最終章 その”いと”を
第1話 勇気を、傍らに
「いたた……」
「大丈夫か? カート」
「ピアさん、なんであんな挑発をするんですかー!」
「ムカついたからだ」
壁にもたれて、
……城から自分が離れなければ――逃げ出さなければ防げたかもしれないという後悔も去来して。
そのピアは魔力封じの
カートは立ち上がると冷たく頑丈な鉄格子をその両手で掴み、心配そうにピアの方に向く。
「反逆者って……」
「ボクの父と兄と同じ罪状だな。精霊による処刑ももれなくセットだろう。魔導士の数は少ないのにこんなに思い付きでガンガン処刑されてちゃたまらない」
「団長は、どうしちゃったんでしょう」
「あれは操られている。
「なんで精霊が」
「推測だが、今のファンタムが時間切れで朽ちるのかもしれない。次を探して、とりあえず強い感情を持った者を捕らえて操り、ファンタム化しようとしているんだと思う。まだ力はそれほど強くないみたいだが、このままだと、次のファンタムはヘイグだな。……あいつには……狂おしい程の感情があるから……」
「あの団長に、ですか?」
カートにはヘイグは公明正大で、安定した隠し事のない人物のように思える。
しかしピアは知っていた。ヘイグのグリエルマへの想いが、とっくの昔に兄という立場では無くなっていた事を。そしてその感情を、ピアとグリエルマのために隠し通そうとしていた事も。
――抑圧される程、想いは強くなる。
ピアも苦しい所だった。
「団長をそんな目に合わせたくないです。どうしたらいいですか?」
「今から考える」
魔導士は目を閉じて、顎に手を当てて、何かを考えているいつもの仕草をし始めた。少年騎士は長い溜息をつき、そしてふっと地下牢の奥の暗闇を見つめる。
そこに、見覚えのある紺色のマント……。
「ファンタム……!」
ファンタムは以前から、カートに対しては好意的だった。今はそれに
「待って! お願い、手を貸して」
ファンタムは立ち止まり、振り向いた。
「カート? もしやファンタムがいたのか」
「手を貸してくれるみたい……」
ファンタムが消えた暗闇を見ていたカートだったが、逆方向から足音が聞こえ、そちらを振り返る。
「宰相閣下……!?」
足音の主は、騎士団員を引き連れたヴィットリオだった。カートに一瞬だけ、硬質的な光を放つアイスブルーの視線を向けたがすぐに逸らし、ピアの牢の前に立つ。
「久しぶりだな、ピア・キッシュ」
「宰相閣下……あなたはボクと同じ考えの持ち主だと思っていた。むしろ少年だったボクに、木が失われた日に備えるべきという考えを教えてくれたのは、あなただったのに」
「それはもう昔の話だ……精霊が、おまえは危険分子だと」
「まぁ、あいつらにとっては、そうだろうな」
騎士団員の一人がピアの牢の鍵を開けると、中に二人の騎士が入り、両腕を掴みあげるように魔導士を立ち上がらせ、強引に歩かせる。
「手荒だな」
「これから処刑される罪人を、丁重に扱ってみたところで」
カートは鉄格子を両手で掴んだまま、叫ぶ。
「ピアさん!」
「巻き込んで、すまなかった少年」
「カートはそこで一晩ほど反省してるといい。おまえはこいつに利用されただけだから、それほどの罪ではない」
ヴィットリオはそう言い残すと、ピアだけを連れて行ってしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ピアが連れてこられたのは、土がむき出しの神殿地下。杖なしでは、長時間立っていられない彼だったが、今は静かに立ち続けていた。
――やはり、足は治しておくべきだった。選択肢が少なくなりすぎる。
……失敗した。
そう後悔するピアの目線の先に、ヘイグ、ヴィットリオ、そしてグリエルマ。その他の騎士達は、すでに立ち去っていた。
グリエルマは瞳に涙をためて、口元に手をあててピアの生存を目の当たりにして感動しているようだったが、これから何が起こるか考えもせずに、呑気なものだとピアは思う。
ヘイグが一歩前に出て、右手を高らかに上げて宣言をはじめる。
