第5話 守りゆく力に変えて


 ヘイグは剣を構え、グリエルマを後ろに庇う。


「ヘイグ、気を付けて」


 黒い水晶木すいしょうぼくの根元は人の形を成していた。それは精霊の形でもあったが、ひたすら養分を渇望する本能の姿でもある。

 この国では精霊を神として崇めて来たが、精霊もこの世界のことわりの中にある生物の一種でしかないのだ。

 かつて魔力を養分にしつつも食物連鎖の底辺にいて、獣の餌となって絶滅しかけたその植物の、種の保存のための必死さ。


 自分を守れるのは自分だけ。


 とにかく、今は養分を。体を支える魔力を。


 グリエルマから感じられるその気配。城の外に出る事はヴィットリオに掴まれ彼の強い意思に阻まれていて叶わず、城内で見つけた御馳走に本体が自らやって来たのだ。


 ヘイグは騎士団の中で一番の実力派。体力もあり体格も良い。そして親友の影響か、知識もあれば度胸もあった。


「グリエルマ、必ず守るよ」


 そうは言うものの人間と精霊とが真正面から戦えば、体力の縛りのある人間の方が分が悪い。黒い根も黒い枝も素早く、数が多いのだ。限界がいつか来てしまう。

 ヘイグの額から汗が散る。だが楽しいとさえ思ってしまう。今自分は、自由に剣を振るっているのだ。守りたいと思う彼女のために、己の意思に従って。


 呼吸が乱れ動きが鈍り頬に枝がかすって血が散った。その傷を袖で拭いながら、間髪入れずに足元に来た根を切り落とす。

 しかしそれは囮で真後ろからグリエルマの首に枝から伸びた蔦が絡み、彼女は一気に持ち上げられる。首を絞められ、悲鳴すら出なかった。


「グリエルマ!」


 彼女の首に絡まる枝を切ろうとするが、高さが足りず剣は空を切る。


「ヘイグ、しゃがめ!!」


 少女の声がして驚いたが、ヘイグは声に従って咄嗟にしゃがんだ。

 その背を駆け上がり肩を蹴って、華麗に少女が飛んだ。

 体を捻り、渾身の力を込めて枝を叩き切る。

 空中に取り残された女王は落下を始め、その下に走り込んだカートが地面すれすれで抱き止めた。


「ピアさん、滅茶苦茶すぎますよ!」

「うまくいっただろう? 少年なら、僕の意図を汲んでくれると思っていた」

「汲めなかったらどうするんですか!」

「そんな、”もしも”はないだろ? ボク達はいつも完璧だ」


 くるりと反転し、続けざまの枝の攻撃を少女人形は避ける。


「まさか、ピアなのか!?」


 金色の、猫のような瞳。


「ご明察」

「なんで女の子なんだ」

「そういう話は、またおいおいとしようじゃないか、親友」


 ヘイグは笑った。どんな姿であってもピアはピア。気ままで活動的な、魔導士らしからぬ行動をする口の悪いあの男なのだ。


「おまえ、魔導士より剣士向きだったのか」

「どっちも楽しいから、選べないな」


 カートはグリエルマをヘイグのかたわらに下すと、剣を構え精霊に向かって駆け寄って行く。人を縛り、操り、本人に望まぬ事をさせる事は到底許しがたい事である。

 母の願いと、父の想い。ピアの父と兄のかたきでもありそうだった。


 ここに今は在ってはならぬもの。


 人の世界は人が作らなければ意味はない。

 自分達は人形のままでいてはいけないのだ。

 傀儡くぐつを作りだし、己を守る事だけに力を使う精霊に従って生きて行く未来を思い描く事なんて、少年にはもうできない。

 

 自らの意思で未来を切り開く。人はそういう存在であるべきなのだ。

 楽な方へに向かう事は簡単。

 だが、生きていれば、必ずいつか登り坂に出会う日が来る。

 その時に、登る力を失っていてはいけない。


 先に進むためには自らの足で歩くしかないのである。

 流されて運ばれて掴める未来はない。


 辛い事にも耐える事も時には必要で。

 経験しいろんな事を知って行く。

 どんな出来事もすべて自分の力に変えて。



 カートは次々と迫りくる黒い枝を払い除け、絡みつく根を切り落とす。

 ピアがちょろちょろと動き回る事で、精霊の視線をカートに集中させないようにしながら、あわよくば自分が肉薄してやろうという様子を見せる。


 籠められた魔力の気配からか、精霊はカートよりも少女人形の方に意識が向きがちであったので、徐々にカートは距離を縮める事に成功した。

 

