第8話 強さと弱さと


 帰宅すると、愛馬を家の裏の厩に入れ、飼い葉と水を補充する。黒い馬は今日も満足げだが、そろそろ遠乗りに連れて行ってあげた方がいいかもしれないと思いながら背をさする。

 こんなふうに動物の気持ちがわかる自分の性質を、時々不思議に感じる事がある。北の国にはかつてすべての生き物、それこそ竜や精霊と心通わす民族がいたという。精霊の言葉を聞く事が出来た先代女王陛下も、そのような血筋の方だと聞いた事がある。自分の祖先にもしかしたら、そういう血筋の人がいたのではないかと思うと己の生まれのルーツを知りたいと思わなくもない。母亡き今、父を知る事が出来ない事を思い起こせば溜息しか出ないのだけども。


「ただいま帰りました」

「おかえりカート」


 いつものようにソファーに座って本を読んでいた魔導士が、普段とは違う複雑な表情で顔を上げた。


「陛下、すごく喜んでくれましたよ」

「そうか」


 先にピアが聞きたそうな情報を少年が言うと、彼は少しはにかむような笑顔を作った。それを見届けてから少年は二階に駆けあがり、ぱぱっと着替えて降りて来る。


「晩御飯、作りますね」

「ボクも手伝うよ」


 本を少女人形の膝の上に置き、またその手をしおりの代わりにする。

 野菜を洗いはじめたカートはまず、妖精の小瓶を受け取った時の女王の態度や様子の詳細をピアに伝えた。心なしか、青年の顔は柔和である。覚悟を決めたなら、それに素直に従うつもりのようだった。


「ピアさんは、黒い水晶木すいしょうぼくが二代目女王の時に切られた事を、ご存知でしたか」

「うむ」


「精霊の言葉が聞ける条件やファンタムになる条件って、何なんでしょう。やはりそういう血筋が関係あるのでしょうか」

「……何かの、強い感情を持っている事だな」

「感情?」

「狂おしい程の、苦しみすら伴う強い感情。それが精霊と人を結ぶ。年齢や貴族の女性という条件は、最初がそうだったという儀礼的なものだ」


 ピアの先ほどの柔和な表情が消え去り、少しだけ視線に冷たさが宿った。調理台に体を預けるようにもたれ、杖から手を離して葉野菜をほぐしていたが、その手は止まる。


「グリエルマは、怪我で動けずにいたボクにだけ、告白したんだ。女王になったけど、精霊の声が聞こえないって」

「そうなんですか!? でも精霊のお言葉を出してくれてますよね」


「精霊がご丁寧に紙に書いてくれるとか言っていたが……つまり、あいつには精霊と繋がる程の強い感情がないんだ」

「強い感情がない……」


 思わず反芻はんすうしてしまった。

 それはつまり、強い憎しみも、”愛情”もないという事。


「ボクの事を好きだと言ってはいたけど、それほど強い感情じゃないって事さ。まぁせいぜいな所、初恋をこじらせたか、恋に恋してるってところだろうな。今まで周囲にいなかったタイプと出会い、興味と恋愛感情をごちゃまぜにしているだけで。今はボクの怪我への負い目もあるだろう。実際のところあいつが、異性として愛しているのは……ボクじゃない」


「そんな」

 

 思わずカートは否定して欲しくなる。少なくともピア自身は、女王陛下に対し特別な感情を持っているように思えたから。幼馴染を超えた気持ちがあるのは明らかで。

 そんな少年の視線に気付いたピアは、自嘲気味に目を伏せる。


「まぁ、この話は終わりにしよう。ボクの機嫌が悪くなるだけだから」

「そうですね」


 すでに悪くなりかけていたので、カートは苦笑した。

 そして紙に書いてくれる、という点で思い当たる事があった。


「ファンタムが今日、紙に書かれたお言葉を落としていったんです。もしかして今、精霊の声を聞いているのはファンタムなのかなって」

「……誰が、ファンタムになったのだろう……」

「僕もそれが気になって。魔法を使いますし、まさか」

「父や兄ではないな。遺体を見たし」


 ピアは感情を隠すように、もしくは思い出を反芻するためか金色の瞳を閉じた。沈痛な面持ちでカートはそんな彼を見つめてしまう。再びピアが瞼を上げた時、心配そうにのぞき込む青い瞳が見えて、軽く笑ってみせながら少年の頭を撫でた。


