第2話 女王と宰相


 肩までのサラリとした金髪を左右に分けたアイスブルーの瞳が知的な印象の、二十台後半の青年。考えごとをしながら歩む彼は、ラザフォード国で若くして宰相の地位を得た秀才のヴィットリオ・バイレッティ。


 生家は商売に成功し、富豪ではあったが身分としては下級貴族。実力と努力だけで、この地位に立った周囲にも一目を置かれる存在。


 そんな彼の腰に、突如としてドンと強くぶつかる衝撃があった。


「あっ! 宰相閣下、も、申し訳ございません!!」


 彼の目にサラリとした茶色の髪の、貴公子らしい顔立ちの少年が尻餅をついているのが映りこむ。褐色の瞳に見覚えがある。


 助け起こすために手を伸ばすと、少年は恐る恐るその手を取り立ち上がり、きびきびとしたお辞儀をして見せた。


「メイヤー家の子か。騎士団長の息子の……ヘイグだったか」

「はいっ」


 まだ十歳のはずであるが、なかなかの騎士然とした立ち振る舞いをしていて、流石騎士団長たるもの、家での教育も随分としっかりとしているようだ。



 昨今の騎士団員は、安穏とした貴族の我儘な子弟ばかりでまさに名ばかり。騎士の制服を着ているだけのような存在が多い。平和な時代が長く続いた結果であった。


 騎士は、庶民で編成する一般兵を率いる指揮官的立場になるため、立ち振る舞い、剣技、知識等が必要であるのに嘆かわしい限りである。

 もし戦いでもあるような事があれば、到底、国を護る戦力にはならないだろう。今のままでは。


 現状は国と国との戦いは回避できているが、時には魔物の討伐も必要になる事があるというのに。



「父への届け物がありまして、急いでおりまして。失礼しました」

「以後、気を付ければ良い。急ぎなら早く行きたまえ」

「はい、失礼します!」


 ぺこりとお辞儀をして、少年は元気に走り去って行った。


 それを微笑ましく見送ったヴィットリオだったが、不意に足元の石畳に見慣れぬ黒い石が落ちている事に気付き、拾い上げる。


「これは……?」


 何か得体のしれない気配を感じ、アイスブルーの瞳をわずかに細める。だがその感覚が何かわからず、そのまま捨て置くわけにもいかずに懐に入れると、再び考えに沈みながら目的地に向かって行った。



 ヘイグは父親の弁当を届け終え、城を出て帰途についていたのだが、ポケットに入れたはずの黒い石が無くなっている事に気が付く。


 おそらく宰相とぶつかったあの時だろうと予想はついたが、別段少年の思い出のコレクションに加えようと思ってもおらず、せいぜいグリエルマに見せて終わりにする程度の物だったので、彼は石の存在を以降すっかり忘れ去った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ラザフォード国。


 別名を精霊の国と謡われる、美しく平和な国。緑豊かで鉱物資源も豊富、気候も温暖で農作物も豊かに実る。城の城壁から見る景色は格別で、風渡るその緑に満ちた風景は誰もが息を呑み、旅をする吟遊詩人がここに立つとどんなに才能がなくとも、魂から謳われる名作を必ず残すと言われている程だ。


 素晴らしい国土と平和の維持に欠かせないのが、城の建つ丘にある、一本の木。


 光を透過する美しい大木で、枝葉も透明。その姿から水晶木すいしょうぼくと呼ばれており、化身の精霊が住まう。どのような力を持つ精霊であるかは公表されていないが、女王がその声を聞き、それを元にした指示をもって国を治めていた。


 言うなれば、神と巫女というような関係であろうか。


 女王は世襲制ではなく、先代が亡くなるのを機に、十八歳の貴族の令嬢の中から、精霊の声を聞く事が出来た者を次期女王に選出するという事を、数百年繰り返して来た。水晶木すいしょうぼくの精霊とこのような関係を築くまでは、ラザフォード国も周辺国と変わらず、何度も戦禍に見舞われたものだが、精霊の言葉を実践する事により戦争に巻き込まれる事が無くなったため、人々は精霊を信仰しその言葉を至高の物とするようになっていた。



