第4話 ワイバーン
ヘイグに言われた目録も整え終え提出も終わり、帰宅時間になったカートは厩舎に向かった。
「ピアさん」
少女人形は、厩舎に積まれた飼い葉を四角く固めた物の上に座っていた。足をぶらぶらさせてるその姿は、まさに少女そのもので、中身は大人の男性なのにと思うと、そのギャップにカートは思わず笑顔になってしまう。
「すみません、お待たせしましたか」
「なんてことない」
ぴょこんと飼い葉の塊から飛び降りると、トコトコとカートの
やはりどう見ても本物の女の子にしか見えないと、カートはまじまじとその顔を見てしまった。唯一人形ぽいと思う部分は、表情を変えない所であろうか。それでも、ぱちくりと大きな瞬きをする様子が可愛らしい。
「夕食は何か、すぐに食べられる物を買って帰りましょうか」
「そうしよう」
カートは少女人形の脇に手を入れて、ひょいっと持ち上げると、馬に乗せる。自身は馬には乗らず、手綱を引いて歩いて行く事にした。
いつものように門番の兵に挨拶をして城門を潜ると、暮れていく空の下、灯りが煌めく街が広がる。王都というだけあって、地上は光の洪水。
赤みから紺色に変化していく空の色に相反するように、街の人々の生活感のある灯火は天上の星を見えなくするほど煌々と。
夕食の時間でもあるから、あちこちから美味しそうな匂いがして来た。
商業区はそれなりの人出があって、なかなかの混雑。屋台で何か見繕って帰ろうとしていたのだが、にわかに騒ぎが耳に入る。早々に酔っ払った者同士のケンカでも始まったのか? という感じである。
「なんだろ?」
近づくにつれ、騒ぎはケンカのような小さい物ではなく、悲鳴が混じる騒ぎになっていた。人々が逃げ惑うという様相を呈して、カートは少女人形と顔を見合わせる。
とりあえず逃げる男を一人捕まえて、何が起こったのかを聞いてみた。
「街に逃げ込んできた馬車を追いかけて、ワイバーンが……!」
「ワイバーン!?」
ワイバーンは両腕が翼になった竜の一種で、人語も理解するような賢さがあり、遠い北の国では飼いならし、馬の代わりの移動手段として使っている国もあるという。
むやみに人は襲わないが、稀に巣に近づいた者を殺すまで執拗に追いかけまわす習性がある。馬車がおそらく、知らず知らずに巣に近づいてしまったのだろうと思われた。
少年は馬を引いたまま、騒ぎの中心に向かって走りだす。
すでに街の自警団の兵が出ており、馬車を押しつぶしたワイバーンの周囲を遠巻きに囲っているのが見える。ワイバーンは周辺の人々を威嚇し、半狂乱になっており、目的の馬車を潰しても満足はしていないようだった。
そして潰された馬車の下。僅かに残った隙間に、頭を抱え息を潜めて怯える赤毛の少年。
今は気づかれていないようだが、ワイバーンが動くたびに、ミシリと木の割れるような音がして、その隙間がどんどん少なくなっているように見える。
この場でワイバーンと戦えば、馬車は完全に潰れてしまうであろう。
自警団も、それに気づいて何もできず、遠巻きに様子を伺うだけだ。
「なんとか気を引けないかな……?」
「行くぞ」
言葉を発すると同時に、少女人形はぴょこんと馬から飛び降り、ワイバーンに向かって走り出した。
腰の背面側に差した二本の短剣を抜きながらワイバーンに肉薄する。
「ピ、ピアさん!?」
少女人形は身軽な動作で、ワイバーンの前まで走り寄り、その視線を引き付けると、パッと移動する角度を変え、その真横に回り込み、その首がこちらに向いたのを確認すると、更に一歩前に跳躍し、その背後を取り、尻尾を撫でるように短剣で切りつけ、それに反応して振り上げられる尻尾を反転して軽やかに避ける。
ちょこまかと動くその姿に、ワイバーンは苛立ったように完全に体の向きを変え、馬車の残骸から降りて、これ以上背後を取られまいとした。少女人形は深追いはせず、街の出口の方向に向かって走り出す。
