第5話 調査二日目


「きょ、今日も行くのか!?」

「五日間の調査期間がありますから。昨日は途中まででしたし」


 金髪巻き毛のそばかすの少年は、もう昨日の報告ですべてが終わったのだと思い込んでおり、再び地下道に降りる事をひどく嫌がった。もちろん、その取り巻きも。


「じゃあ、僕一人で行ってみますね」

「ほ、報告は俺がやってやろう!」

「お願いします」


 地下道の入り口に怯え切った三人を残し、昨日同様にランプを携えてカートは一人、問題の場所を目指して歩いて行く。

 暗闇に消えて行くカートの背中を見送りながら、残された三人は顔を見合わせる。


「あいつを一人で行かせた事がバレたら、それはそれでまずい気がするな」


 結局、昨日はなんともなかったし、カートも全く平気そうであった。あれは危険がないと、三人は思った。


「幽霊じゃないなら、怖くないですよね」

「例えお化けでも、襲い掛かってこないなら」

「よし、俺達も行こう!」


 ぱっと松明を壁から取り外すと、三人は小走りでカートを追いかける。不揃いな足音はバタバタ、パタパタととても賑やかだ。


「あれ?」


 背後から三人組の呼び止める声が聞こえ、振り返り青い瞳を向けると、入口に残してきたはずの調査メンバーが松明を掲げ追いかけて来た。


「お前一人では心もとないからな。実力のある者が背後にいないと、昨日のような無茶はできまい?」


 むしろいない方が安全な気もしたが、この四人で調査するという命令でもあって、カートは静かに頷いて彼らを迎えいれる。そして前回と同じ隊列で、問題の場所まで。


 周辺の様子を見るが、マントの姿はない。


「……っ!」


 カートは周囲を伺いながら右手に持ったランプを高く掲げようとしたところで、右肩を左手で抑え、苦悶の表情をした。


「お、おいどうした? 何かあったのか??」


 アーノルドが顔色を変え、声は上ずる。


「あ、すみません。昨日、馬から落ちた時に肩を打ち付けたようで。腕を上げると痛みが」

「馬から落ちるとは、騎士として恥ずかしいな。どんくさいぞ」


 あざけるように笑うアーノルドの方に少年は身体ごと振り返ったものの、詳しく説明するのも煩わしく、苦笑で返した。


「あっ、あれ!」


 アーノルドの真後ろにいた細身の少年が狼狽ろうばいした顔で、カートの背後を指差す。


 太目の少年が、ひゃぁあと、空気が抜けるような悲鳴を上げ、アーノルドは口を大きく開け、細い目も限界まで見開いて一歩後ろに下がると、そのまま取り巻きにぶつかった。


 カートが前方に向き直ると、そこにはマントが。


 紺色の、マントだけが。


 まるで透明人間がマントを羽織り、フードを目深にかぶっているようで、人が纏っているがその姿が透明で見えないだけという感じで、静かに浮かんでいた。


「え?」


 カートの声が出たと同時に、宙に浮かぶマントはぐわっと両腕を広げるようにし、彼に向かって飛び掛かって来たのだ。反射的にランプを投げ捨てカートは剣を抜き終えたが、次の瞬間には完全にマントに包み込まれてしまった。


 臆病な三人はそんなカートを助けようともせず、悲鳴を上げながら脱兎のごとく逃げだした。


 マントに包み込まれた少年の右手に握られていた剣は、カランと乾いた音を立てて床に落ち、青い瞳はゆっくりと閉じられ、その体は抱きおろされるようにふんわりと床に倒れ込む。

 意識を失ったカートの上にマントはしばし覆いかぶさっていたが、すっと立ち上がる仕草を見せると同時に、闇に溶けるように消えて行った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 カートがまぶたを上げた。

