第4話 この恋心に


 ソファーの上で身を起こし、目をこするカートは、自分が夕べはベッドにたどり着く事なく眠ってしまった事を知る。大立ち回りをしたのだ、当然の疲れであろう。


 室内にピアの姿はなく、少年がキョロキョロと周囲を見回すと、書庫の扉が少し開いているのが見えた。


「ピアさん?」

「ん? ああ、起きたか。おはよう少年」

「おはようございます」


 書庫の奥から顔をちらりと覗かせて、軽い挨拶を交わし合う。

 ピアが扉を開けて出て来ると、少女人形が数冊の本を抱えてその後に続いて来た。

 魔導士が意識を入れなくても、生きているように動くのが、とにかくすごい事に感じ、カートは少女人形をじっと見つめてしまっていた。


「どうした、もう見慣れただろう?」

「本当に生きているみたいですね」


 少女人形が机に本を置くと、てくてくと可愛い歩き方でカートの前まで歩いてきたので、思わず少年は頭を撫でてしまう。


「やはり、名前を付けませんか?」

「ボクが入った時に不便になるからなあ。おまえはどちらの名前で呼ぶつもりだ」

「あ、そうか。そうですね」


 朝食を終え、カートが城に出仕するために玄関に向かうとき、少女人形が城から借りて来た本を抱えて寄って来た。

 部屋の奥からピアの声がする。


「確認が終わったから、その本は返却を。あと、ボクが先日行った時に勝手に拝借して来た奴も、こっそり返しておいてくれ」

「はーい」


 人形から本を受け取り抱えると、カートは少女人形に向かって手を振ってみた。少女人形は首を傾げ、真似るように手を振り返して来たのが可愛かった。


 外に出て数歩の後、カートはふと立ち止まる。


「勝手に拝借して来たって、ピアさん!?」


 思わず振り返って叫んでしまった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 本を抱え、城内を歩くカートの後ろから、呼びかける声があったので、彼は立ち止まる。最近、よく聞く声である。


「宰相閣下、おはようございます」

「随分と重そうだな」

「いえ、それほどでも。借りていた本を返却しようと思いまして」

「ん……? その本は」


 一番上の、薄い手書きの絵本をヴィットリオは手に取った。


「……城にあったのか……」

「あの?」

「読んだのか?」

「あ、はい」


 少年がきょとんとした表情で、宰相を見返す。


「いや、なんでもない」


 ヴィットリオはそっと、その絵本をカートが抱える本の上にいったん置き、改めて本の束の半分を手に取った。


「少し持ってやろう」

「えっそんな、宰相閣下。僕、大丈夫ですよ」

「図書室に行く用事があるのだ。ついでだな」

「……ありがとうございます」


 断りにくく、カートはヴィットリオと並んで図書室に向かった。宰相はなんとも雰囲気が妙である。


「騎士の仕事は慣れたであろうか?」

「はい。団長にもとても良くしてもらっています」


 笑顔を向けられて、ヴィットリオは幸せそうな表情を浮かべた。その顔を見てると、何故かカートもつられて幸せな気分になってしまう。

 少年は敵意にも敏感であったが、好意に対しても同様であって、宰相が醸し出す雰囲気はカートにとって不快なものではなかったのだ。


 それ程の距離がなかったため、大した会話もしないうちに図書室に到着した事にお互い残念な気持ちを持ちつつも、カートは自分の持っていた本を机の上に置いて、ヴィットリオに預けていた分も続けて受け取り、同様に机に置きぺこりとお辞儀をする。


「ありがとうございました」

「大した事ではない」


 そう言うと宰相は、軽く手を挙げる別れの挨拶をしたので、少年は会釈で応えた。

 いったん机の上に積み上げられた本を、カートはそれぞれの分類された場所に戻して行く。


 本を戻し終えた少年騎士が図書室から出て行くのを離れた場所で確認すると、ヴィットリオは絵本のコーナーに歩みより、先程の手書きの一冊を抜き取り、図書室の隣にある応接間の燃え盛る暖炉の中にそれを放り込み、完全に燃え尽きるまで、無感情にただ漫然と見つめていた。