『イキタイ、イキタイ、シニタクナイ』


 悲痛な言葉が聞こえた気がする。人に言葉を伝えられないはずの黒い水晶木すいしょうぼくの精霊の声が。


「あっ!」


 カートの右腕に蔦が鋭く絡まりつき力任せに縛り上げられ、少年はたまらず剣を取り落とす。

 続けて必死な黒い根がピアの猫の尻尾のような三つ編みを絡み取り、一気に引き寄せようとした。


「おっと」


 普段から人形はあくまで人形、として扱っているピアは、一切の躊躇もなく自らの髪を切り落とす。こういう時のために、一瞬の戸惑いの元となるものは最初から断っておくのが合理的に生きるピアの矜持でもあった。

 その引き寄せの勢いを利用して身軽に体を回転させカートの腕に巻き付く蔦を軽やかに切り落とす。

 少年はピアの行動を読んでいたように、蔦が切れた瞬間に屈みこんで剣を拾い上げた。


 流れるように、動きは連なって行く。


「ごめんね、僕らは相容れぬ存在なんだ。また芽吹く事を許されるその日まで、ゆっくり眠っていて。静かに眠れる場所を、僕がきっと探すから」


 この精霊も善悪で区別は出来ない存在だ。人にとっては悪に見えても、ただ生き残りたいだけの生物。生き残るための努力が悪とは言えないであろう。でも、今はダメなのだ。人と関わらせてはならないのだ。


 魔力が不足し動きの鈍った精霊に接すると同時に、カートの剣は精霊の体を貫いた。


 少年の、普通より少し長めの剣。

 魔導士の杖を加工して作られたそれが、黒い水晶木すいしょうぼくを中心から砕いていく。粉々に崩壊していくその体。


『……イキノコリタイ……』


 千切れるような声が、カートの心に残る。

 周囲から音が消え、荒れ狂っていた枝も根も姿を消して行った。



 精霊のいた石畳の上に、黒い不透明な手のひらサイズの水晶が落ちている事に全員が気づいたが、代表してピアがぴょこぴょこと歩み寄り拾い上げると同時に光に透かしてみる。


「種を残したな」

「何処かで、休ませてあげましょう」

「お前はほんと、お人よしだな」


 呆れたような口調だったが、嫌味はなかった。


「ボクが良い場所を知ってるから、落ち着いたらそこに」

「ピアさんも、人の事を言えないじゃないですか」


 少年は笑った。少し逞しくなったように見える、その笑顔。

 


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 広場に戻ると、騎士が数人しゃがみ込んで一か所に固まっている様子が目に飛び込んで来た。

 最初に振り向いたのは、アーノルド。彼はすっと立ち上がると、少年の方を向いて重々し気に口を開く。


「カート」

「先輩?」


 アーノルドが目線を向けたその先には、ヴィットリオ。静かに横たわるその姿。


「宰相閣下は、今しがた亡くなった」


 カートはそのかたわらに歩みより、膝を付く。


「お父さん、僕やりました。褒めてくれますか?」


 少年の瞳に、一気に涙が溜まる。


「もっと早く、親子としてお会いしたかったです」


 時々見せたヴィットリオからの愛情を伴う視線。母であった愛するアリグレイドの面影を追っていたのであろうが、もしかするとという思いもあったのか。それほどまでに優しい目だった。


 カートのために、何かをしてやりたいと思ったのであろう。

 ヘルハウンドでの指示は許しがたい選択ではあったが、理不尽な暴力を受けたカートのために怒り、二度とそのような事が起こらないようにとの思いの結果でもあり。

 ピアは直接カートを守ろうとし、ヴィットリオは原因そのものを排除しようとした。やり方の違いはあっても、それは少年のため。


 その冷たくなった胸にすがって泣いた。声を上げて子供のように。泣き方を知ってしまえば、こんなにも容易たやすく泣いてしまえるのかと。

 これで本当に、カートは天涯孤独である。育ての母を失い、命の父母も失った。


 でも。


「少年、ボクがいる。ずっとそばにいてやるから」


 歩み寄った少女人形は、カートの隣にしゃがみこみ、そう言った。

 少年騎士は、ピアに笑顔を見せた。


「はい……」


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