第5話 妖精の小瓶


 帰宅し、着替えて一階に降りて来たカートは、夕食の準備をするために台所へ向かった。今日のピアは本の読み込みに没頭していて、カートが帰宅した事にすら、気付いていないようである。

 少年は無理に気づいてもらおうとは考えず、むしろ邪魔をしないように気を使って食事作りをはじめる。



 手際よく作った鶏肉のシチューを煮込んでいると、食欲をそそる香しい匂いでピアはやっと少年の帰宅に気付いたようで、台所にやって来た。


「すまん、集中していて気付かなかった」

「そろそろ出来ますよ」


 そう言いながらニコッと、エプロン姿で可愛らし気な笑顔を向けて来る事に、ピアはくすぐったく幸せな気持ちになった。少年と暮らすまで、家庭的な雰囲気とはずっと無縁だったのだ。


 ピアの命令を受けたのか、少女人形がぴょこぴょことやってきて、皿を出し始めたので、カートは今日の出来事を思い出した。


「そうだピアさん、この子の事なんですけど、妹と紹介をしてしまったものだから、先輩にいろいろ聞かれそうになって」

「あのいじめっ子が? なんで?」

「全然わからないけど、名前とか年齢とか。一応は十三歳になるという事と、名前は教えたのですが」

「ふぅむ。まぁ、もう会う事もないだろう」


 カートはシチューをよそって卓上に置き、紙袋から買ってきたパンを取り出し、それをバスケットに入れて机に置くと、椅子を引いて二人は座った。食事を進めながら日課のように、少年は今日の出来事を報告する。


 彼はこの時間が楽しい。もし嫌な出来事があっても、ピアとの会話の種になると思えば、それほど苦しいとも辛いとも思わなくもなっていて。


 カートは今までの生活でこのような時間を持った事がなく、そもそも夕食をゆっくり誰かと食べた事も、ピアと暮らす以前ではほぼ記憶にない。酒場の手伝いをしながら、立ったまま何かを適当につまんで食べるという毎日だったから。


 その日あった出来事を、母に報告するような時間も持てた事はなくて。辛い出来事があっても話すタイミングがなく、ずっと自分の中で消化するのが日常であったから、こんな風にピアと過ごす時間がとにかく幸せに思えている。話を聞いてもらうだけで、どんな気持ちも落ち着いて来るのだ。


「今日は女王陛下にお会いして……泣いていらっしゃったんです」

「あいつは四六時中、事あるごとに泣いてるから気にしなくていい」

「それであの……陛下はピアさんの事を、お好きなようなんですが」


 ピアはうんざりしたような表情を浮かべると、肘をついて両手に顎を乗せて溜息をついた。


「ボクは、人形を愛でる趣味はない」

「人形って」

「あいつは、昔から自分の頭で考えようとしない。いつも誰かの言いなりだった。親に命令され続け、ヘイグの家族の指示に従って生き、今は精霊の言葉の言いなりだろう? 人形じゃなきゃ、何だって言うんだ」

「……でもピアさんへの好意は、誰かに言われて生じた気持ちではないですよね?」

「初恋もまだのカートに、それがわかるのか?」


 意地悪な言い方をされて、カートが困惑したように眉をしかめたので、ピアは表情を改める。


「すまん、おまえに八つ当たりした」


 グリエルマはいつもピアに好意の目線を送り、好きであると口にはしていたが、ピアにはどうしてもそれが自分の抱く温度と違うと感じ続けていた。彼女が見せていたのは、ふんわりとした雰囲気に相応しいほどに、漠然とした気持ち。あれが愛や恋と言えるだろうかと。


 本当に自分の事を愛してくれているのなら、精霊の言葉より、優先すべき事が他にあったのではないかと思うのだ。

 彼女が……ピアの父と兄の処刑を、何の抵抗もなく精霊の言葉として出した事が、二人の間に深い溝を作っているのだが、彼女の方はそれに全く気付いてもいなくて。この出来事が原因で彼女との決別が確定したと言ってもいいほどであるのに。