「重い感情はないから。ただ……情けないとは思う。父と兄も、ボク自身もね」


 やがて夕食の準備が整い、対面で座って話しを続ける。


「団長の様子が少しおかしくて」

「ヘイグが? どんな感じに」

「ぼんやりしているというか。なんだか嫌な感じがするんです、団長らしくなくて……ときどき物質的に見えるというか」

「勘の良い少年がそう思うなら、何かあるんだろうな」


 フォークで茹でたニンジンを転がしながら、魔導士が小さな声で呪文を唱えると、それはまるで生きているように、ぴょんとカートの皿に飛び乗った。


「好き嫌いはやめましょうよ」


 飛び込んできたニンジンにフォークを刺すと、グイっとピアの口元に突き付ける。彼は寄り目気味にそれを見つめたが、観念したようにカートのフォークから直接、口にする。


「そうだな、嫌な事を後回しにし続けていても意味がない。明日は城に行くよ、人形ではなく、ボク自身で。いい加減、決着をつけてすっきりしよう」

「大丈夫でしょうか。微力ですけど、僕がずっとそばにいます」

「良い騎士ぶりだな。守る対象がお姫様ではなくボクっていうのが、ちょっと恰好が付かないかもだけども」


 神妙な顔をする少年騎士を前に、魔導士は最大の微笑みを返した。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「とりあえず、様子がおかしいというヘイグに会ってみる」


 今日のピアも、いつもの在野の魔導士のローブ姿だ。本来は城仕えの魔導士であったはずだから、城に上がるならそれなりの正装が別にあるはずなのだが、彼はもうこれで良いと思っているようで。


 団長室の部屋のノックは、カートが行った。


「団長、お客様をお連れしました」

「……客?」


 昨日と同じ、少しぼんやりとした表情を見せていたヘイグだったが、カートの後ろに続いて入って来た男に目を向け、その褐色の目を見開くと、バッと立ち上がった。


「ピア!」


 杖をつきながら入室してくる親友の元に、小走りで歩み寄り、手を貸して椅子にいざなって行く。


「生きているなら、何故もっと早く」


 その口調と目の輝きは、いつもの団長の物だったので、少年は安堵の表情を見せたのだがピアの表情は硬いままだった。


「色々あってね。でも、もう戻るつもりはないから」

「そうなのか? 今は城に魔導士がいないから、お前が戻ってくれるなら、随分と心強いのに」

「ところで、最近のグリエルマは?」


 その名を聞いた途端、ビクリと揺れてヘイグの瞳が硬質化したように見えた。ピアは、幼馴染の変化を見て取る。

 親友である二人は見つめ合った。


 金色の瞳は猫科の動物のように生気豊かで鋭いが、それを受け止める褐色の瞳は、鉱物のように硬く鈍い輝きを放ちはじめていた。


「陛下は、今まで通り、変わりなく」


 虚ろな瞳で、ただそれだけを口にする。

 それを見て、ピアの視線に怒気が宿る。カートが今まで見た事も無い表情であったから、少年は団長と魔導士に交互に視線を送るしかない。


「おまえは誰だ。ヘイグの嫉妬心を足掛かりにしているのか」

「……おまえはまた、水晶木すいしょうぼくを切り倒す提案をするのか?」

「切り倒すとは言ってないぞ。例え折れても、突然枯れても、社会が保たれる準備をしておくべきだと、提案した事があるだけだ。で? 質問には答えないのか。おまえは誰で、何をしようとしている」


 ヘイグは、一歩下がるとスッと優雅なまでの仕草で腰の剣を抜いた。


「団長、だめです!」


 カートも抜剣すると、ピアめがけて振り下ろされた一閃を弾き返す。キンッという高い金属音が団長室に響き渡り、かすかに反響音を残す。さすがは騎士団長、重い一撃であって少年騎士の細腕では弾くのが精いっぱいだった。


「カート!」


 ピアが叫んで、椅子から立ち上がり少年騎士をサポートすべく、位置を取る。

 続けざまの一閃は、カートを狙って。両手で柄を握りしめ、それもなんとかいなす。次の一閃は、打ち合いを避けて屈んで避けた。


 狭い部屋での戦闘。無言で剣を振るうヘイグを相手に、カートは防戦一方だ。

 ピアが魔法でヘイグの動きを縛ろうとしたとき、騒ぎを聞きつけ数人の騎士達が団長室の扉を開けた。

 それを見てヘイグが叫ぶ。


「反逆者だ! 捕らえろ、カートもだ!」


 騎士達は顔を見合わせたが、命令に従う。

 流石に複数の大人の騎士をまとめて相手にする事は出来ず、ピアとカートの二人は捕らえられ、地下の別々の牢に放り込まれた。


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