エピローグ 「機神の國」
エピローグ
機神たちとの大規模な戦闘があったという日から、早くも1ヶ月が過ぎた。巻き込まれた街の人たちはその全員が機神になってしまったと聞いたし、その中には顔を知っているだけの同級生もいたけれど、私の家族や仲の良い友達はほとんど巻き込まれていなかった。そう、巻き込まれなかったのは全員じゃない。
親友と言えるほど仲が良かったわけじゃないけれど、一緒に遊びに行ったことはあった二人。誰にでも分け隔てなく優しく接していた
けれど数週間もすれば、彼女たちがいないのが当たり前になって、また前までと変わらない日常を送っている。
「あら、おはよう
学校に向かう通いなれた道で、女性の声が向けられた。今の学校に通うようになってから、何度も聞いた声だ。
「おはようございます、浅野さん」
神樂ちゃんの母親、年齢の割にとても若く見える女性。そんな彼女を見て、どうしたことか目を丸くした。
半月ほど前から常に浮かんでいた目の下の隈が、その姿を見せなくなっている。神樂ちゃんが帰ってこなくなって眠れない日が続いていると本人から聞いていたけれど、ようやく気持ちの整理がついたのだろうか。
だからと言ってそんなことを聞く気にはなれず、会釈だけしていつもの様に通り過ぎようとしたとき、声をかけられた。
「もう学校の方は落ち着いた?」
初めて、その手の話題に触れられた。驚いて目を見開いて、でも不自然じゃないように努力しながら、ゆっくりと口を開く。
「え、えぇ。事件前と全然変わんないくらいですよ」
口にした直後、「バカぁ!」叫び散らしたい気分になった。娘が行方知れずになっている人に向かって、貴女の娘さんがいなくても何も変わらない、という意味の言葉を本人にぶつけるなんて。人としてどうかと思うくらいだ、時を戻せるなら今すぐにでも戻したい。
「そう、それなら良かったわぁ~」
けれど神樂ちゃんのお母さんは、私の予想を裏切って優しく微笑んだ。何が、良かったんだろうか。
「行ってらっしゃ~い。授業中に寝ちゃだめよぉ~」
私のことを、手を振って見送ってくれる。はーいと気の抜けた返事をしながら、学校への道を歩いていく。
何が、良かったんだろう。神樂ちゃんがいなくても、誰も悲しまないことだろうか。それとも、悲しまないほどに皆が今の生活に慣れたことだろうか。
いつもの道を、いつものように歩いていく。2人がいなくなった後も、前と変わらない日常が続いていく。
柄にもなくそんなことを考えながら歩いていると、ふと、視界の端にそれを捉えた。
道路に飛び出た子供と、驚きと焦りが混ざった顔でそれを追いかける女性の姿。道路を走る自動車は急ブレーキをかけているが、子供に激突するのは避けれない。
助けなければと思ったけれど、同時に、ここからでは間に合わないと理解していた。周囲には私と同様の人ばかりで、皆が想像する未来は必ずやってくる。
でも、仕方がないじゃない。私たちはただの人間なんだから。あぁ、現場にいた人として警察から話を聞かれるだろうか。そんな事しか頭に思い浮かばないんだから、私は薄情な人間だな、なんて。
そんな風に、目の前で起こるであろう出来事に諦めを抱いていたから、驚かずにはいられなかった。
知っている、とてもよく知っている後ろ姿だ。日本人らしい黒茶色のミディアムショート、私と同じくらいの背格好をした彼女。一瞬だけ見えた瞳はエメラルド色で、その背中からは銀色の翼が生えていて、とても人間のようには思えなかったけれど。
自動車を羽で受け止めて子供をかばうその姿は、人間とはかけ離れていたけれど。しかし、だけれども。
「危ないよぉー、道路に飛び出したりしちゃあ」
優しく子供に語りかける姿は、危険を顧みず他人を助けるその姿は、いなくなった彼女と全く同じに見えた。
機神だ、紛れもなく。銀色に輝く翼を持つ人間なんて、この世にいやしなだろう。ここがSF小説のような近未来だったなら、あり得たのかもしれないけど。
その場にいた誰もが動けずにいる。怖がっていると言ったほうが正しいかもしれない。そんな視線に曝されていながらも、彼女は子供に向けて微笑みを浮かべていた。
「ケガはない?」
恐る恐る、しかし彼女のまっすぐな目に答えるように。
「だ、大丈夫……。ありがとう、おねえちゃん……」
震える声で、しかし目を逸らすことなく答えてみせた。
「よし、じゃあ今度から気を付けてね」
母親の方へと背中を押して、笑顔で見送る。子供が母親の腕に抱かれたのを確認すれば、今度は自動車の運転手へと、大丈夫ですか、と声をかける。硬い動きで運転手が頷くと、ようやく彼女は立ち上がった。
そして再び翼を広げ、人間ではあり得ない高さへと跳躍した。その途中、彼女はくるりと身を翻して私に向かって、淡い笑みで手を振った。そんな彼女に私は思わず、笑顔で小さく手を振り返す。
正面から捉えたその顔は、親友とまでは呼べない私の友達のそれとまったく同じ。
誰にでも分け隔てなく優しく接した彼女とはどこか違う、もう一人の面影を感じる表情。
人ではあり得ない6対12枚の羽を白銀に輝かせる彼女。
周りの人たちが慌ただしく騒いでいるのを耳にしながら私は、笑顔で彼女を見送る。
もう顔も見えなくなりそうなほど遠くの彼女は最後に、私に向かって満面の笑みで、大きく手を振り返した。
◇ ◆ ◇
あの日いなくなった多くの人が、機神となって暮らす街がある。
そこに人はおらず、この世のすべての機神が存在する場所。
変幻自在に姿を変える機神が統べる、人外の王国。
その場所の名は『機神の國』、かつて人であった者たちが住まう土地。
しかし、その国に留まらない機神がいるという。
深紅の髪に
彼女らと仲良く談笑したという女性や、荷物を持って帰るのを手伝ってもらった老人、さらには命を救われた少年まで存在する。
彼女たち二機の名は『
彼女たちが人間と機神の関係を変えていくのは、また別の話である。
Fin
機神の國 水渡暦斗 @Reki_Mizu
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