第6話 絡む糸の服従


 出仕したカートは、丁寧にレースで包み込みリボンをかけた妖精の小瓶を持って、中庭の東屋に向かった。女王の朝の休憩時間はこの時間と聞いていて、昨日もそれで彼女はここにいたのだと知ったからだ。


 予想通り女王は東屋で薔薇の香りを楽しむように椅子に座り、目を閉じている。この時間は侍従も、護衛も、侍女すらいない一人の時間。それを自分が邪魔をしていいものかは悩む所であったが、あまり人前でこれを渡すわけにもいかないと、ぎゅっと瓶を持つ手に力をこめ駆け寄るようにグリエルマの傍に行くとその前にひざまずいた。


 女王の若草色の瞳が開かれ軽やかな足音の主の顔を見て、優し気な美しい微笑みが溢れだす。まさに春の妖精で、笑顔ひとつで芽吹いた若葉が大地に満ちるようだ。


「まぁ、カートどうしたの」

「憩いのひとときのお邪魔を、失礼します」

「いいのよ。何かご用があるのかしら?」


 カートは手にした小瓶を入れた包みを、そっと女王に差し出した。


「陛下に、という事で預かってきました」


 きょとんとした少女のような顔をしたが、受け取るとそっとリボンを解く。中にはガラス瓶に入れられた、虹色のキャンディー。シャボン玉が星の形になって固まったようにきらめく。それを太陽の光にかざすと、夢のような美しさだ。


「まぁ、これは妖精の小瓶。カート、どこでこれを?」

「すみません、今はまだ言えなくて」


 申し訳なさそうに上目遣いで女王を見ると、グリエルマはそれに機嫌を損なうような事はなく嬉しそうに微笑むと、再度小瓶に目を移した。そしてガラス瓶を撫でる。


「ありがとう、カート」

「確かにお届けしましたので、僕はこれで」


 グリエルマの様子から、彼女はやはりピアの事を愛しているのだと感じ、それがなんだかカートには嬉しく思えた。ピアも、なんだかんだ言って彼女の事が好きなのではないかと思う。


 ピアにも、女王陛下にも、幸せになってもらいたい。


 宮廷魔導士の家系なら、身分の問題もないはずである。何故、距離を空けようとしているのかわからないが、未熟なカートの目から見ると、二人は相思相愛に思えるのに。


 立ち去る少年を見送ってから改めて、グリエルマはその手の中にある小瓶を愛おし気に眺める。


 思い浮かぶのは金色の瞳の青年。そっけなくて口は悪いけど優しくて、一緒にいて楽しい相手だった。ヘイグとピアとグリエルマ、この幼馴染三人で過ごす時間は、彼女にとって例えようもなく幸せで暖かで。ピアの金色の瞳はそのぬくもりの時間の象徴のようで特に好きで。


 逆らえば鞭が飛んでくるような家に生まれ育ち、とにかく逆らう事なく生きるのが一番安全だった幼少期。貴族の娘として綺麗な服を着て、にこりと笑うお人形であることだけが求められていて。

