第3話 添い寝


 翌朝、カートはいつも通り起きては来たが、顔色が悪い。


 階段を降りて来る表情も沈んで、うつむきがち。少し瞳が潤んでいるようにも見えた。

 朝食もいつも通りに作ってはみたものの、食は全く進んでいない様子で、薄いパンケーキは、皿の上でゆっくり冷めて行く。


 先に食べ終えたピアが無言で立ち上がると、杖をついてカートのそばまで歩み寄った。

 それを力なく、ぼんやりと見上げる少年の額に、そっと右手を当てる。


「熱があるな」

「え、……そうですか?」

「今日は休んだ方がいい。連絡はボクがしてやる」

「でも」

「この状態で出仕しても仕事にならんだろ、大人しく寝てろ」

「……はい」


 風邪等の病気というより、精神的なものに思えた。


 少しでも食べようと努力はしているようだったが、食欲はないようで、フォークで食べ物をツンツンといじってるだけのような状態になっている。


「食べたくないなら無理しなくていい。残して後で食べるなり」

「でも」

「でもでもって、さっきからうるさいな少年」

「すみません」

「だから謝るなと……はぁ……」


 熱のせいか、気弱さに拍車がかかっているようにも思えた。心細そうな表情はしているが、傍に居て欲しい等の甘えは一切口にしないから、ピアはまた少年が我慢していると気付き、怒ったように目を細める。

 ピアの不機嫌を過敏に感じ取った少年が、ビクリとして手に持っていたフォークを置いたので、青年は溜息をついて少年の髪をくしゃっと撫でて「怒ってはいない」と告げる。


 そのまま食事を諦めて、少年は二階に戻り、言われた通りにもそもそとベッドに入ると、毛布を頭から被った。

 自分が情けないという気持ちでいっぱいだった。昨日から、ピアには心配をかけ通しだし。

 心が下り坂に落ち込むのと反比例して、熱は徐々に上がり始め、寒気と吐き気の気分の悪さが出て来る。起きてるのか寝てるのかわからない狭間はざまで、少年は夢を見ていた。


――母さん。


 白い腕に抱かれたあの日。

 暖かさ。

 髪を何度も撫でられた。

 抱きしめて、額にキス。

 そして自分を呼ぶ、優しい声。

 

――あれ……?


 熱のせいであろうか、夢での声は母の声ではないような気がした。エリザは短い黒髪で緑の瞳、声は少し低めで癖があった。

 なのに夢で聞いた”母”の声は、澄んだ鈴のように軽やかで音楽的。その声は心に染み入るようにしっくりときて。


 酒場で働くようになって、あのような喋り方になってしまったのだろうかと彼は思った。荒っぽい酔っ払いを毎日相手にしていたのだ。怒鳴りもするし、大声で注文を取る。カートを育てるために頑張って働いてくれていた。


 甘えさせてくれなかったのは、寂しいけれど。

 厳しくされたが、愛されていたと思う。

 でも今はあの癖のある厳しい口調の声より、先程の鈴のような声を聞きたいと、彼は思った。


 ウトウトとまどろんでいると、不意に扉がキィッ、という小さな音を立てたので、カートは目を開けた。

 町娘のような姿の少女人形が、ピョコっとその顔を出して部屋を覗き込む。


「起きてるのか?少年」

「あ、ピアさん」


 ピアは静かに部屋に入って来て、ベッドの上のカートを確認する。


「休みの連絡をしてきた」

「ありがとうございます」

「また泣いてたのか」

「え?」


 慌てて手を頬に持って行くと、ひどく濡れていた。泣きながら寝ていたらしい。

 少女人形は首をちょっとだけ傾げる。


「具合が悪そうだな」

「心配かけてごめんなさい」

「気にするな」


 ピアはカートの顔をじっと見て、少年の体調の様子を診ようとしている様子だが、魔法でどうこうできる類ではないのが。暫く悩んでいたが、靴を適当に脱ぎ散らかしながらベッドに乗って、ぱっと毛布をめくると、そのまま潜り込んで来た。


「ちょっと詰めろ」

「何してるんですか」

「一緒に寝てやる」

 

 猫が潜り込んで来るような感じの仕草だったので、カートは少し怯みはしたものの、言われた通りに少し場所をズレて少女人形の分の隙間を空けた。

 ピアは当然のようにカートの腕を枕にする。


「目を閉じろ」

「あ、はい」


 少女人形の方に体を向けたまま目を閉じる。

 向かい合う人形の手が、優しくカートの髪を撫ではじめた。

 人形のはずなのにあったかくて柔らかい。本当に、普通の人間のように思える。


 そばにある人肌のぬくもりが、心地よく。ずっとこれが恋しかったのかもしれない。


 撫でられながらそう考えてると、あっという間に眠ってしまった。今度はまどろみではなく、深い眠りだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 夜の薔薇咲き誇る東屋に、薄いベールを月明かりに透かすように立つ美しい乙女。

 その彼女に静かに歩み寄るのは、騎士団長ヘイグであった。まるで少女のように華奢で妖精の如くの女王と対比するように、大柄で逞し気な体躯たいくの青年。


「陛下」

「お兄ちゃん、二人の時はやめて」

「わかった、グリエルマ」


 少しだけ困ったような表情のヘイグに対し、沈んだ顔を見せるグリエルマ。


「ピアはやっぱり、もういないの?死んでしまったの?」


 ヘイグは、戻って来た調査隊の報告書を思い出す。それに記載された”生存者なし”の文字。近年、魔導士が次々と魔物に攫われては消息を絶つ事件が増えていて、誰一人見つかっておらず、おそらくピアも絶望的に思えた。

 精霊の指示は特にないが、ヘイグはこれらの事件は以前から気になって個別の調査は行ってはいたが、精霊の指示がない調査はなかなか大規模に行えない。


「残念だが」

「ああ、ピア……」


 両手で顔を覆い隠し、涙が溢れだすのを抑えこもうと努力をしたものの指の隙間から落ちる程であった。


 泣き虫で甘えん坊の妹分。


 妹……と、いつから思えなくなっていただろうか。

 ヘイグの心情は複雑である。


 可憐で愛らしい、十歳の頃から一緒に育った愛しい娘。

 親が決めた事ではあるが婚約の話もあったのに、彼女が女王になって立ち消えになってしまった。


 そして今、彼女の心を掴んで離さないのは、自分ではなく親友。


 出会いではグリエルマにそっけなかった親友が、自分の家に遊びに来るたびに彼女との距離を縮めはじめた事には驚いたものだ。妹と親友の組み合わせは歓迎すべきことでもあったはずなのに、己の心に芽生えたのは、嫉妬心。

 大切にしているのは自分なのに、最初に出会ったのは自分なのにという気持ち。


 それを、彼に悟られたのかもしれない。突然ピアは、グリエルマと距離を置き、そっけない態度を見せるようになった。粗雑で乱暴に、自由気ままなのがボクだからとわざと嫌われるように。

 それでもグリエルマのピアを見る目は変わらなかった。むしろ、更にその瞳に熱を帯びるようになったようにも思う。


 あの日、身を挺して彼女を庇った親友。

 ピアもまた、という気もしてならない。


 泣きじゃくって震えるその両肩に手を置いて、静かに慰める。

 

――俺が一番、そばにいるという事に、いつか気づいてくれるだろうか?


 苦おしい思いが、青年の胸中の支配率を高めて行った。


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