第5話 魔導士

 

 ラザフォード国の城は平和な時代の長さから洗練されたものではあったけれど、地下道だけは古い時代のまま使われており、国が豊かになるにつれて増改築を繰り返した結果、慣れた者でなければ迷うような迷宮めいた場所になっている。


 灯火は入口と頻繁に人の出入りがある倉庫、囚人を一時的に収容する牢にある程度で、滅多に人が立ち入る事のない場所。

 それでも地下という温度が一定の環境は貯蔵庫に向いていて、下働きの使用人が出入りする事はそれなりにある。


 この日、冷たい石の壁にランプの暖かい光を反射させなら、使用人の一人が地下道に降りていく。

 普段なら午前中に行く仕事ではあったけれど、昨夜の深酒が影響して寝坊をしてしまい、彼はそれを挽回すべく速足で晩餐用のワインを取りに向かっていたところだ。


「やべえやべえ、さっさと片付けねば」


 通いなれた通路だから、ほぼ暗闇と言っても良い一見薄気味悪い場所も彼は平気で歩んでゆき目的の倉庫にたどり着く。

 それなりの銘柄が揃っているとはいえ、このような場所に盗賊が忍び込む事もなかろうと鍵の類はなく彼はすんなり倉庫に入り、軽くメモした今日必要になる銘柄を探すべくランプを掲げてラベルを読んでいたところ、風……気配を感じた気がした。


――クイルのやつも寝坊をしたか。


 昨夜一緒に飲んだ男の名前を思い浮かべ振り返り、開きっぱなしの扉の向こうに目を向ける。


 スッスッス。


 軽く布を引きずる音と共に、紺色のマント姿が横切って行くのが見えた。暗闇を何の灯火も持たずに、である。


「え?」


 慌ててランプを掲げて通路に飛び出した男の目の前で、背を向けて去っていくマントが闇に粉々に散って消える。


「ひ? ヒェ……」


 空気の抜ける情けない声を出し、次いでオバケだーーーー!! 等と叫びながら男はガクガク笑う膝で、必死に地下道の出口を目指して逃げ出して行った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 カートが少女を膝上で横抱きにしたまま、上半身だけで振り返ると、そこには乱雑なボサボサの黒髪が大雑把な印象の質素な魔導士のローブをまとった二十代前半であろう青年が立っていた。


 彼は左手に杖を持っていたが、それは魔導士の杖ではなく、老人が突いているような身体を支えるためのものである。

 瞳は猫のような金色で、膝上に横たわる少女と同じ色。


 彼は左足の膝が曲がらないようで、カクンカクンといった感じでゆっくりと歩みを進める。


「この足では逃げられなくてね」


 歩み寄った彼が軽く右手を動かすと、カートの膝上にいた少女がピョコっと起き上がった。


「あっ、君、動いて大丈夫なの?」


 慌てて彼女に声をかけたが少女は一切表情を変えず、何も言わない。ぱちくりと大きく瞬きだけをして、何事もなかったようにトコトコと可愛らしく歩き、杖を突いた男の元にたどりつくと彼の右手を取る。


「安心したまえ、この子は人形だから」

「え? 人形!?」


 どう見ても生きた、普通の女の子にしか見えない。膝の上に抱き上げた時の重さや、柔らかさ、かすかな体温もあった。


 カートは立ち上がって、男性に向き合う。


「その服装は、王都の騎士団員か。ボクはピア・キッシュ、見ての通り在野の魔導士だよ」

「カート・サージアントと申します」


 カートは騎士の、右腕を左胸に当てるという礼儀正しい敬礼の仕草をして見せた。


「サージアント? 何処の家だろうか」

「……貴族の出ではありません」


 ピアは目を見開いて、随分と驚いた顔をした。


 貴族でもないのに、騎士団員という事に驚かれたのかとカートは思ったが、魔導士が口にしたのは別の驚きの言葉だった。


「その気品ある立ち振る舞いで!? 下手な貴族より貴族然としてるじゃないか」


 彼は、カートを上から下までを何度も往復して見つめるが、興味深いという様子であって、不躾な感じは全くしない。



「先ほどの戦いぶりも見事であったし。剣術の師は?」

「師と呼べる存在は特におりません。元々は一般兵になるつもりで、兵士としての訓練を積みました」


 魔導士は益々金色の瞳を見開いて、信じられないという顔をする。


「実戦経験は?」

「恥ずかしながら、これが初めてです」

「なんと……」


 感心したような顔で、ほぅと感嘆の息を吐く。


「ともあれ、君のおかげで助かった。礼をしたいところだが、これから何処かに行く用事であっただろうか?」

「白い塔に、妖精の小瓶を受け取りに向かう途中です」


 ピアの表情が、少し引き締まる。


「それは、ちょっと遅かったな」

「え? どういう事でしょう」


「……城に報告をしなければならないだろうから、行くだけは行った方がいいな。案内しよう」


 よろよろと歩き出した魔導士の右側を、人形の少女が支えるようについて行く。

 カートは指笛を吹いて、離れた所に置いた愛馬を呼ぶ。

 良くしつけられた黒馬は、呼ばれた事を喜ぶように駆け寄って来た。


「あの、よければ馬に乗ってください」

「それは助かる」

 

 少年の手を借りて、少女人形を前に抱えるように魔導士は馬に乗ると、カートが手綱を引く。


「姫君のエスコートのような真似をさせてしまって、すまないな少年」

「お気になさらず」


 爽やかな、という形容に相応しい青い空の瞳に相応しい明るい笑顔。


 昨今の騎士団員は全て貴族の子弟という事もあって、傲慢で我儘、気が利かない者ばかり。ひたすら身分に胡坐あぐらをかくだけと言った風情だが、庶民の出と言うこの少年は、古き良き時代の騎士のようである。


 かつてはこの国の騎士には、”騎士の十戒”というものがあり、「優れた剣技をもって、勇気を忘れず、正直で高潔で、誠実であること。なおかつ寛大であり、信念を持ち、礼儀正しさと親切心と共に、崇高な行いをせよ」というものがあったが、精霊による支配による長い平和の中で武芸を必要としない期間が長かったせいか、今ではすっかり廃れてしまっていた。儀礼的な仕草として残るのみ、といったところであろうか。


 だが今、目の前にいる少年はかつての騎士の十戒の化身のようですらある。


「その女の子……は、魔法で動かしているんですか?」


 あまりにも本物のようにしか見えないため、少年はどうしても人形とは言いづらかった。


「そうだよ。最初は義足の研究をしていたんだが、人形を作って動かす方が楽だったから。これで随分と生活がしやすくなったし、身を守りやすくなった。さすがに先ほどは危なかったが」

「無事でよかったです。この辺りにお住まいなんですか?」


「塔で暮らしていた」


 短い返事。


 そしてピアはまっすぐに腕を上げ、人差し指でカートの視線の行く先を示す。


 魔導士に顔を向けていた少年騎士が、彼の指が示す方向に顔を向けると思わず息を飲む。同時に足が止まってしまったので、馬も立ち止まる。


 白煙と黒煙が入混じり、石積みの壁はほとんどが崩壊し、地図上ではそこにあったはずの塔は、完全な瓦礫だけの廃墟と化していた。


「これは一体……?」


 少年騎士は、想像もしていなかった非常事態の光景を、茫然と見つめるしかなかった。


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