キミまで残り、りんご一個分

NTR竹

りんごの距離

 田舎に唯一の公共図書館、でもまわりの子は外で思いっきり遊ぶ方が好きみたいで、せっせと足を運ぶのは私ぐらい。

 筆記用具と数冊の本を詰めたカバンをさげて、今日も坂道をのぼって図書館に行く。

 あの人に、会える。


「こ、こんにちは」

 重い扉を押しのけて、ちいさく挨拶をすると入口ちかくに座る司書さんが、ぺこりと軽くおじぎをしてくれた。それだけで、「来てよかった」と思うくらい、嬉しい。

「これ、返却です」

カウンターの上にジャンルふぞろいの本を重ねて置くと、司書さんは立ち上がって黙々と返却処理をしてくれる。

司書さんに一番ちかくなる、本を返す時と借りる時、この時間が私は好きだ。


目の前で作業をしている綺麗なサラサラの黒髪と、ふちが同じ色の眼鏡をかけている若い司書さんは、三年前にこの町にやってきた。前の司書さんはたしか、けっこう皴を刻んだおじいちゃんに近い年齢だったと思う。

「思う」というのは、三年前はまだ、私は外に出たがらず家にひきこもってひたすら本ばかりを読む生活を送っていたから、あまり知らないし記憶が曖昧なのだ。

それがなぜ、運動嫌いなのに坂を登ってまで毎日、図書館に通うようになったかというと、一目ぼれだ。

三年前、まだ小学生のころ家の本を読みつくして、新しく買うのもいやだったので、図書館へ訪れると、それはもうイケメンな司書さんが私を出迎えてくれた。

具体的には、見知らぬ人に変わっていて戸惑っていた私に、司書さんから方から頭をさげてくれて、つられて私もおじぎをするだけの挨拶をしたという話だ。

ともかく私は、その後家に帰っても司書さんのことが忘れられなくて、毎日顔をみたくて足しげく図書館に通っているというわけだ。

そう、三年間。毎日。

お気づきだろうか、そのまさか。

私はずっと司書さんに片想いをしている。そしてその想いを告げぬまま三年も経ってしまった。


今日も私は図書館の奥の窓側、お気に入りの席に着く。司書さんの顔を見るために。

この席だって、カウンター席に座っている司書さんが、反射で窓にうつり、ばれないように視られるからという理由で見つけた特等席だ。

今日も鏡のように窓がうつす司書さんをみて、おもわず笑みがこぼれてしまう。

司書さんのクールな無表情をみると、安心までするようになったのは、いつからだったか。

椅子にカバンを置いて、私は今日借りる本を探しにでかけた。


(あっ、あの本おもしろそう……)

 背表紙のタイトルから興味をそそられる本たちを数冊かかえこんだ状態で、さらに気になる本を見つけてしまった。しかし本棚のだいぶ上のほうにしまいこまれている。

脚立を取りに行こうか、と考えたが、両腕に本を抱えたこのままではそれを運ぶことも難しい。

早く取りたい。それに本をいったん置くとしたら床になってしまう。それはちょっとさけたい。

ふと、変な気が起こった。もしかしたら、背伸びすればギリギリ届くかも、と。

本は片手で持てばなんとかなる。空いた手をおもいっきりピンとのばせばいい。

(うっ、あと、もう少し……)

