第二章 少年騎士
第1話 身分というもの
十五歳になる日が来てしまった。
カートは与えられた騎士の制服に初めて袖を通し、多くはない荷物をまとめる。
母の遺品も
そして父の物であろうか、剣が一振り。
全てを整え終えると、朝からそわそわと店の掃除をしているゼルドの元に行く。
「カート。誕生日おめでとう」
少年が階段を降りて来た事に店主は気付くと、手にしていた掃除道具を置き、歩み寄って働き者の証のような大きな手で少年の頭を撫でた。優しい眼差しは、父親のそれである。
そして今日が彼の巣立ちの日であり、別れの日でもあった。
「今まで、育ててくれてありがとうございました」
他人行儀なまでに丁寧な、しっかりとしたお辞儀。こんな場末の酒場に
酒場には似付かわしくないが、騎士姿の彼には
「いつでも遊びに来てくれ、本当におまえを愛しているよ」
「おじさん……」
二人は、親子としての最期の抱擁を交わし合う。
もしカートが、「ここに置いて欲しい」と甘えてくれたなら。
兵士になるのをやめて、「店を継ぐ」と言ってくれたなら。
店主の中にはそういう思いもあった。
だが少年は幼い頃から人に甘えるのが苦手なようで、母親であるエリザにさえついには甘えた事がなかったように思う。いつも遠慮をして、一歩引いて相手の顔色を伺うその性格。
優しすぎるのか気弱なのか。それとも母の教育のせいか。
寂しそうな顔をする事はあっても泣く事もなく、怒った顔を見た事もない。近所の子供とケンカをしてもせいぜい悔しそうに
こんな性格で我儘な貴族の子弟だらけの騎士団に入って大丈夫なのだろうかという心配もある。
だがカートは酒場の主人に遠慮して、出て行く事を決めてしまった。
「立派になって、必ず恩返しに来ますから」
そう言って優しい気遣いの微笑みを残し、少年は育った酒場を出て行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ラザフォード国の城は、元来は
大理石が取れる山もあるため、他国がうらやむほどふんだんに、あちこちで使われていた。
一般の庶民が仕事以外で城に入る機会はなく、カートもその門を潜るのは初めてだ。だが周囲の美しさを堪能する気持ちの余裕はなく、前だけを見据えていく。
門の前を守る衛兵に来訪の理由を告げると、すぐに案内の担当者がやって来てくれる。
すでに準備は整っていたようで、少年は各種の書類の手続きを終え、荷物を預けると、一人の兵士に
文官から儀式の手順の説明を詳しく受け、ついに彼の騎士叙任の儀式がはじまる。
透明に輝く
すっと、彼の右肩に抜き身の剣が置かれる。呪文のような聞き慣れない言葉と共に、剣は今度は左肩に置き直される。
「カート・サージアント。其方をこの国の騎士として任じます」
愛らしさのある、涼やかな女性の声。
「謹んでお受けします。国のために働く事を、ここに誓います」
「顔を、お上げなさい」
彼は初めて顔を上げ、目の前の女性を見た。淡い金髪、前髪は眉毛すれすれでまっすぐに切りそろえられて、左右は頬を隠すように、こちらもぱっつり切り揃えられていた。後ろ髪は長いようだが、三つ編みをベースにしたまとめ髪。ほどけば、腰ぐらいまではありそうだ。
瞳は若草色。ふんわりとした春の妖精のような可愛らしい人が、今代の女王だという事に驚き、思わず見とれてしまった。
そのまま剣を受け取り、横から文官に差し出された鞘に納め、
「おいおい、随分と古い作法を知ってるな」
「庶民という話ではなかったのか」
ひそひそ話の中、女王と侍従たちが退出して行き最後にカートも兵士に
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「驚いたよ、手順が完璧で!」
案内の青年兵士が、尊敬のまなざしで少年を見た。
「そうでしたか? 緊張して、頭が真っ白でした」
少し困ったような笑顔を見せてしまう。
「いやぁ、庶民からの騎士叙任と聞いて、最初は驚いたんだよ。これからは庶民でも、騎士になれるって事かなあ。夢があるなあ」
楽し気に言っていた兵士の表情が少し改まり、小声になる。
「正直、貴族のボンボンの下で働かされるのは嫌だし、あいつらの采配だと命がいくつあっても足りないって思ってる。おまえはまだ子供だし、これからだと思うが、同じ庶民だし、それでいて賢そうだ。頼むからいい騎士になってくれ」
「頑張ります……」
思わぬ期待をかけられて、カートは更に緊張してしまった。
そんな彼を呼び止める声が背後から。
「おい、おまえが庶民出身ってやつか」
兵士と共に振り返ったそこには、両腕を組み、偉そうにふんぞり返る金髪巻き毛のそばかすの少年。背後には太った者、高身長、痩せた者など、いろいろなバリエーションの体型の取り巻きの少年達を八人ほど従えていた。全員、年齢は二歳程上であろうか。
彼らを見た兵士はぱっと頭を下げると、逃げるようにこの場から去ってしまいカートだけが取り残された。この後は騎士団長に着任の挨拶に行かなければならなかったのだが……。
「カート・サージアントと申します」
とりあえずカートは、右腕を胸に当てる丁寧な礼を返す。その仕草が優雅で様になっており、少年達は一瞬うっとりと見とれてしまったものだから、声をかけた方は調子を崩しかけた。
「俺はデルトモント公爵家のアーノルドだ」
親指を自分に向けて、片足を前に踏み出して慌てて名乗り返す。表情を引き締め、釣り目の細い目を更に鋭くする。
「縁あって、庶民という出自にあるに関わらず、騎士に任じていただく栄誉を得ました。お見知り置き下さい、先輩」
先輩と呼ばれた事で、アーノルドは気を良くしてしまったが、このような
「庶民のおまえはまだ、城の構造に詳しくないだろうから、城内を案内してやろうと思ってな」
ニヤニヤといやらしい笑い方をアーノルドはした。
貴族の子弟と思えない下品な笑い方で、カートは呆気にとられる。カートにとって騎士というのは高潔であるべきだと思うし、一般兵を指揮する高官となるのだ。規範となるべき態度という物が必要ではないかと生真面目に考えている。
しかし兼ねてから聞いていたように、昨今の騎士団は、平和な時代が長く続いたせいかただの名誉職になりつつあり、貴族の次男三男という家の跡継ぎになれない子らの受け皿にしかなっていないように見えた。
「ありがとうございます、ですがそんなお手間を取らせるわけには」
「おい貴様! アーノルド様のご厚意を
取り巻きの一人が強い口調で叫んだ。すると後の金魚の
「わかりました。お手間をおかけして恐縮ですが、よろしくお願いします」
嫌な予感しかしなかったが、断り切れず、カートは金髪巻き毛の少年達の後ろに、付き添い従うしかなかった。
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