第6話 謎、深淵


 カートはとにかくピアの事が心配であった。腕の中の少女人形はぴくりともしない。

 すぐさま厩舎に向かい、愛馬を駈って帰途につく。


「ピアさん!」


 人形を抱いたまま、少年は家に駆けこむと、魔導士はソファーの上で朝、人形に意識を移した後の状態で静かに横たわっていた。

 人形の方も目を閉じて、カートの腕の中でぐったりとしたままだ。

 とりあえず少女人形もソファーに横たえる。


 ピアの本体の肩をゆすってみるが反応はない。

 呼吸もしておらず、心臓も止まっているという完全な仮死状態。ピアの話によると人形に意識を移している間は体の時間が停止するとの事であったので、つまり今の状態は意識が本体の方に戻っていない事を意味する。


「どうしたらいいんだろう、何があったのかもわからないし」


 もう一度地下道に行き、あの紺色のマントに会って今度は会話を試みてみようかと思い立ち、玄関に向かおうとした瞬間、魔導士がかすかにうめき声を上げた。


「う……っ」

「ピアさん!」


 少年は駆け戻ってピアのかたわらに膝を付くと、彼の左手を両手でぎゅっと強く握った。

 うっすらと、金色の目が開かれる。


「大丈夫ですか?」

「くそ、やばかったな」


 魔導士は体を起こすと、目を再度閉じて軽く頭を振る。

 その様子に、カートはピアから手を離すと、心配そうな眼差しを見上げるように彼に向け続けた。


「ピアさん……」

「大丈夫だ。気絶させられただけだが、ダメージがこっちにも来たみたいだ。とんでもない魔力だ、宮廷魔導士に匹敵するぞあれは」


 いつもの口調に、カートは安堵の表情を浮かべた。


「それより、お前の熱は」


 カートがピアの事だけを心配したように、ピアは自分の事より少年の方が心配で、そっとカートの額に触れる。少年は反射的に目を閉じてしまうが、手が離れると同時に再びその澄んだ青い瞳をピアに向ける。

 ピアにだけ感じられる、少年に残る僅かな治癒魔法の痕跡。


――またあのマントの仕業か。


「下がってるな」

「ピアさんは何ともないですか」

「ボクも平気だよ、それにしても何なんだあのマントは」

「そういえば……先輩たちが図書室で何か本を見つけたみたいです。あれは、ファンタムと呼ばれているようです」


 黒い水晶木すいしょうぼくの事も思い出す。


「黒い水晶木すいしょうぼくの精霊に取り込まれると、あんなふうに実体を失った状態になるとか。神殿の地下に……黒い水晶木すいしょうぼくの苗があったんです」

「黒い水晶木すいしょうぼく?」

「ピアさんも知らないですか」

「いや……知ってる。だが、絶滅したはずだと」


 そしてカートは、もう一つ気になる事があった。


「カーティスって誰でしょう。ピアさんはご存知ですか」

「カーティス?」

「僕も気を失ってしまったんですが、その時に聞こえた名前なんです」

「お前の事じゃないか?」

「え?」

「カートっていうのは、元々はカーティスの愛称だ」

「そんな名前で呼ばれた事、一度もないですよ。母にすら」


 ピアはいぶかし気な表情をした。


「あのマント……ファンタムは、お前にだけは親切な気がするな。ボクには容赦なかったのに。少年と関わりがあるんじゃないのか」

「城に知り合いなんていないです」

「……父親とか」

「……そうなんでしょうか……」

「全然わからん、何なんだ一体。謎ばかりが深まるな」


 少し苛立つような様子を見せたが、金色の目は獲物を見つけた猫のように輝いて、それ以上に好奇心もあるようだった。


「とりあえず、気になるのは黒い水晶木すいしょうぼくだな」

「僕、明日出仕したら、先輩たちが見つけた本を聞いて借りて来ます」

「そうしてもらおう。ボクが詳しく調べるよ、暇だし」


 安堵したせいか、どちらとも知れずお腹がクゥっと可愛い音をたてたので二人で台所に行き、食事の準備を始めた所でカートが雑談的に今日の出来事をつけ足すように語り始めた。