 何故そうしなければならなかったのか、まるで本人もわかっていないように。先ほど共に歩いた時の柔和さは失われ、瞳は無機物のように硬い光を放つ。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「おい、カート」


 振り向くと取り巻きを全く連れずにアーノルドが立っていた。取り巻きがついていない彼を、カートは初めて見た気がする。

 いつもの瞳の色がわからないほどの細い吊り目だが、心なしか笑っているようにも見えた。


「先輩、どうされましたか」

「……今日は、妹を連れてきていないのか?」

「さすがに城には、連れてはこられないですね」

「そうか……別に連れて来てもいいと思うんだけどなあ」


 何故そんな事を聞かれるのかわからず、軽く微笑んでお茶を濁すカートであったが、目前の金髪巻き毛の少年は、そばかすの散った鼻を少し赤らめて、もじもじとした仕草を見せた。


「あの子、なんて名前なんだ?」

「あ、えっと、ピアです」

「ピアちゃんかぁ……いくつなんだろ」

 

――しまった、そんな細かい設定なんて考えていない。


「十二……十三歳になるところです」


 とりあえず、これぐらいの年齢の見た目であろうと、適当に答えた。


「そうかぁ、ふぅむ、うん、なるほど」


 うなずいて、何かに納得したような表情をしながら、アーノルドはカートの前から立ち去って行った。


「今の、何だったんだろ……」


 とりあえず妹として紹介してしまったのだから、帰宅したらピアと細かい詳細を突き詰めておいた方がいいと感じた。


 そしてアーノルド達に、地下道の調査が延長されている事を伝え忘れていた事に気付いたが、あれはもう自分一人でやってしまった方が良いようにも思えてきたので、団長にその旨を伝える事にした。


 団長室に向かう途中、カートは花の香りを感じる。中庭の薔薇が見頃を迎えたようで、その咲きほころぶ薔薇の香りのようである。中庭の方を眺めやると東屋が見え、そこにグリエルマの姿があったが。


 東屋の椅子に座り、柱にしがみつくようにしなれかかり、さめざめと泣いている姿に、カートは驚き狼狽してしまった。


「陛下!」


 慌てて駆け寄り、彼女のかたわらに寄る。


「どうなさいましたか、陛下」

「まぁ、カート。ごめんなさい、とても悲しくなってつい」


 少年はハンカチをポケットから取り出して差し出すと、グリエルマはそれを美しい所作で受け取り、濡れた頬と瞳に残った涙を押さえてふき取って行く。


「お辛い事がありましたか?」


 心配そうにのぞき込む少年騎士に、女王は静かに微笑んでみせる。


「もう大人なのだから、貴方に心配をかけてはいけませんわね。いつまでもこんな風だから、彼に受け入れてもらえなかったのだとわかってはいるのだけど」

「陛下……」


 失恋だろうかと思ったが、カートは慰めの言葉が見つからず、思いつきもしない。でもこのように涙する彼女を、なんとか慰めたいと思う。だが、自分には恋愛関係などまだよくわからない。気の利いたセリフも思いつかず。


「僕が力になれる事でしたら、何でもお命じください」

「優しいのね。精霊様が、あなたを騎士にするようにお言葉をくださったけど、今、その理由が分かった気がします」


 グリエルマは椅子から立ち上がると、胸を張って姿勢を正し、先程まで子供のように泣いていたとは思えない凛とした姿を見せた。


「わたくしも、あの人に……ピアに恥じる事なきよう、生きなければ」

「んぐっ、けほっ」


 カートは突然出て来たピアの名前に驚いて、思わずむせた。それを女王は目を見開いて見る。


「まぁ、カート。大丈夫?」

「あっ、はい、すみません」


 女王に背中をさすられて、とても気恥しく情けない。


――陛下の好きな人って、もしかしてピアさんなの!?


 だからと言って、どうなのかという話ではあるのだが。

 

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