第四章 停滞と薄弱

第1話 理不尽


「お前のせいだからな」

「えっ!?」


 地下道から戻ったばかりの彼は、アーノルドと十人程の取り巻きに囲まれて、青い瞳を見開くしかない。いつもいる細身の少年だけは姿が見えないが、それ以外はいつもの面子であった。


「とんだ大恥をかいてしまった」

「何の話か、全くわからないのですが……」


 地下道にいる間に、何があったのかカートは知る由もないのだから当然の反応である。

 キッとその吊り目を細めて、アーノルドは苛立った顔をした。


「お前の代わりに、図書室で調べてやったじゃないか。その結果を団長に報告したんだ。黒い水晶木すいしょうぼくの精霊だなんてお伽噺を、団長に言ってしまって笑われた」


 アーノルドは続けて団長に何処まで伝えたか、どういう内容かもつけ足して語ったが、自分の才能の怖さ云々の余計な情報もてんこ盛りで、これを全て聞かされた団長の心情を思いやると、笑って返すしかなかったヘイグの心情が手に取るようにわかる。


 そもそも、その内容で報告すると決めたアーノルドの自己責任ではないかと思え、流石のカートもおずおずと遠慮がちに反論をする。


「僕の知らない内容を報告したことで団長に笑われた事が、どうして僕の責任になるのですか」


「うるさい!元々は、おまえが図書室で調べろと言った事が発端ほったんだろうが」


 理不尽過ぎる言い分だ。これ以上の言いがかりが、カートのこれまでの人生であっただろうか。だが取り巻き達は「そうだ、そうだ」と、アーノルドにひたすら同調する。

 更には取り巻きの一人が、声を荒げた。


「アーノルド様にこんな恥をかかせて、ただで済むと思っているのか、庶民の癖に!」

「元はと言えば、地下道の調査でおまえが仕切るのがおかしい。リーダーは公爵家のアーノルド様だろう!」

「謝罪しろ!」


 まるでドミノ倒しのように、次々と取り巻き達から怒号が連なった。囲まれて、一方的に「お前が悪い」と詰め寄られている状況。


 それでもカートは、自分は全く悪くないと思った。


 思いはしたが、この場を収めるには謝罪以外の選択肢が思いつかない。

 例え理路整然と反論をしても、結果が変わらないのも目に見えている。


「申し訳、ありませんでした……」


 目を伏せて、絞り出すように謝罪の言葉を口にしたが。


「心が籠ってない! ほんと生意気だな」


 アーノルドが平手で殴りかかって来て、反射的にカートはけてしまった。手が空を切って勢い余ってよろめく巻き毛の少年は、そばかすの散った鼻を赤らめて更に怒りと苛立ちを深めると、続けて叫ぶ。


「こいつを抑えつけろ!!」


 うなずき合った取り巻きのうち三人が、代表してカートの後ろにまわりこみ、二人がそれぞれの左右の腕を掴むと、一人は背面から彼を抱えるようにする。


「えっ、ちょっと!」


 完全にカートが逃げられない状態になった事をアーノルドは確認すると、嫌らしく笑う。


「最初から、大人しくしておけばいいのに」


 ぐるぐると肩をまわし、思いきりその右腕を振りかぶる。


 ガッ


 鈍い音が少年の左頬からして、カートはよろめいた。アーノルドは、二回目は拳で殴り掛かってきたのだ。


 口の端を切ってしまい鮮血が散る。


 数滴の血が石畳に落ちたのを見て出血に怯んだのか、カートの動きを縛っていた取り巻き達の手が緩み、青い瞳の少年は尻餅をつくように床に腰を落とした。


 殴られた左頬を手で抑えると、口の中に鉄のような匂いが広がる。


「わ、わかったか! 今度また俺に逆らったら、これぐらいじゃ済まないからな」


 アーノルドは殴った自分の右拳も相当痛かったようで、ぶらぶらと振っている。そしてやりすぎてしまったという後悔もあったのか、座り込むカートを置き去りに、逃げるように取り巻き達を引き連れて立ち去った。