 貴族といっても下級貴族。没落を避けるためにグリエルマを良い家に嫁がせるという事に躍起になっての教育で、「はい」以外の返事は許されないまま。


 逆らう事と自分の意見を持つ事は、あの家では罪だった。


 優しいマイヤー家に引き取られてからもその癖は抜けず。


 ヘイグも彼女の幸せの時間の象徴であったが、彼は彼女が何もしなくてもずっと笑って傍にいてくれるから、彼女はヘイグを失う事は一度も考えた事がない。


 休憩が終わる時間になったので、彼女は東屋の椅子からそっと立ち上がったが、その目線の先に親しいその人の姿が見えた。


「お兄ちゃん!」


 子供のように駆け寄ろうとする女王を右手を上げて制すると、ヘイグの方からそばに歩みより、膝を折る。


「おはようございます陛下。ご機嫌ですが、よい事でも?」


 他人行儀な家臣の態度が少し寂しかったが、人目のある時間に兄妹のような態度を取らないのが生真面目なヘイグらしくはあった。


 でもこの距離感がぎゅっと胸の奥を締め付けるが、彼女はそんな自分で自分の心が不思議に思えている。


 寂しいのではなく切なく感じているようにも思え、その気持ちが何なのかわからないままでいると、彼は幼馴染の気安さもあって促されはしないがすっと立ち上がる。


 慌てて取り繕うと、いつものように元気いっぱいの声で彼女は手にした小瓶をヘイグの前に差し出した。


「ピアが、生きていたみたい。これを見て」

「妖精の小瓶……」

「ああ、どうしましょう。ピアはとにかく、これが作れる状態ではいるんだわ。無事でいるのよ」


 嬉しそうに瓶を抱え、侍従や侍女に迎えられつつ、幸せそうな笑顔をヘイグに向けて彼女は女王としての仕事に向かっていった。

 残された騎士団長は、自分の渦巻く感情に囚われていた。


「ピアが、生きている……?」


 親友。


 死んだと思っていた。

 失われたと思った、あの猫のような瞳の大切な友人。


 嬉しい。




 嬉しいはずなのに。


「戻って来るのか? また彼女のそばに……」


 足元から、黒いイラクサが駆け上がるような、おぞましく、不快な感覚。


――これは嫉妬なのか? 俺は、ピアに嫉妬しているのか?


 自分の感情に囚われたのか、イラクサの幻想に捕まったのかわからないまま、ヘイグはふらつくようにゆっくりとその場を後にする。


 男は同時に心が何か繋がれたような感触を得たが、振り払おうという気力は一切沸かず、心の中に沸いた黒い感情に絡みつくそれを、静かに受け入れてしまった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 カートは一人で地下道にやってきている。今回の延長分は、自分のこだわりでもあるので、アーノルドと他二人には何も伝えていなかった。

 いつものようにランプに火を移すと、薄暗い地下道に入っていく。


「今日も地下墓地まで行ってみよう。あの黒い木があった所に行く道も、つながっていたりするのかなぁ……」


 今日の少年騎士は、ファンタムが現れたら会話を試みるつもりでいた。あれは敵ではないという意識が、カートにはある。


 最初に見かけた場所、そしてランプを壊した場所。

 その都度立ち止まって周囲を確認する。


「うーん」


 悩みながら分かれ道に来た。いつもは左に曲がっていたが、今日は右に進んでみることにする。今まで行かなかったのは、右の方がより闇が深い気がして、幽霊が怖くないカートでも多少怯んでしまうような暗闇だったからだ。


「ちょっと怖いな。ピアさんに、ついてきてもらえばよかったかな……」


 その刹那、闇の中にマントの端がチラッと見えた気がした。


「あっ、待って!!」


 慌てて走って追いかけたが、暗闇で足元がおぼつかない少年より、ファンタムの方が早く見失いそうになった。カートは不審者の後ろ姿を追いかけていたが、マントの裾から白い物が散ったのが見え、それに気を取られて段差につまづく。


「わっ」


 咄嗟に、ランプが落ちて割れないように庇ってしまい、ドサっという音を立てて全身で倒れ込み、右肘と胸を石畳に強く打ち付けてしまう。

 慌てて起き上がったが痛みが走り、壁にもたれるようによろめいてしまった。


「うっ、いたた……」


 片目は痛みで閉じてしまったが、もう片目で闇の先を見る。ファンタムは見失ってしまったようだったが、何か白い物が点々と落ちているのが見えた。


「あれ? なんだろ」


 なんとか呼吸も痛みも落ち着き、その白い物を目指して歩んでみた。

 石畳には、何枚かの紙が落ちていたので、そのすべてをカートは拾い集める。ランプの灯りを頼りに、記載されている文字を読み取ってみた。


 字はまるで指で書いたように太く、子供の字というより手探りで書いたように見える。


「えっと、財務担当者が横領、処罰すべし。この冬に北の村に疫病発生、薬の準備を。海の民の使者への返答は保留……これってもしかして、精霊様のお言葉?」


 紙を持ったまま、ファンタムが消えた暗闇に目を向ける。


「なんで、ファンタムがこれを持ってたんだろ?」


 そして、この紙をどうしたらいいのか。

 とりあえず一旦引き返し、団長に報告をするしかなさそうだった。


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