第3話 帰還


 騎士達は数頭の馬を失ってしまったが、落馬で打ち身や骨折したものが数人いるだけで、なんとか全員、ヘルハウンドを相手取っての落命は免れた。

 後から到着した大人の騎士達が率いる討伐隊と合流後、情報を交換し、一部は引き続き村に向かい、年若い騎士達は怪我人を保護して一足先に城に戻る事となった。


 カートは少女人形を前に乗せて馬を進めていたので、アーノルドがいぶかし気に声をかけて来る。


「おい、カート。その女の子は何だ」


 助けてもらった礼も一切せずにやっと口を開いたと思ったら不躾な質問で、ピアはその金色の瞳を不服そうに細めたがカートはもうすっかり慣れているので、かつて宰相にしたのと同じ言い訳をした。


「妹なんです」


 そして、このままだとまずい気がした。


「あの、妹を連れて来てしまった事は、団長に秘密にしてもらえますか?」

「いいだろう、これで貸し借りはなしだ」


 貸しと借りのバランスが随分悪いので、カートは思わず笑ってしまった。

 でもこれが、アーノルドという男である。カートの前に座るピアが、何か言いたそうに見上げて少年に目線を送ったが、それに対しても少年は微笑みで応える。


 彼等は夕刻近くに王都に戻る事が出来たので、怪我人は医務室へ。その他は帰宅し、アーノルドとカートの二人が報告に向かう事になった。ピアはその間、馬と共に厩舎で待つため、バッカスにも妹だと紹介した。


「無事で、良かった」


 団長室に入るやいなや、ヘイグは駆け寄ってカートの両肩に手を置いて力強くゆする。


「討伐参加の許可を、ありがとうございました」


 アーノルドはカートの後ろに立って、うつむき加減で随分と大人しい。それはヘイグの後ろで腕を組み、憮然とした宰相のヴィットリオがいたからだろうか。

 あさはかな彼も薄々、自分がカートを理不尽に虐めた事が、精霊ではなく宰相を怒らせた事に気付いていた。何故、ヴィットリオがここまで怒りを持つかまではわからなかったが。


 ヘイグが続いてアーノルドのそばにより、同じように肩に手を置く。


「アーノルドも良い判断をした。ヘルハウンド戦に地形を利用するとはなかなかだ」

「あ、はい、恐れ入ります」


 普段なら鼻高々に自慢話を始めるところであったが、彼はそう言ったきりである。少しは今回の戦いで彼も成長したのだろうか、結果論ではあるが良い経験をさせられたようである。


 ヴィットリオも歩を進め、カートの前に立ったので、素直な青い瞳がまっすぐに宰相を見上げる。


「綺麗な顔が台無しだ」


 宰相は、カートの頬についたヘルハウンドの爪がかすった火傷の跡を、優し気に指でなぞる。アーノルドは無傷なのに、カートは軽くであるが、負傷しているのが腹立たしい様子でもある。


「かすり傷です」


 カートがふんわりとした笑顔をヴィットリオに向けたところ、宰相がそれを眩しそうに見つめ返したので、いろんな意味で良い雰囲気を醸し出しているように見え、ヘイグは慌てて二人の間に割って入った。


「宰相閣下! 彼等は今日の戦いで疲れていると思いますので、これぐらいで退出を許しませんか」

「ああそうだな。とにかく無事でよかった」


 アーノルドとカートは団長室を後にし、一緒に厩舎に向かって歩く。アーノルドは特に何も言わずに、ただ真っすぐ前を見ているだけだ。


「じゃあな。また明日」

「お疲れ様でした、先輩」


 アーノルドは先に馬を出して、帰途につく。その後ろ姿を見送って目線を厩舎に戻すと、ピアはカルディアにブラシをかけていた。人形の背が低いため、横腹ばかりを撫でられてちょっとくすぐったそうだが無下にもできずといった表情の馬が、カートの姿を認めるとほっとした顔をしたような気がした。


「僕らも帰りましょうか」

「うん」


 少年はいつものように、少女人形の両脇に手を入れて持ち上げると、そっと鞍に座らせる。

 実はピアは、背の低い人形であっても自分で馬に乗れるのだが、カートがいつも自然にこうしてくれているので、甘えていたりする。


 帰宅し、入浴を終えて、ピアの対面のソファーに座ったカートは、しばし雑談をしていたがやがてウトウトし始めて、そのまま座ったまま眠ってしまった。

 ピアの足では少年を二階のベッドまで運べないので、起こさないようにソファーに身体を横たえさせ毛布をかけながら小さな声で独り言を言い始めた。


「もう一度、足の治療の研究をしようかな。ここで諦めるなんてボクらしくないし」


 少年の頬の小さな火傷の跡に指を添わせ、治癒魔法で消す。


「本当にお前はお人よしだ。どうも一生、そのままになりそうだな。その美点で苦しまないように、ボクがそばにいて守ってやるよ。カートは変わらなくていい。そのまま真っすぐに」


 ピアはソファーに戻ると、少女人形の手入れを始めた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 少年達を帰宅させた後、団長室に残るヘイグとヴィットリオの間に居心地の悪い沈黙が流れる。

 騎士団長としては、部下が無為に危険にさらされた今回の事は看過できずついには疑念を口にした。


「宰相閣下、本当にあのような指示が精霊から?」

「陛下が嘘を申していると?」


 ヴィットリオのアイスブルーの瞳が鋭さを増す。


「自分は陛下を、幼少の頃から存じております。嘘をおっしゃられる事はないでしょうが、容易に嘘に騙されるお方かと」

「ああ、一緒に育ったのだったか」


 宰相は考える仕草をし、しばし目を閉じていたが、ふっと目を開けると、それに決心をたたえた。


「この国は、由々しき問題を抱えている」

「問題?」

「精霊が宿るとは言っても、水晶木すいしょうぼくは植物だ」

「はい」

「いつか、枯れるのだ」


 そう彼が言った瞬間、突然アイスブルーの瞳が硬質化し、光を失ったようにヘイグには見えた。更に言葉を紡ごうと開かれたはずの口は閉じられ、宰相ヴィットリオは無言のまま団長室の扉を開け、廊下の奥に消えて行く。

 宰相はもう少し話がしたかったのでは? という気配があったから、その立ち去り方は不自然にも思えた。


 ヘイグはその言葉の真意を考える。水晶木すいしょうぼくの精霊の言葉で、この国は支えられ、栄えている。もしその水晶木すいしょうぼくが失われたらどうなるだろうか。女王の地位は精霊あってこそ。精霊の言葉を失った女王に指揮権はない。ましてや統治能力など。

 まるで永遠にこの平穏が続くと人々は思いその恩恵を享受しているが、これもいつかは終わるのだ。永久なるものはこの世界に存在しない。


――それに備えるなら、徐々に人の支配を織り交ぜて行かなければならない……?


 水晶木すいしょうぼくの支配でも、利点はある。それは私利私欲が絡まない事だ。精霊は木を守らせるために、平穏と平和を約束しており、それ以外はない。国を大きくするような野望・野心もなければ、個人の感情というその時々で移り変わるような不確かなものでは左右されない。

 人間が統治すれば、必ずその支配者の性格や精神性に、状況は左右されるようになる。それが戦争が無くならない理由でもある。


 どう考えても、今回のヘルハウンド討伐の指示には、個人の感情が乗っている気がヘイグにはした。カートに対し、並々ならぬ興味を見せるヴィットリオの。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る