「帰りに宰相閣下にばったり会ってしまって、人形の事を誤魔化すのが大変でした」

「宰相に会ったのか。大丈夫だったか?」


 以前の会話を思い出す。ヘイグのしていた心配も。カートはそれが杞憂であった事をピアに報告しようと思い立つ。


「どうも宰相閣下が知ってる人に、僕は似ているみたいです。残念ながら、その似ているという人は父ではないようですが」

「血縁がいるのかな。カートは知りたいか? ボクも伝手つてがない訳じゃないから、知りたいなら手を貸すぞ」

「……いえ」


 少し困ったような表情で、ジャガイモの皮を黙々と剥く。少年が遠慮しているのか、本当に知りたくないのかがわからず、ピアもそれ以上は何も言えない。


「そういえば、ピアさんのご家族は?」

「親戚ならそれなりにいるかな。母も離縁して実家の領地に帰っているだけで存命だし。もう直接の連絡は取っていないが。まぁボクもあまり血筋には興味ないから。あと結婚もしてないし、婚約者もいないぞ」

「そうなんですか……いたっ」


 ジャガイモの皮を剥いていたカートが、うっかり指を切ってしまったようだ。反射的に指をくわえてしまう。


「見せろ、舐めてはいけない」

「すみません」

「結構、ざっくり切ったな」


 その手を取ると、治癒魔法であっという間にその傷を癒して見せた。


「ピアさんって、治癒がお得意なんですね。詠唱もせずに治せる人は、僕の知ってる中ではピアさんが初めてです」

「すごいだろう、これでも稀代の大天才と呼ばれていたのだ」


 うそぶく口調で、表情を全く変えずにカートから手を離す。何てことない事だから、という感じだ。カートも魔導士を多く知っている訳ではないが、ピアはかなりの実力者のような気がしている。

 そもそも人形をあれほど精巧に作り、人と変わらぬ動作をさせる事が出来るのだ。

 この実力と魔力の多さは、命を狙われている事と関係があるのだろうかと少年は考えた。


 出来上がった夕食をテーブルに並べ終えると、二人はいつものように向かい合って座る。ジャガイモとベーコンを炒めたものと、キャベツのスープとパンという男所帯感のある簡易なメニュー。カートは料理をする事自体は苦手ではないが酒場で習ったものなので、酒のつまみのような物がどうしても多く、普段の食卓に並べにくい。

 一方のピアは食事に無頓着で、放置すると何も食べないかパンか菓子をかじっているだけという様子だった。


「僕にも、ピアさんの手伝いで、出来る事はありませんか? なんだか、僕の手助けばかりしてもらっている気がします」

「気にするな。ボクは、いつもボクがやりたいようにやっているだけだし。こうやって食事も作ってくれるし、不満はないよ。一緒に暮らしてくれるだけで嬉しいと思っているから」

「……ピアさん」

「なんだ少年」

「改めて言うのは恥ずかしいけど、僕、ここでピアさんと一緒にいる時間が一番、楽しくて好きです」


 少し照れながら言うものだから、ピアも気恥ずかしくなる。


「ボクもだよ。カートと生活するのはボクも楽しい」

「だから、僕。ピアさんに危害を加えようとしている存在が気になるんです。僕が首謀者を探すお手伝いをしてはいけませんか?」

「それは……」


 騎士団員であるカートなら、調べる事も出来るかもしれない。だが同時に、カートにも危険が及ぶ可能性が出て来るという事だ。命を狙われている事を、彼に伝えるべきではなかったかと、ピアは少し後悔した。


「そうだな、調べて欲しい事が出来たら言うよ。でも勝手に色々されると、計画が狂ったりするから、ボクが頼むまでは何もしないでほしいかな」

「はい」


 自分はまだ、彼の頼りになる存在ではないのだと、カートは少し気落ちした様子を見せたが、一応は納得した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る