左手には重い本、右手はあと数センチで中指が角にふれる。

そのときだった。


「!?」背後からにゅっと現れた白い手が、いともたやすく私が狙っていた本を掴んだ。

驚いて、よろめく。すると後ろにいた誰かに、ドンとぶつかってしまった。

衝撃と同時にふわっと、知らない、いい匂いに包まれる。


「無茶したら、ダメだよ」


 私は、その声の持ち主がよく知っている人のものだと気付かなかった。だって、司書さんの声を聞くのは初めてだったから。


顔を思わず上にやると、レンズ越しのきれいな黒い瞳と目が合った。

「し、し、し」

ちゃんと振り返ったら、改めて司書さんが近いということを実感する。

「し? ……ああ、僕の名前覚えててくれたんだ」

「へ?」

司書さんの言っていることの意味がわからず、目線を司書さんの顔から下にうつせば、ああ、そういうことか。

司書さんにだって名前がある。なんて当たり前のことを忘れていたのだろう。

首からダランと垂れ下がったネームプレートには、親切にふりがな付きで『四ノ宮 聖』と書いてあった。

「あの、本っ」

「この本、おもしろいから。はい」

はやく渡せと請求しているように聞こえたのだろうか。

それでも選んだ本を肯定してくれる一言を付け加えて差し出してくれた司書さんは優しい。

「あ、あの、ありがとうございます。えっと、さっきのはけっして本をくださいと言いたかったわけではなく、本を取って下さって、ありがとうございます」

混乱しながらも早口でお礼をまくしたてると、司書さんはフッと笑った。

笑った顔も初めて見た。今日は司書さんの初めてをたくさん知れる日だ。

「そんなにお礼言われるほどのことじゃないよ。危ないから、脚立使ってね」

「は、はい……!」

 私の返事を聞くと、司書さんはあるいてカウンターへ戻っていった。


ポヤポヤと夢見心地な気分で席に戻る。いつもどおり本を開いてみるが、ちっとも集中できない。

(「四ノ宮さん」って、呼んでおけばよかったなあ……)

本を読むふりをして、こっそり窓越しじゃない本物の司書さん……いや四ノ宮さんを見る。

普段どおりの無表情、さっきのことなんてなかったみたい。私だけが浮かれ気分なのがなんだか残念だけど、それでもさっきの出来事は夢じゃない。

(あーあ、好きだなあ。四ノ宮さん)


あふれる気持ちをどうにかしたくて、図書カードを書くためにだした鉛筆を手に取る。

そしてたまたま持ってきていた、りんごが描かれた可愛らしい栞に


『四ノ宮さん、好き』


と書き綴った。



「あれ? ない、ない!」

 家に帰って夜になり、今日借りた本を読もうとしたら、りんごの栞が無くなっていることに気づいた。

おかしい。図書館で本を読んでいるときにはあったのに。

「あれ、お気に入りなのに……」

今日は良いことがあったから、そのぶん不幸が来ているのだろうか。

部屋中探しても、りんごの栞は見つけることはできず、その日は布団の中で泣き寝入りした。



 朝、憂鬱な気分で目がさめた。いちおう図書館に探しに行くつもりだが、それでも見つからなかったらどうしよう、と悪い方向に考えてしまう。

「こんにちは……」

暗い声で力なく挨拶をすると、変わらず四ノ宮さんはぺこっとおじぎを返してくれた。

いつもならルンルン気分になるところだが、栞が気にかかってしかたない私は四ノ宮さんの挨拶でも元気を取り戻せない。

ともかく、本を返却して早く昨日座っていた席の辺りを捜索しないと。

「返却、おねがいします……」

昨日読んだ本たちをならべると、四ノ宮さんはいつおどおり淡々と処理を……しているかと思いきや、なんだかそわそわ落ち着かない様子だ。他人からみたらわからないほどかもしれないが、ずっと四ノ宮さんを見ていた私にはわかる。今日の四ノ宮さんは、少し焦っているようだ。まるで何かを急いているような……。


「あの」


 すべて処理してもらい、一刻も早く栞を探すため、カウンターに背を向けた瞬間だった。

昨日も聞いた、四ノ宮さんの声が私を引き留めたのだ。

「どうかしましたか」

「……これ、キミのだよね」

「あっ!」

司書さんが私に差し出したのは、なくしたと思っていたりんごの栞。しかも向けられた面には昨日の落書きが残っている。

 失くし物をした憂鬱とモヤモヤは吹き飛び、代わりに大量の羞恥が私を襲った。

「あ、あり、ありがとうございます!!」

「あっ……」

四ノ宮さんから奪うように栞を手にして私はその場から走り去った。このさい、図書館は走ってはいけませんとかそんなルールはお構いなしだ。


「はあっ、はあっ、はあ……」

一番奥の、いつもは立ち寄らない本棚の陰で息を整える。

どうしよう、四ノ宮さんにばれてしまった。三年間、一度も言わなかったのに。

「う、うぅ~……」

膝をかかえこみ、嗚咽が漏れないように泣きだした。

秘密を暴かれてしまった。しかし四ノ宮さんは悪くない。忘れ物を持っていてくれただけ。それでもやはり、あふれる涙は堪えきれない。

「なんで私、あんなこと書いちゃったの……」

後悔しながら手に握ったりんごの栞をみなおす。

「……あれ」

私が書いたのは表面だけ。裏もよく似たりんごの絵だけど、鉛筆の知らない筆跡がある。

「え……うそ」

ゴシゴシと目をこすって、もういちどよく見る。


『僕も好き』


キミまで残り、十五センチメートル。

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