第4話 繋がれた者たち


「わっ! 何だこれ」


 切れた息のままでも、少年は叫ばずにはいられなかった。


 地面から黒い根と枝が突き上がり、うごめくその姿。石積みの壁が破壊され、あちこちで崩れている。

 ひたすら手を伸ばし、貪欲に獲物を求める姿は醜悪にも見えるが、生への渇望にたぎる、生き物としての本来の姿にも見える。


 あちこちで兵や騎士が、武器を持たない職員や使用人を守って剣を振るい、黒い根や枝に囚われまいとしていた。


 カートはピアの体を祠にもたれさせるように置くと、周囲を検めるように目を向ける。


「宰相とファンタムは?」


 二人の姿を求めて彷徨さまよわせた視線であったが、彼の目に留まったのは、黒い馬。

 愛馬カルディアの姿。


「カルディア! 何故ここに」


 走り寄って急停止した馬の勢いで、背中に乗せられた少女人形がずるりと落ちる。


「えっ、わっわっ」


 カートは剣を投げ捨てて、慌てて抱き止める。

 ぐったりとした、腕の中の少女。

 ピア亡き今、彼女は永遠に人形のままであるはずだった。


 が。


 少女の瞼がパカっと開き、猫のような金色の瞳が見えた。


「えっ」


 少女人形が続けて体を起こし、カートをじっと見る。


「ピアさん……?」


 ぴょこんと立ち上がると、伸びをして、身体を軽く伸ばす。


「でかしたぞ、カルディア。よく連れて来てくれた。距離が遠いと、ボクでもどうにもならないからな」

「ピアさんなんですね!」

「思っていたより自分の魔力が尽きるのが早くて焦ったが、人形に預けておいた分がかなり多いのだった。すっかり忘れていた」


 いつもの粗雑な口調、間違いなくピアであった。

 少年は黒馬の首を撫でて頬ずりをする。


「ありがとうカルディア、おまえは最高だよ!」


 馬は誇らしげにいななくと、自分の足元に伸びて来た根を踏みつぶす。


「いくぞカート。宰相を捕まえよう。あいつ、色々知ってそうだからこの際、全部喋ってもらう」

「カルディア、ピアさんの体をここで守ってて、お願い」


 馬は心得たという感じで、鼻を鳴らした。

 すでに駆け出しているピアを追いかけてカートも剣を拾って走り出す。

 少女人形は腰の背面側にく短剣を二本同時に抜き、その両手に構え、次々と襲い掛かる根と枝を叩き落とす。


「なりふり構わずだな」

「ピアさん、大変ですあれ!」


 カートが指さしたのは水晶木すいしょうぼくの広場。

 白い透明な大木に、絡みつくような黒い枝。


「おいおい、まさか姉の木の養分を吸い取るつもりなのか」

「行ってみましょう」


 走り出したカートの足に、シュっと黒い根が絡みつく。


「あっ」


 転倒しかけたカートの横をすれ違いざま、ピアの短剣が根を叩き切る。続けてピアの首に伸び、締め上げようとする蔦のような枝を、カートが一閃で刈り取った。

 流れるような連携。

 二人は目を合わせると、少年は笑い人形は無表情にうなずいた。


「ファンタムと宰相だ!」


 水晶木すいしょうぼくの根元に、対峙する二人を見つけたカートの声に反応したピアは、ファンタムのその姿に目を見張る。

 いつか見た紺色のマントは、実体にまとわれていて。


 長い金茶の髪。

 美しい顔立ち。

 閉じられたまぶたのせいで、瞳の色はわからない。


 だが。


 隣に立つ少年の姿と見比べる。


「おまえにそっくりじゃないか」

「……あれは、先代女王陛下だそうです……」


 眩しそうに、苦し気に、カートは絞り出すように口にした。


「お前を育てた母親は、城でどういう立場だったんだ」

「……先代女王陛下の……侍女です……」


 ピアは察した。カートの実の母親が誰なのか。


「なるほど」


 それだけ言うと、ピアは白い木にまとわりつく黒い枝と根を払い始めた。


「まだこいつに枯れられるのは困る」


 少年は、ファンタムと宰相の静かな対峙を見つめている。

 美しい女性は杖を構えているだけで何もしていないのに、ヴィットリオは、少しずつ後ずさりをしているのだ。アイスブルーの瞳と変わらないほどに、顔色は蒼白である。


「アリグレイド……」


 カートは女性のそばに歩み寄った。彼女は、瞳に何も写せないにもかかわらず顔を少年に向け、うっすらとまぶたを上げてその青い瞳を見せて微笑んだ。


「やはり、その子は……、カートは……あの時の……?」

『はい。私達の、愛する可愛い息子です』

「お母さん……なんですね?」


 少年は見上げるようにその顔を見た。


『ヴィットリオ、気づいてください。貴方も縛られている事に。貴方は自分の意思で行動していると信じているようだけど、私には糸が見えます。私が縛られていたのと同じ、銀色の糸が』