 ピチャン、ピチャンと水滴の落ちる音が耳に入るだけで、静かだ。


 彼はゆっくりと体を起こす。

 かたわらには投げ捨てたせいで砕けたランプ。それからあふれた油についた火が、細々と燃えていて、倒れていたのはそれほどの長時間ではなかったようだった。


 冷たい石畳の上にいたせいか、体温が奪われている感じで少し寒い。一緒に来ていたはずの三人の姿はなかった。


 立ち上がって剣を拾い上げ、鞘に納め周囲に目を向ける。暗闇に目を凝らすが、石造りの壁と床が見えるだけ。


 飛び掛かってきたもののマントからは殺意は感じなかったし、今もアレに対して恐怖心が沸かない。

 未だに何かはわからないが、害意は感じられず。


「しかし真っ暗だなあ、ランプなしで戻れるかな……」


 割れたランプの破片が、このままだと危なく思えた。暗がりで誰かが踏んだら、怪我をしてしまうだろうと。


 彼は一番大きな破片を手に取ると、床に散った油を軽く掬い、芯を拾い上げてその上に乗せ、油についた火を移すと、その灯りを頼りに散ったガラス片を集めてハンカチに包む。


「これぐらいで大丈夫かな」


 小さな灯は心もとないが、足元は辛うじて見えるので、彼はそれを頼りに元来た道を戻って行った。


 出口付近に着くと、三人組の声が聞こえる。


「どうしよう、人を呼ぶ?」

「そんな事したら、僕らが逃げたのがバレるじゃないか」

「あいつが一人で行った事にするのは?」

「死んじゃったのかなぁ……」


 やっぱりこの三人がいない方が、調査が進みそうに思えた。


「生きてますよ」


 背後から死んだかもしれないと思っていた少年の声がして、三人は文字通り飛び上がって驚いた。

 中々のジャンプ力だった。


「おっおま!」

「先輩、今日は何も発見できなかったと、報告してもらってもいいですか?」

「何を言ってるんだ、あんな目に合って」


 カートは静かにまっすぐ、アーノルドを見つめる。

 その圧に負けて、彼は渋々頷いた。


 あのマントは、敵対的ではない気がするのだ。

 カート、そっと左手で右肩に触れる。


 馬から飛び降りた時に負った肩の打ち身の痛みが、完全に消えているのが気になった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 今代女王グリエルマの私室は、レースとベールとリボンを多用していて、なかなか少女趣味であった。綺麗で可愛らしいものが好きな彼女は、自分の趣味に彩られた自室での時間が一番好きだ。


 女王の職務は、水晶木すいしょうぼくへの挨拶にはじまり、神殿地下の歴代女王の棺への挨拶や礼拝など、儀式めいたものが多い。

 その中で一番重要なのが、国の政務に関する精霊のお告げを聞く事である。


 彼女の部屋の隅に、小さなトレイが置かれていて、毎朝目覚めるとそこに、精霊の言葉が書かれた紙が入っていた。


 女王は精霊の声が聞こえる者が選ばれるとされていたのだが、選ばれていない彼女は声を聞く事が出来ずにいる。しかし毎朝、紙に記載されて言葉が届けられるため、グリエルマはなんとか女王としての体裁を保つ事が出来ていた。


 精霊に対する信仰心の強い彼女は、直接の声を聞けない自分のために、精霊がこうして伝えてくれると信じて疑っていなかった。


 字はたどたどしく、まるで手探りで書いたように大きく歪み、うねり、とてつもなく読みにくいがこれが精霊の精一杯なのだと。


 自分が声を聞けないばかりに、精霊に苦労をかけてしまっているような申し訳なさも生じ、心を込めてお仕えしますと改めて精霊に忠誠を誓う。


 いつものようにトレイに入った数枚の紙を取り出し、その内容を確認する。


「鉄鋼の増産……隣国への木材の提供……商業区の施療院建築……」


 書類に目を落とす彼女の耳に、いつもの時間、いつものように扉を叩く音が聞こえたので、グリエルマはその紙をまとめて持つと、侍女に向かって頷いて見せた。侍女が心得たように扉を開けると、うやうやしく礼をする宰相の姿。


「陛下、本日もご機嫌麗しく」

「今日のお言葉はこちらです」

「お預かりします……。陛下、先日の新しい騎士の叙任の件ですが」


「カートの事でしょうか」

「はい。彼の叙任も、精霊のお言葉によるものとの事でしたが、私の方に連絡がなかったのは何故でしょうか」


「精霊様が、そうせよとおっしゃったからです」

「私には、知らせぬようにと?」


「宰相を経由するに及ばぬ、との事でしたので」


 きょとんとした顔で小首を傾げるその姿が、随分と子供っぽく、ヴィットリオは若干眉を寄せた。


「直接、お声を?」

「いえ、いつもの通り、紙に記していただきました」


「左様でございましたか」

「それが何か?」


「いえ、庶民を叙任と聞いて驚いたものですから」


 それだけを言うと、受け取った紙を持ち、宰相ヴィットリオは踵を返す。女王は威厳の欠片もない少女のような仕草で、再び首を傾げ、それを見送った。


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