第2話 かりそめの兄妹

 カートは鉄格子の扉を強くゆすってみたが、ガチャガチャと硬い音を立てるだけだった。握りっぱなしだったせいか、手のひらに鉄の匂いが染み付く。

 

「やっぱりおかしいよ、こんなの。精霊の言葉が絶対だなんておかしい。だってピアさんは無実だもん。処刑がしたくて、罪状を付けたようなものじゃないか」


 どうすればこの牢から出られるのか。自分は一晩だけ入れられる事になったようだが、明日になっては遅い気がするのだ。



――僕、ピアさんを守りたい。



 誰かに命じられた訳でもなく、心から湧き上がるこの衝動。

 熱い程の、自分の意思。

 これに従って行動したい。

 誰にも縛られず。



 鉄格子を握りしめ項垂うなだれる。手に再度力を籠めるが、少年の腕力でどうにかなる代物ではない。ファンタムがどのように協力をしてくれるのか。

 もうそれに賭けるしかないと思っていたカートの耳に、パタパタバタバタと落着きのない数人の足音が聞こえた。


「ん、何だろ」


 足音の方をなんとか見ようと、鉄格子に顔を寄せ、駆け寄るその姿に青い瞳を見開いた。


 それは地下道の調査メンバー。


「せ、先輩!?」

「何やってんだおまえ、どんくさいぞ」

「もしかして、助けに来てくれたんですか?」


 アーノルドが細い目を更に細めたので、まるで目がないようにすら見える糸目っぷりに。


「妹を連れてきた事を内緒にして、謁見の間で助けてくれた借りを返した。これはヘルハウンドの時の分だ」


 貸し借りの帳尻がこれで合う。

 予想外にアーノルドが義理硬い事に、少年は思わず笑ってしまった。


 アーノルドが腕を前で組んでふんぞり返っている間に、細身の少年が牢の鍵を開け、続けて太目の少年が牢から出たカートに彼の剣を手渡す。


「ありがとうございます」

「俺達がやれるのはここまでだ、後は知らん」

「十分です!」


 カートは走り出す。何処に連れていかれたのかわからないが、とにかくあの黒い水晶木すいしょうぼくをどうにかしないと、団長を元に戻せない気がするのだ。団長を元に戻せれば、ピアを助ける事も出来るかもしれない。時間との勝負だが。


 走り去るカートを見送ったアーノルドは、後ろに控える取り巻きに声をかける。


「人数を集めよう」

「えっ、これで借りは返したんじゃ」


 アーノルドは振り返り、後ろの取り巻き二人を見る。


「俺達は騎士だぞ。騎士には騎士のやる事があるだろうが。カートのあの様子では、これからきっと何か起こる。いくぞ」


 取り巻き二人は顔を見合わせたが、慌ててアーノルドについて行った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 カートは走る、神殿に向かって。


 途中で言い争う声が聞こえた。


「お兄ちゃんやめさせて! お願い」

「陛下、精霊が決めた事ですよ」


 グリエルマは泣きながら必死にヘイグにすがっていた。ピアを想って泣き叫ぶ女性の姿に、ヘイグの無感情な瞳は暗さを増して行く。


「女王陛下!」

「カート!?」


 少年の姿を認めたグリエルマが若草色の瞳を見開いたので、大粒の涙がきらめきながら散る。


 ヘイグの表情は硬く、カートが牢から出ている事に対しての反応がない。本人が思考しているなら気づくはずなのに。確実に精霊の支配が強まっている感じがした。彼を元に戻すにはどうしたらいいのか。ピアが何か言っていなかっただろうか。確か、足がかりにしているという感情があったはず。



――嫉妬。ピアさんに対する嫉妬か!



「陛下が、お好きなのは、どなたなんですか?」


 カートは叫ぶ。


「ピアさんが言ってました。貴女が精霊の声を聞けないのは強い感情がないからと。ピアさんに対しては、狂おしい程の愛情がないんです。もしかして心から欲する、本当の気持ちに、まだお気づきじゃないのでは」

「わたくしの、本当の気持ち……?」


 意外な言葉に涙が止まり、息を飲む。


 ピアに対する愛情、恋心を反芻はんすうする。彼を思えばドキドキしワクワクする。ずっとそばにいて欲しいと願い、あの金色の瞳に自分を映していたいと思った。



 だけどそれは。



――考えてグリエルマ。わたくしはどうして、ピアに惹かれたの?

  他人の言葉じゃなく、自分の心の声を聞くのよ。


 目を閉じて、再び開いたその若草色の瞳には決意。


「カート、騎士団長はわたくしが絶対に元に戻して見せます。だから貴方は、ピアを助けに行って下さいまし」

「はいっ」


 自分の意思を持ったグリエルマに今までなかった強い表情が宿る。柔和で優しいだけの妖精の姿ではもはやなかった。美しく気高い、大地の姿。若葉繁る、新緑の世界。

 カートはそれを見て、頷くと、女王に騎士団長を委ねる事にした。


 再び走り出した彼は神殿にたどり着き、以前登った階段の扉に向かうがその前に立ちふさがる影。


「カート、何故おまえがここに! どうやって牢から」

「宰相閣下……!」

「行くな!行かせない。きっともう終わってる、巻き込まれるぞ」


 急ぎたい。ここで足止めされるわけにはいかない……そう思ったカートは、手に持った剣を抜き、鞘を地面に捨てる。


「宰相閣下、申し訳ございません、力づくでも通らせてもらいます」


 剣を構えたカートの後ろに、気配。


「え?」


 振り向くとそこに、紺色のマント。宙に浮かぶ、空っぽのマント。


「ファンタム……!」

「アリグレイド……!」


 カートの発した名前と、ヴィットリオの発した名前は、異なっていた。


――アリグレイドって……先代女王陛下!


 青い瞳を見開いて、カートは宰相とファンタムを交互に見てしまった。

 ファンタムは、カートが投げ捨てたその鞘を、千切れるような欠片になった袖で拾い上げると、すっと優雅に構えて見せた。鞘は姿を変え、それは魔導士の杖に。盲目の人が持つ、白杖はくじょうにも似ている。


 同時に、マントに繋がる銀色の糸が音を立てる勢いで、全て切れて行くように見えた。


 ファンタムも杖と同じようにふわりと浮いたまま、その姿を変える。

 白く長い四肢、紺色のマントに紺色のドレス。

 腰に達するウェーブのかかった金茶の髪。閉じられた瞳。


 その美しい女性がカートの方を向く。

 僅かに開かれたその瞳は、空の青。


 今ここにいる少年騎士と全く同じ、その容姿。


 彼女は地面に足をつくと、宰相と少年の間に割って入り、ニコリと少年に向かって微笑んで見せた。

 カートは頷くと抜き身の剣を持ち、扉に向かって走り出す。


 宰相はファンタムだったその女性の姿に釘付けになり、足はまるで縫い付けられたように微動だに出来ない有様になっていて、カートを止める事など、最早できるはずもなかった。


 カートも平常心でいられない。

 今、目にしたあの姿。


――ああ、きっとあの人が、僕の本当のお母さんなんだ……。

  熱を出したあの日に夢で見た、鈴のような声の持ち主。


 扉を開け、階段を駆け下りる。


――でも今は、ピアさんを救わねば!

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