第5話 酒場の少年


 王都の中央付近は活気ある商業区で、外れには小さいが人気の酒場があった。日が暮れる頃には店内はほぼ満席で、忙し気にカウンターの中で禿げあがった年老いた店主が動きまわっている。


「オヤジ、いつもの!」


 どやどやと、仕事終わりの常連たちが数人連れ立って入って来るなり大声を張り上げたので、店主も大声で返した。


「はいよ! どうだい景気は」

「いやぁグリエルマ様が女王になって五年になるが、いいねえ!」

「もう五年になるのかあ。先代様は目が見えないとかで、随分大人しい人だったが」

「わしらなんか、顔すら知らんからなあ」

「グリエルマ様になってから、新しい政策が次々と出ていて、随分と世の中が変わってきたよな。今までの女王陛下より、精霊のお言葉を聞く耳が良いのかもしれん」


 店主はカウンターに座った常連に、雑談を投げながらいつもの鶏肉の串焼きにビールグラスをそれぞれの前に置いた。

 そんな満席となった店内に、金茶の短い髪、空の青色をした瞳の小柄な少年が入って来た。


「ただいま帰りました」

「お帰りカート」


 いつものように常連たちに丁寧に会釈をして二階の階段に向かっていると、幼い日から父親代わりをしてくれていた酒場の主人ゼルドが、少し困った表情を見せた。酒場の手伝いで長らく人を観察しながら育った少年は人の心の機微には特に敏感で、くすんだ表情にすぐ気が付く。


「ゼルドおじさん、どうしました?」


 階段を登りかけていたカートが、引き返して彼の前に立ったが、ゼルドは言いよどみ、目が泳ぎ、とてつもなく言い出しにくそうで。

 優しい酒場の主人が言い出せずにいる言葉を、カウンターで飲んでいた常連の老人が言う。


「なぁカート、おまえが酒場の二階に住めるのは、エリザがこの酒場で働いていたからというのはちゃんと理解しているか? 母親亡き今も、当たり前のように住んでいるのはどうだろうな」


 カートは、はっとした。


「すまないカート。おまえは今後、兵士になるんだろう? そうなれば店の手伝いもしてもらえなくなるし。できれば新しい住み込みを雇いたいんだ。昼の食堂の時間はお前は訓練に行くし、深夜まで酒場の手伝いをしてもらうには、若すぎるし」


「すみません、だらだらと甘えてしまって……」


「いやなに、今すぐにっていうわけじゃないんだよ。お前は十四歳、一人で暮らすのはまだ無理だし、住む場所も見つからないだろう」

「兵士になれば宿舎の方に入れますので。すみません、それまで甘えさせてもらってもいいでしょうか」


 まだ十四歳の少年が、目を伏せて申し訳なさそうに言うのを聞いて、店の主人も常連の老人も顔を見合わせて罪悪感を募らせる。

 彼は階段を上がり、店の手伝いのための着替えに向かった。


「あいつの父親が誰かなのか、せめてそれがわかればな」

「髪色も瞳も母親に全く似てないし、顔立ちも全然違う。父親似なんだろうなあ」


「エリザは随分、その男が好きだったのか、カートの事は大切に育てていたがな。どれだけ愛おし気に、あの顔を見ていたか」

「しかしなあ、礼儀作法にやたらとうるさかった。兵士になるのに、あんなに厳しく作法を叩きこまなくても」

「あの子は、もと城仕えだったことが誇りだったから」


 少年の登った階段を、店の主人は寂しそうに見つめる。


「できればずっと父親役をしてやりたがったが、こうまで忙しくなってしまっては。儂も随分と年老いて来てしまったし、一人で切り盛りはもう、な」

「ゼルド、おまえさんが悪いわけじゃないさ。あいつの巣立ちの時期が来る、それだけだ。気に病むな」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 酒場の主人のあの日の告白以降、二人は少しぎくしゃくしてしまい、酒場を通らないと二階に上がれないのがカートにとっても酒場の主人ゼルドにも気まずかった。


 もうすぐ少年は十五歳。


 年齢が達して、兵士になれる日を待つしかない。



 訓練から帰宅したカートが店の手伝いのために着替え、エプロンの紐を結びながら降りて来たそのタイミングで、酒場の扉が開き、二人の兵士を引き連れた騎士が入って来た。


 いくら仕事終わりに飲みに来たとしても、甲冑のままで来るとは思えず、主人も客もいぶかし気にその騎士と兵士達を見つめた。



 階段から降りてきたカートと、中央の騎士の目が合う。


「君が、カート・サージアントか?」

「はい、そうですが」


 兵士に取り囲まれるような悪い事をした記憶は全くなく、流石に少年は狼狽の表情を見せていた。

 騎士は右後ろの兵士から書簡を受け取り、広げると朗々と読み上げる。


「カート・サージアント。精霊のお言葉により、十五歳を迎える日をもって、このラザフォード国の騎士として任ずる」


 書簡から目を上げるとくるくるとまき直し、兵士は言葉を続けた。


「……というお達しだ。その日、準備を整え登城されよ」

「え?」


 この国で騎士は全て貴族であったから、場にいた全員が凍り付いた。


 まわりの空気に構わず、騎士は己の仕事を全うしていく。今度は左後ろに控えた兵士から、緑色の制服の一式を受け取り、あまりの事に固まって微動だにしないカートの手を強引に引いて手渡す。


「以上で伝えるべきことは、伝えた。詳細の書面は、制服に添えてある」


 三人はこれらの用件だけを告げ、扉の外に消えていった。

 誰も喋らない酒場と言うのも珍しかったが、静寂を破って常連の女性が声を出す。


「あんたきっと、貴族の落としだねだったんだねえ」

「エリザがかたくなに、父親の名を言わなかったのはそういう事かぁ」


 ざわざわとした酒場の雰囲気が戻って来たが、カートは未だ立ち尽くす。


「どうしたカート、嬉しくないのか?」

「いえ、あの……すみません。これいったん、部屋に置いてきます」


 階段を駆け上がって部屋に戻ると、受け取った騎士の制服の一式をタンスの上に置く。


 彼は兵士になると同時にこの部屋を出る事になっている。兵士の宿舎に入る事を見込んでだ。だが騎士となると? 騎士は基本的に貴族がなるものだから、宿舎の類はない。


「住む所もない騎士なんて、あり得るんだろうか……」


 それよりも、貴族でもない庶民の自分が騎士になると言うのが信じられなかった。客の一人が言ったように、自分の父は貴族なのであろうか? だが名乗り出る事が出来ない?


 でもそれはあんまりだから、せめて騎士にしてやろうという温情だろうか?



 とても迷惑である。



 カートにはカートの人生設計がある。顔も知らず、何処の誰かもわからない父親に、自分の生活が滅茶苦茶にされるとは今まで思った事がなく、初めて彼は、父親と言う存在に腹を立ててしまっていた。


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