カートはそれを見て、ピアがワイバーンを街の外まで引き付けて連れ出そうとしているという意図を知る。しかしいくら素早いとは言っても、飛んだワイバーンの速度から走って逃げ切れるとは思えない。
ワイバーンが翼を大きく広げ、飛びそうな仕草を見せた。
カートは手綱を引き、相棒である馬と共に走り出すと、そのままの勢いで飛び乗って駆ける。
それとほぼ同時にワイバーンが翼をはためかせ、ついに飛翔を開始し、走る少女人形に狙いを定めた。
カートは全速力で馬を駆ると、追い抜きざまにピアを掬い上げて抱きかかえ、速度を落とさずに街の外に向かって馬を走らせる。その上をワイバーンが飛翔し、翼が起こす風を感じた。
疾駆して門を抜けてなんとか街の外に出たが、優秀な黒馬の速度でも危うい気配を感じる。
「馬を逃がします。飛び降りますね」
そう少女人形に向かって言い、街から出てすぐの森の手前でカートは
柔らかい草地を狙って飛び降りたが、流石に多少のダメージがあった。それでも即、勢いを利用して茂みに飛び込む。
馬を追いかけようとしたワイバーンだったが、人を乗せた重みがなくなったため速度も上がり、森の木々に阻まれて上空からは簡単には襲えない。
暫く真上を旋回し続けていたが、やがて落ち着いたのか諦めたのか、その翼音を大きく立てて、北に向かって飛び去って行った。
それを茂みから見送って、カートはほっと息を吐く。
「ピアさん、大丈夫ですか」
「うむ、なんともない」
少年はぺたんと地面に座り込むと、少女人形を向かい合うように膝の上に置き、話しかける。
「無茶しますね」
「でもいい方法だったろ? 少年ならボクの意図を汲んでくれると思っていた」
「汲めなかったら、どうするつもりだったんですか」
思わず笑顔がこぼれる。
「まぁその時は、人形を一体失うだけだ」
それを聞いたカートは、神妙な顔をした。
「ピアさん。愛でろとまでは言いませんが。もう少し愛着を持って大事にしたほうがいいのでは? 僕には物のようには思えないです」
「わかった、そうしよう。意識を入れてる時に人形が壊れると、本体にもダメージが行くし」
無表情に、首だけを傾げながら言う。
本当に分かったのだろうかと思いながら、カートは少女人形を抱えたまま立ち上がると、その目線の先に、馬が駆け戻ってくるのが見えた。
「さて、あの騒ぎの後でも、何か買えるといいんですが」
王都内に戻ると、商売人達はたくましくワイバーンに荒らされたエリアは早々に片付けが始まり、落ち着きと活気を取り戻していた。
戻ったカートに、街の人々が陽気に声をかけて来る。
「おお、さっきの少年少女か!」
「大活躍だったな。いい判断だった」
「騎士団員にも骨のあるやつがいたとは」
自警団の数人が、感心したようにカート達を褒めたたえるから、少年は少し照れてしまった。しかし先程の功労者はピアである。
「今夜はピアさんの好きなメニューにしましょう。何がお好きですか」
「あれが好きだ」
少女人形は、屋台の一つを指さした。それは小麦粉を練って揚げ、シナモンと砂糖を振った、この地方伝統のものである。
「お菓子じゃないですか」
思わぬ選択に少年は、先程の達成感もあって「デザートにしましょう」と言いながら、心からの笑顔をピアに向けた。
そんな二人に、そろそろと近寄る赤毛の少年。先ほど、馬車とワイバーンの下敷きになっていた彼だ。
「ジオ!?」
出仕するカートに、嫌味を言ったあの少年。
「ありがとうカート。恰好良かったよ、……じゃあな!」
それだけを言うと、ぱっと走り去ってしまった。
「怪我はなさそうで、何よりだな」
少女人形は無表情に腕を組んで見送る。
カートは微笑んで、友人の小さくなる背中を見つめ続けていた。
今の立場に相応しい行動を頑張る事で、身分を原因とする心の隙間が、いつか埋められるのではないかという気がして。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます