第3話 それぞれの対峙


「お兄ちゃん……いいえ、ヘイグ」


 甘えん坊の軽やかな少しだけ舌足らずの声で名前を呼ばれ、ピクリと大柄な騎士の体が反応する。

 勇気を出して彼をじっと見つめる、若草色の瞳。


 ヘイグは弱い男ではない。体だけでなく、心も。

 ずっと親友を思ってその恋心を秘め続けたその精神力。

 己を縛る自分以外の意思に気付き、抗おうとしていた。


「聞いて欲しいの、ヘイグ」


 そっと白い両手で、冷え切った幼馴染の青年の頬を包み込む。


「わたくしが、ピアを求めていたのは、恋じゃなかったの。彼がいなくなるのが寂しくて怖くて、引き留めたかっただけみたい。三人でいる、あの時間が好きだった。彼がいなくなったらその幸せな時間が終わってしまうって思っていたわ。だってピアったら、目を離すとすぐにいなくなっちゃうでしょう? 猫みたいに」

「グリエルマ……」

「貴方は、ずっとそばにいてくれた。いつも振り向けばそこにいて。だから何もしなくても、これからもずっといてくれるって、錯覚してたの。ヘイグはいつまでもわたくしのかたわらにいて、幸せにしてくれるって信じていたから」


 若草色の瞳に涙が溜まる。


「わたくしは考えたの、自分の気持ちをちゃんと。そしてその結果に責任を持つの。誰かに言われたわけじゃなく、自分で選んだ結論を自信を持って」


 幼い少女のようだった愛する女性が、その瞳に強さをたずさえ、大人びて見えた。誰よりも大切で守りたかった彼女。でも今は、彼女が精いっぱい手を伸ばし自分を守ろうとしている。


 親友ではなく、自分を。


「ヘイグ、愛してます、兄としてではなく、一人の男性として。これがわたくしが自分の心の声を聞き、出した結論。本当の気持ちです。今まで、貴方の気持ちに甘えるだけでいた、弱いわたくしを許してください」


 ヘイグの腕が動く。先ほどまで縛られたように、自分の意思では動かなかったその腕が。ゆっくりとグリエルマの華奢な体を抱きしめる。暖かで柔らかな具現化した愛の形そのもの。若草色の、春の妖精。


「愛してる、グリエルマ。ずっと愛してた。妹としてではなく、一人の女性として」


 ついに彼は自分の心を言葉にする事ができた。長い間秘めていたその想い。圧縮され、閉じ込められていた硬い心は解放されて行く。


 彼を縛る銀色の糸が、次々と切れた。


 褐色の瞳に生気が戻ったが、全力で支配に抗おうとしたのであろう、精魂尽きたといった有様で彼の体はぐらりと揺れて膝をつく。

 それをグリエルマは優しく支え、後はピアの無事を祈るのみ。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「なるほど、なかなかキリがないものだな」


 彼を中心とした足元の魔法陣から、鋭い風の渦が生じ、魔導士の周囲を囲っていた全ての根が切り落とされ、地面に落ちてガラスのように砕け散ったが、それは土に溶けるように消えたと思うと、再び鳴動と共に、地面を割ってピアを囲む。


――次は燃やしてみるかな。


 まるで実験をするように、楽しみながら彼は試し続けていた。しかしそろそろ、彼の魔力も限界に近い。

 まさか魔法がろくに効かないとは思わなかった、大誤算である。魔導士達が何の抵抗もせずにほふられたとも思えず、ピアもついに覚悟を決めた。


 この男は家族も身分も立場も……好きだった人ですら。更に言うならば、自らの命にすらあまり執着心はなかった。悪く言えば、簡単に諦めてしまうという事でもあった。足の事も努力のしようがあったのに、途中で諦めて今の状態であったし。

 少年と出会い、あがいてみようという気持ちになったりもしたが、あと一歩踏み込むべきところでやはり諦めてしまうという。


「ふぅ、ここまでか。指輪に記録を残してるが、少年はこれに気づいてくれるだろうか。まぁ、あいつの事だからきっと、ボクの意図を汲んでくれるだろう」


 この窮地にあっても、ピアは笑った。額からは汗が流れ落ち、疲れから立っている事も辛い。その足も、痛みを増しているのに。


 それほど長い期間ではなかったが、ピアにとってもカートとの生活は掛け替えのないものになっていた。性格はおそらく正反対なのに、カチッとハマり合うような息の合い方が心地よく。


「カートと出会えた事に関しては、精霊に感謝だな」


 続けて彼の足元に生じかけた魔方陣は発動の魔力が足りず、そのまま立ち消えてしまった。

 消え去った魔方陣のあった地面を見たピアは、口元に笑みを残したまま金色の瞳を閉じ最後の時を待つ。


 シュルっと鞭のようにしなった黒い根が、ピアの全身に巻き付いた。


「なるほど。魔導士は養分なんだな」


 僅かに残った魔力が吸い取られて行くのを感じる。魔力が吸い取られすべてが無くなれば、それは魂の支えも失う事を意味する。


――痛くも苦しくもないっていうのは、助かったな。


 こうなってしまえば自分にできる残された事は、親友とグリエルマの幸せと、カートの健やかな成長の未来を祈るのみ。一体、何に対して祈りを捧げるべきなのかはわからないが。


 意識がどんどん遠のく。


 暗闇ではなく、真っ白な世界が眼前に広がっていくのが見えた。死は暗闇ではないとこの研究熱心な魔導士は、人が最期に得るであろう知見を手に入れた。




「ピアさん!!」


 少年は階段を下りるのを途中で辞め、あと一階分程の高さを残して飛び降りた。タンッという大きな音を立て地面にいったん膝をつく勢いで降り立つと、ピアに駆け寄って剣を振るい巻き付いた根を次々と乱雑に切り落とす。

 鉄の刃で物理的に斬られたその根は地面に落ちて砕けたが、消える事なくそのままでいた。

 絡みついた根の支えを失ったピアの体は、ゆっくりと地面に伏して行く。すべての根を切り落とし終えた少年は、慌てて魔導士の体を支えた。青い瞳に涙が一気に溢れて来る。


「ピアさん! ピアさん!!」


 何度も呼んで、何度も揺すった。


「うっ、……うわぁあん」


――間に合わなかった。


 少年は泣いた。

 声を上げて。

 幼い子供のように。


 泣き方なんて、わからないと思っていた。

 最初から知らなかったのか、忘れてしまっていたのか。

 でも悲しければ、何もかもが勝手に溢れて来るのだ。


 しかも今、目の前にいるのは泣いてもいいと許してくれた人である。


「ピアさん、ピアさん……」


 どれだけ呼びかけても、少年の涙が落ちてその顔を濡らしても、金色の瞳は開かれる事なく重々しく閉じられたままで、その体も重力にすべてを預けていた。


 しゃっくりを伴った嗚咽をなんとか落ち着かせようと、周囲に目を向ける。そこにいつか見た水晶木すいしょうぼくの苗はなく、暗闇と静寂が支配する空間になっていた。しかし喧噪が、高い位置にある扉の方から漏れ聞こえて来る。


「……? なんだろ」


 少年は鼻をグスグスとすすり上げるとピアの体を背負い、剣を杖代わりにして階段を登り始めた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 神殿でも城内でも、騒ぎが起こっていた。


 黒い根が、地面を突き破り、人々を襲う。

 魔導士から魔力を吸い上げるつもりで多く消費したが、ピアの魔力が枯渇していたため、黒い水晶木すいしょうぼくは必死に栄養を求めていた。


 厩舎で馬達がいななき、暴れはじめたので、バッカスは必死になだめる。


「どうどう! 落ち着けおまえらっ」


 ひと際荒れ狂っていたのは、黒い馬。

 バッカスは馬を落ち着かせるために城外に出そうと、カートの愛馬であるカルディアを繋ぐ綱を解いて手に取る。


 馬はその鼻づらをバッカスにグイっと寄せて押しのけると、うずたかく積まれた飼い葉をその顔で掘り起こし始め、飼い葉に埋もれた少女人形の首の後ろにカプリと噛みつくと、その体を背に向かって跳ね上げる。

 馬は少女人形を背に乗せたままぱっと囲いを飛び越して駆け出し、城の中に向かって行った。


「な、なんだ!? あれは、カートの妹? なぜ飼い葉の中に、え? え?」


 バッカスは茫然と、それを見送るしかなかった。

 

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