「な……!?」

『あの罪を犯させられ、種を植えさせられ、肥料代わりの魔導士狩りに奔走させられて。可哀相なひと』

「私は、私の意思でやってきた。水晶木すいしょうぼくの精霊も、国の発展に利用しただけだ。私は操られてなどいない、私には自分の意思がある!」


『意に沿わぬ間違った事をさせられている事にも、気づかないままで……?』

「間違い?」

『貴方の私への愛は本物だった。なのに貴方は、私を黒い水晶木すいしょうぼくの生贄にした事に、心を痛める事もなく……利用した』

「あ……。……ああ……うう」


 ヴィットリオはふらりと身体を揺らすと、両手で頭を抱え、左右に振る。今までやってきた事が自分の意思なのか、精霊の意思なのかの区別が最早つかず身もだえる。わからない、わからないのだ。どれが、どこまでが自分の考えだったのか。


 アリグレイドはそっとカートを片手で抱き寄せた。


『私も意思を失って、精霊に命じられるまま、魔法を使って魔物を操り、罪を重ねてしまいました。でも時間が尽きて、朽ち始めた事でその縛りが緩んだのです。気づけば地下道を彷徨っていました。そのわずかな緩みで生じた自分の意思で、この子に賭けたのです。この子を騎士に叙任するよう、紙にしたためてグリエルマに託して。エリザならきっと、カーティスを立派に育ててくれていると信じていたから』


 まっすぐにアリグレイドはヴィットリオに顔を向けた。


『あなたの愛に応えられなかった、私を許してください。それが全てのはじまりだったのだから。でも、貴方も解放されて欲しい』


 カートを抱き寄せていた優しい腕がもやのように霞む。小さな光の欠片がその体から溶け出すように朽ちて行く体。ファンタムにされて十年。

 時間切れであった。


「お母さん……!」

『カーティス、いとしい子。愛しているわ、貴方は貴方の意思で強く……』


 鈴のような声。

 愛に満ちた微笑み。

 額に軽いキス。


 それだけをカートの記憶に残し、パァっと光の破片になって砕け散り、すべては静かに風に溶けていった。


 茫然と母であった光の破片に手を伸ばすカート。


 そんな少年に向かい、鋭く突き出される黒い枝。

 ピアは気づいたが距離があって間に合わない。


「「カート!」」


 ピアとヴィットリオが同時に叫ぶ。

 叫びながら自らの強い意思で走り出した宰相の体から、銀の糸が引きちぎられる。


 少年を押し鋭い枝の槍から庇い、それに貫かれたのはヴィットリオであった。


「お父さん!」


 少年の口から、自然と出た叫び。アイスブルーの瞳を細めると、自らの胴を貫いたその枝を掴む。


「もう、おまえの命令など……、操られて、たまるか」


 枝と根が狂ったように周囲で暴れはじめ、いくら断ち切っても次々と白い水晶木すいしょうぼくにまとわりつく。ピアが呆れたように叫ぶ。


「くそ、ダメだこれは。本体をやらないと」

「ここは俺達に任せろ!」


 手勢を集めた、アーノルド達が水晶木すいしょうぼくの広場に殺到して来た。


 宰相の元に駆け寄ったカートの頬に、ヴィットリオは左手を添える。いつものように、優しく、愛おし気に。


「カート、頼む。私の、私達の罪に、決着をつけてくれ。黒い水晶木すいしょうぼくは、今のこの国に在ってはならぬ物だ」

「わかりました」


 ヴィットリオはその右腕に力を籠め、枝を離さない。


「逃がさないからな」


 しっかりと枝を掴みながら、ヴィットリオの怪我の様子を見て躊躇している少年に強く言う。


「行け、カート。行ってくれ」

「……はいっ」


 後ろ髪を引かれつつも走り出すカートに、ピアもついていく。アーノルドはピアの方を見てちょっと頬を赤らめた。


「騎士らしい、かっこいいところを見せなきゃな!いくぞ、おまえら!」


 付け焼刃の剣技だが、枝や根を払うのには十分だった。彼らはどんどん白い木にまとわりつくものを排除しはじめる。



 小さくなるカートの背中を見送ったヴィットリオは、微笑んだ。



 一方通行の愛だった。

 報われぬ、恋だった。

 だが、本当に愛してた。


 この気持ちだけは、間違いなく、自分のものだ。


 あの日は幸福だった。

 あれが、操られた結果であったとしても。

 自分勝手ではあるが、心は確かに満ちたのだ。

 彼女の一番近くに、寄る事が出来た記憶。


 そのひと時の、幸福な思い出の結晶。


 アリグレイドは自分を愛してはくれなかった。

 しかし、カートを愛してくれていた。

 私達の、愛する息子と言ってくれた。


 それだけで、それだけで、十分であった。



――私の女王陛下。


――心から、お慕いしておりました……。


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