 カートは悔しさにうつむき、唇を噛むしかない。頬も痛いが、心も痛くてたまらない。


 こんな理不尽に対しても、逆らえない自分の弱さが、辛い。


 床に目線を落としたまま、壁に手をついてよろめきながら立ち上がる。


 アーノルドの腕力はそれ程強力ではなかったが、押さえつけられていたため、衝撃をダイレクトに受けてしまい、結構な痛みがあった。


「……いたた。こんな怪我をして帰ったら、ピアさんがびっくりしちゃうかな……」


 独り言を口にした時も数滴、血が落ちた。軽い脳震盪のうしんとうを起こしているのか、眩暈めまいがあったので壁に寄りかかる。


 丁度そこに、これから会議に向かう数人の騎士を連れた騎士団長と、宰相が通りかかった。

 全員が驚いた顔をしたが、まず駆け寄って声をかけて来たのはヘイグだった。


「どうしたんだカート!」

「いえ、何でもありません」


 慌てて姿勢を正そうとするが、ふらついてヘイグに両肩を支えられる。

 続けて宰相ヴィットリオが歩み寄りながら、声に怒りをたたえて言う。


「何でもないという怪我じゃないだろう、それは。殴られたのか? 誰にやられた」


 ここでアーノルド達にやられたと言ってしまうと、波風が立つと思ってしまった。自分だけが我慢すればいいとカートは反射的に思い、口元の血を袖で拭いながらニコリと笑って見せる。


「報告するような事ではありませんから」

「……そうか」


 少年が言いたくなさそうな気配だったので、ヘイグとしてもこれ以上は問いただせなかった。団長の後ろにいた数人の騎士も顔を見合わせ、ヴィットリオは静かに目を細める。


「顔色も悪い、その怪我でこれ以上は仕事にならないだろう。今日はもう帰宅してよし」

「ありがとうございます」


 丁寧に騎士らしいお辞儀をし、心配そうに見送る団長達の前から立ち去るが、厩舎に向かう間も心がざわざわとする。


 馬の世話をしていたバッカスが、見慣れた少年の殴られた痕跡に、こちらも顔色を変えて駆け寄って来た。


「どうしたんだ、その怪我は」

「大した事ありません、すみませんご心配を」

「あのおぼっちゃま達か」

「……」


 カートは何も言えなかった。否定も肯定もできずにうつむく少年の心情を察し、老人はそれ以上言わなかった。早めの帰宅を許されたようだし、団長も知る所だろうと思ったからだ。騎士団内の揉め事は騎士団で解決するしかない。


 愛馬のカルディアも心配そうに鼻を鳴らす。


 とにかく苦しい。哀しいのか悔しいのか、そしてその気持ちをどうしたらいいのかもわからなくて、混乱したまま帰宅した。


 先に戻っていたピアは、いつものようにソファーに座り本を読んでいたが顔上げ、まだ明るい時間だったのでその時点で驚いた表情を見せた。


「あれ? 今日は早いな」


 そう言って、カートの頬の傷に気付く。


「おいおいなんだ、その怪我は」

「あ……」


 慌てて左手で隠すが、もう遅い。


「治してやるから来い」

「すみません」

「これは、殴られたのか」

「はい、先輩に」


 少年は、ピアには正直に言えた自分に、少し驚いた。

 魔導士はそばに寄った少年の頬に、丁寧に手を当てる。その手のぬくもりだけでも癒されそうになる程、優しい触れ方だった。


 ピアの治癒魔法によって、頬の傷は癒やされ、痛みも消える。しかし心は痛いまま。沈む表情のまま自室に戻るカートを、ピアは心配そうに見る。

 いつもより時間をかけて、少年は部屋で制服を部屋着に着替えると、重々しく階段を下りて来た。


「カート」

「はい?」

「全部、ボクに言え」

「えっ」

「何かあったんだろう? そんな苦しそうな顔で、何もなかったとは言わせないぞ」


 台所に向かいかけていたカートは、ピアの強い眼差しを受けて、渋々という感じで対面のソファーに座った。


「さぁ話せ!」


 カートは苦し気に、アーノルド達にやられた出来事をピアに話した。


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