 当代女王はアリグレイド・フェリス。



 彼女は生まれつきの盲目で、まぶたは硬く閉じているため、直接瞳の色を見た者はいないが、辺境伯でもある公爵家出身の気品ある美しい顔立ち。髪は長く腰に届くばかりであったが、薄いベールでその髪も美しい肢体も、人目から隠しがちである。


 女王に選出されて五年目の二十三歳。


 魔導士の家系でもあり、盲目でなければ魔導士としても大成したであろうと言われる女性。


 中庭の東屋で、静かに一人で過ごせる憩いの時間に、薔薇の香りを楽しんでいた彼女の元に、一人の青年が歩み寄って来た。


 気配と足音の方向に、女王は顔を向ける。


「陛下」


 男は女王の前で静かに膝を折る。


「その声はヴィットリオ宰相ですね? 何用でしょう」

「先日の、お返事をお伺いしたく」


 女王は眉根をわずかに寄せる。


「北の鉱山の件でしたら、精霊は時期尚早と申しておりました」

「ですが、今、鉄鋼の生産が増せば」

「隣国ドアナと海の民との戦争で、売れると申しますか?」

「……はい」


「この国はもう、十分豊かではありませんか。どちらかをぐうする事で、戦火がこちらに飛び火する事もあるでしょう。そういう意味でも、許可できませぬ」


 ヴィットリオはひざまずいたまま、悔し気に苛立ちをたたえてうつむくが、盲目の女王にそれは見えなかった。


「では、わたくしの個人的な話のお返事については」

「……盲目のこの身、婚姻は考えておりませぬ」

「わたくしめがそれを気にせぬものと、しておりましても?」


「私と婚姻したからと言って、貴方が王になるわけでもないのに、何故そのような事を望むのですか」

「お慕いしているからです。それ以外の理由がない事を、何故わかっていただけないのですか!」


 丁寧に切りそろえられた金髪を揺らし、アイスブルーの瞳を細めて思わず悲痛な叫びをあげてしまう。



 彼は彼女を、ずっと愛していた。



 一目惚れなど愚者の勘違いだと思っていたその価値観を、一瞬で覆されたのだ。


 初めて見たその時、彼は恋に落ちてしまった。顔立ちだろうか、仕草だろうか、かもし出す雰囲気だろうか。

 女王に選出され、初めて水晶木すいしょうぼくの元に立った彼女を見た時、呼吸すら忘れてしまったのだ。魂を囚われたように、目が離せなくなり、その声が聞こえるだけで幸福になれる程に愛おしく。なのにこの想いは、五年かけても届かない。


――何ひとつ、自分の思い通りになる事がない。


 努力の末、女王のそばに寄れる宰相という立場に立ったものの、やっている事は精霊の言葉を女王から聞き、それを国民に伝える伝書鳩。


 目の前に、愛おしい人。


 狂おしい程に愛する女性。


 女王という立場でなければ、応えてくれたのであろうか? それとも本当に、盲目という理由だけなのだろうか。まさか、他に好いた男でもいて、身分的に結ばれずに胸に秘めているとでもいうのだろうか……?


 男の中で、想像は悪い方に一気に加速を始める。こんなにも、激情の渦が心に満ちたのは初めてであった。



 この東屋での女王のひとときは、本来は誰も邪魔をしてはいけない。

 ヴィットリオ以外に、誰もいない。

 侍女も、護衛の騎士も、侍従も。



 男は立ち上がった。

 それを、彼女は衣擦れの音で知る。


 立ち去るのかと思ったその瞬間、男の両腕は女王の肩を掴み、東屋のベンチにその体を押し倒す。


 盲目の女王の歩みを助けるための白杖はくじょうは、魔導士としての杖でもあったのだが、彼女は身を護るために手に取ろうとして失敗し、手の届かない所に、杖は倒れて転がって行ってしまった。


「ヴィットリオ、おやめなさい……!」

「アリグレイド……愛しています、愛しているのです」


 彼は、相手が思い通りにならないなら、自らの思い通りにするしかないと決意し、ついに人としても臣下としても、逸脱した行為に及んでしまった。


 その一方的な愛を、彼女に刻み込んだ。


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