「この者、魔導士ピア・キッシュは、謀反を企てた反逆の
その言葉を聞いて、グリエルマの表情が固まり、一気に青ざめた。
「お、お兄ちゃん!? どういう事なの」
無機質な輝きを放つ褐色の瞳は、グリエルマの方を向く事すらない。ヴィットリオも無表情で静かにピアを見ている。
「グリエルマ」
ピアが笑顔を作って呼びかける。その笑顔は、今まで彼が見せた事がないようなもの。グリエルマに対して愛おしさを籠めた優しい笑顔など、今まで向けた事はなかったのに。
「ピア……?」
「カートの今後を頼みたい。あいつは一人ぼっちだから、まだ保護者がいる。あと、泣き方を教えてやってくれ。おまえ、得意だろ?」
その言葉に別れの感情が乗った事を知り、慌ててヘイグの腕を掴む。
「お兄ちゃんやめさせて! ピアが反逆罪だなんて、何かの間違いよ。わたくしはそのような指示の紙を受け取っておりません」
「精霊のいない未来を描く事は、十分な謀反だ。この国は精霊あってこそだから」
答えたのは、ヴィットリオの方だった。
宰相に構わずに、ピアは続ける。
「グリエルマ、考えるんだ。誰かの言葉に従うだけでいるのはもうやめろ。どんな言葉も、
――もっと早く、これを伝えるべきだった。
ヘイグの気持ちに気付かないまま自分の方を見ていて欲しいという思いから生じた躊躇が、今までピアにこの言葉を紡がせずにいた。
今ではもう遅すぎるとも思ったが。
己の卑怯さが嫌になる。知っていたのに言わなかった。自分の都合だけで、伝えるべき情報に制限を加えるなんて、これでは精霊とやっている事は同じではないか。
「ピア……」
「言い残したい事はそれだけか?」
ヘイグが冷たく言い放つ。
「さようならグリエルマ、ボクの春の妖精。大好きだったよ」
出会った時のおかっぱ頭の少女の姿が、魔導士の
周囲の温度もピアの体温をも上げる、木洩れ日の乙女。
ヘイグは無理やりグリエルマの手を引く。彼女はそれを振り払おうとしたが男の腕力に阻まれて、叶わなかった。引きずられつつも、彼女は何度も振り返るが何もできずに。
ピアはそれを笑顔で見送った。
三人は階段を登って行きその上の扉が静かに閉められた時、より暗くなった広場の空気が変わる。
「ヘイグを取り戻す事は、きっとカートがやってくれるだろう。あいつは
地面が鳴動を始める。
「だが、ボクも稀代の天才と呼ばれた魔導士。プライドに賭けて、残念ながら、静かに死んでやるって事はできないんだ。どうやら父と兄の
轟音と共に地面を突き破り、黒い根がピアの周囲を囲った。
「黒い
彼は静かに右手の薬指に巻かれた包帯を解く。そこには指輪が隠されていた。魔力を帯びた、宮廷魔導士の家に代々伝わる魔法の指輪。色々な魔法が閉じ込めてある。
薄く笑うと指輪に仕込まれた解錠の魔法が発動し、両腕にかけられた魔力封じの手枷が、ピキンと甲高い音を立て鍵が弾けさせ地面に落ちる。
「お前はボク達人間に恨みがあるようだが、木を切った奴らとボクらは別人だぞ。その罪を、ボクらに償わせようとしているのか? それともただ、育ちたいだけか?」
黒い根はゆらゆらと揺らぐだけで、彼の質問には答えない。
だがピアは、おそらく両方とも正解なんだろうと思った。
平和への言葉を授けても、自分を守ってくれなかった人間への恨み。それならどんな手段をとってでも、自分で自分を守って育って見せる。そういう意図を感じる。
――女王選定の儀を邪魔したのは、白の方の言葉を聞ける奴を選ばせないためか。
こんな事をやらかす黒い
――己の存在を隠蔽するために、あんな惨事を……。
自分の足も、あの出来事さえなければという思いがある。
「さて、どれくらいの枝と根を、折ってやれるかな? 無傷では済まさないぞ。なぜ魔導士だけは、自ら処刑しようとするのか。魔物を使って攫った魔導士も、どうせお前が直接、手に掛けていたのだろう。今日はその理由も教えてもらう」
その金色の瞳に、不敵な笑みを湛え、魔導士は静かに詠唱を開始した。
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