 それでもなお、彼女の視線がこちらに向かうならば、嬉しいと思ってしまう程度には胸に燻り続けるものがあり、彼女の話題はピアには重い。


 ついていた肘を戻すと、匙を持ち直しシチューを口にする。


「ピアさんは陛下の事が、お嫌いなんですか?」

「……嫌いだったら、あの時、助けたりしないさ」


 少年と目を合わせないように、シチューだけを見つめているが、表情にかげりがあるように見えた。


「……ボクがいなくても、あいつにはヘイグがいるし」

「怒られるのを承知で言いますが、ピアさんが生きている事を伏せているのは、陛下に諦めてもらおうっていう気持ちもあるのですか?」

「怒るぞ」


 ジロリと金色の瞳がカートを睨むが、青い瞳も受けて立つ。


「そんな逃げ方は良くないと思います。僕は陛下をお慰めしたいです。ピアさんなら、陛下が喜ぶ事をご存知なのでは」

「菓子でも食わせとけ」


 少年が怯まなかったので、憮然として残ったシチューをパンで拭って口に運ぶ。


 食べ終えて、苛立ったように勢いよく立ち上がったが、勢いが良すぎて、上手く動かない足では支えきれずにピアはグラリとよろめいた。

 椅子を倒さんばかりの勢いでカートは立ち上がり、走り寄ってピアを支える。


「大丈夫ですか」

「……すまん」


 机に手を添えて改めて立ち直し、杖を突くとカートからその体を離したが、それでも心配そうに自分を見上げる少年のその表情を見てピアは再びの溜息をついた。


「ダメだな、ボクもまだまだだ。少年が正しい、その通りだ。あいつの本当の気持ちが知りたくなくて、逃げてるんだ」

 

 そっと手を動かしカートの頭をしばし撫でる。撫でられて気持ちよさそうに目を細める顔は、ちょっとした子犬のようで可愛らしい。まっすぐ純真に、ピアとグリエルマを思いやるその姿。


 カートの青い瞳を無言で見つめるピアは、表情に決意を漂わせているようである。


「そうだな、あいつが確実に喜ぶ物を作ってやろう。手伝え、少年」

「はいっ」



 カートは嬉しそうにピアに指示された通り、砂糖やハチミツ、ハーブ類、塩を用意して、食卓に並べた。


「何を作るんですか」

「妖精の小瓶だ」

「ああ、塔に取りに行ったアレ。僕、どんなものか知らないので、ちょっと興味があります」


 ピアはカートが用意した材料を丁寧に計量し、いくつかを混ぜ合わせながら、油紙の上にまとめていく。混ぜながら呪文を口ずさむが、その詠唱がまるで歌のようで、ピアの大人の男性としては少し高めの明るい声は、耳に心地よい。

 キラキラと小さな輝きが増えてきて、その光景も夢のようだ。


 それらの材料は小瓶にまとめられ、彼は両手で包み込むようにし、山際の月の色のような瞳を閉じながら、魔力を籠めて詠唱を終える。

 ピアが再び金色の瞳を見せて小瓶から手を離すと、小瓶の中には虹色の小さな星型のキャンディーがたくさん出来上がっていた。


「わぁ! 可愛いですね」

「正直こんなの、見た目だけなんだが」

「こんなの見た事ないですよ」

「ボクのオリジナルだからな」

「もしかして、陛下のために考えたんですか?」

「少年はさとすぎて、嫌になるな」


 家族を恋しがっては泣き、ヘイグに叱られては泣き、ピアに嫌味を言われては泣くという、些細な事で涙を落として落ち込む彼女が面倒くさくて。

 面倒くさいけど、泣き顔より笑顔が見たかった。それで作ってやったのだ。彼女はこれを、落ち込んだ時の元気の薬と言っていた。


 ピアは苦笑を浮かべながら、瓶から一粒だけ取り出し、少年の口に押し込む。


「あぐっ」


 いきなりだったので、カートは変な声を出してしまい、ピアを笑わせてしまった。


「ははは、どうだ?」

「あ、美味しい」


 口の中でコロコロと転がすと、甘さの中に柑橘の香りがしたり花の香りがしたりと、どんどん変化していく。


「すごく面白いです」

「明日、出仕する時にもっていけ。とりあえず、慰めにはなるはずだ」

「でもこれを渡したら、ピアさんが生きている事が伝わりませんか?」

「……まぁ、わかってはしまうだろうな」


 少し目を伏せたその表情の意味を、少年は読み取る事が出来なかったが、ピアは立ち止まるのを辞めたのだという気がした。


 まだカートには、複雑すぎる大人の恋心は理解できなかったが、中途半端なまま気持ちを曖昧にし続けるのは罪ではないかと思う程度には、ピアやグリエルマの気持ちがわかってはいたのだ。

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