ、愛する人がいると」

「愛する人、ですか」

「添う事の出来ない相手だと。……相手が庶民で、同性である侍女だったから。二重の壁は流石に厚すぎた」

「……愛の形も、その表現方法も、人それぞれですから。どのような組み合わせであっても貫かれる愛は綺麗だと、その強さは輝きだと僕は思います」

「おまえは、本当に逞しくなったな」


 随分と丸くなった厩舎の主と、目を見合わせて微笑み合う。

 少年は立ち上がると、馬の首を優しく撫でた。


「治ったら、遠乗りに行こうね、カルディア」


 そうして欲しいと言いたげに、馬は鼻を鳴らしその顔をカートに摺り寄せた。


 バッカスに別れを告げて、カートは城壁に向かう。

 アーノルドに最初に連れてこられた、あの場所だ。


 そこから広がる風景は本当に美しい。


 これから、水晶木すいしょうぼくが失われても、この美しさを保てる国にしなければならない。


 人は選択を間違う事もある。戦禍に巻き込まれる事もあれば、疫病が流行る事もあるであろう。もはや、精霊の声を聞ける者はいない。そして間もなく失われる。種を残すかもしれないが、自分達はもうそれを植える事はないと思う。

 全員で力を合わせ知恵を絞り、これからはやって行かねばならないのだ。


 今後は、与えられた平和や平穏ではない。自分達でつかみ取って行く事になる。


 皆で考え、力を合わせて。

 己の言葉と行動に責任を持ちながら。


 最初は受け入れられない人もいるだろう。

 そういう人達を支え、導いていかなければならない。

 でも、人形にしてはいけない。

 考えさせ、選ばせるのだ。自らの意思で。



「お父さん、お母さん、エリザ母さん。僕、頑張りますね」



 もうここにはいない、愛する人達への想いを風に運んでもらい、少年は城壁を後にする。


 まっすぐに前だけを見る彼の瞳は、更に逞しさを増していた。





(完)

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