第93話 姉弟喧嘩

 少し時はさかのぼる。道を渡るのを手伝っていたのは、以前会ったことのある女吸血鬼だった。


「お久しぶりです。また会えて嬉しいです」


 と話しかけてくる。


「奇遇ですね。今年も弟さんに会いに来たのですか?」


「ええ」


 彼女は頷いて目を細めた。弟はこの街に住んでいるらしいのだが、礼拝所の人間を恨んでいるらしく、幽霊や精霊の類いをけしかけて危害を加えてくる困った吸血鬼だ。二人の仲は決して悪くなさそうだが、人に対して優しい姉とどこで道を違えたのだろうとつい考えてしまう。


 弟が精霊に干渉する力を持っているのなら、姉にも似たような力があるのではなかろうか。礼拝所へ泊まりに来た時も、この世界へ戻ってきた魂を送り返していると話していたような気がする。


 僕は思いきって失踪した友人を探していることと、怪しげな廃墟にアトルがいるかもしれないということを話してみた。もし忙しくなければ協力してくれないかと。


「そういうことでしたら、お手伝いしますよ。危険な目に遭っているというのであれば尚更、助けにいかないと」


 彼女は快く応じてくれたので、買ってきたケーキを二人で食べながら、僕達二人は廃墟の地下室に向かった。中に入ってみると、そこにいたのは魔物ではなく、吸血鬼だった。


 姉の叫びにたじろいで手を止めている隙に、少しよろけながら皆の元に駆け寄る。アシュリーが爪で切りつけられて怪我をした。というので、いつも持ち歩いている聖水で患部を洗い、ハンカチで押さえる。怪我した足を固定するために使った布が余っていると、サラという方がおっしゃったので、それを借りて包帯代わりとして背中に巻きつけた。


 ライリーが頭を打ったのがいまだに痛むと話しかけてきたので、銀の聖水入れを当ててやる。少しは冷やされて痛みも引くだろう。


「それにしても、回復魔法とかないんですかね。大衆演劇なんかでは最早定番、という位出てくるじゃないですか」


「そんな都合の良い物あるわけないでしょ。薬の効果を高めるものなら使えるけど、持ち合わせていたのはサラが骨を折っちゃった時に全部使っちゃったし、多分魔力もほとんど残ってないわ」


「ごめんなさいね。私が怪我をしてしまったばかりにご迷惑をかけてしまって……。

それに呪文を唱えるだけの魔法も実はあるらしいのだけれど、私達のような古くさい

魔女、というよりは仕事として魔術師をしている方が使う類のものだから、よく分からないの」


 サラが申し訳なさそうに付け加える。この方は僕達と比べると随分年上のようだ。


「いえいえ。魔法にも色々あるのですね。こちらこそ不勉強ですみません」


 その頃、吸血鬼の姉弟は、微妙な空気に包まれていた。弟が姉に駆け寄っていき、軽く抱き寄せた。弾んだ声で話しかける。


「姉さん、久しぶり。元気だった?」


 彼女は弟を引き離し、問い詰める。


「ヴァロちゃん、どうしていつも意地悪ばかりするの? みんな怖がっているじゃない」


「丁度良かった姉さん。ほら、ここに五人も人間がいるだろ。今晩はご馳走になりそうだね。これだけあればあと一月、いや、二月は持つんじゃないかな?」


 ニタアと気味の悪い笑みを浮かべているのに対し、姉はぷいっと顔を横に向け拒絶する。


「人間の血は飲まないっていつも言っているでしょう?」


「駄目だよ姉さん。豚とか山羊の血ばかりじゃ体が弱ってしまう。たまには人間の様に栄養たっぷりの血も飲まなきゃ。どうせいつも良いもの飲んでいないんでしょ。今のうちなら鮮度も良いし、ほら、この子なんか……」


 弟は目にも止まらぬ早さでベラを引っ張りだし、鋭い爪を首筋に立てる。


「とても美味しそうじゃない? きっと美味しいものを食べて育ったんだろうねえ」

彼女は声を出すこともできず、顔が真っ青になっている。


「彼女を離して下さい」


 ベラを引きはがしに向かったら返って突き飛ばされてしまった。ライリーの様に頭を打ってはいないが、背中や腰の辺りとお腹が痛い。鳩尾は外れていたが蹴りが入ったみたいだ。


 お腹をさすりながら立ち上がった時、吸血鬼姉が弟の頬に平手打ちをかました。パァンという音が響く。ベラが床の上に落とされた。ベラは慌てて這うようにこちらへ戻ってくる。


 吸血鬼弟は唖然とした顔で、頬を押さえていた。


「この子達は私のお友達なの。お友達をいじめたら許さない。たとえヴァロちゃんでも絶対に許さないから」


 怒りをぶつける彼女の目尻には涙が浮かんでいる。


「どうして……どうして姉さんは僕の気持ちを分かってくれないの?」


 相当ショックを受けたのだろう。今にも泣き出しそうな感じで訴えかける弟。姉は目を逸らして壁に指を向けた。


「それはお互い様よ。先に帰ってて。私はまだやることがあるから。後でまたゆっくり話し合いましょう」


「姉さ――」


「お願いだから帰ってよ!」


 姉がありったけの声で叫ぶ。弟は二、三歩後ずさりすると、コウモリに姿を変えてどこかへ消えてしまった。姉はその場で膝をつき、長い袖で顔を覆う。


 弟が自分を思ってやっている――全てがそうではないだろうが――と分かっているからこそ余計に叱りつけるのは辛かっただろう。僕は座り込んでいる吸血鬼姉に駆け寄った。


「ごめんなさい、ごめんなさい、私が不甲斐ないばかりに皆さんにご迷惑をおかけして……」


「貴方は何も悪くないですよ。来てくれてありがとうございました」


「あの、銀色の瓶を持ってきてくれませんか? 中にいる方を、祀り直してきますから」


「分かりました。助かります」


 ライリーが抱えていた瓶を彼女に渡す。


「では、私はこれで」


「すみません」


 去ってしまいそうな吸血鬼姉を呼び止める。


「もう一つお願いしてもいいですか?」


 彼女は目ぱちくりさせながらこちらを見つめている。


「サラさんは僕とベラでどうにか運びますから、後の二人を外まで連れていってあげてくれませんか? 一応怪我をしているので」


 吸血鬼姉に初めて会ったサラを運んでもらうのは、お互い嫌がるだろう。だが、一度会ったライリーとアシュリーなら、自分で梯子を上るよりましでは無いかと思ったのだ。流石に地上に出てからは自力で歩いてもらうしか無いにしても。


「私は、構わないのですが」


「女の子なら大歓迎だよ!」


「ちょっと、アシュリーったら」


 アシュリーが左手の親指を上に突き出す。彼女はまごつきながらも二人を両脇に抱え、梯子を軽々と上っていった。その後を僕とベラがゆっくりとサラを運んでいく。踏み外さないよう下を見れば見るほど落ちそうな気がしてくる。こわごわと上っていく僕達を見かねたのか、結局途中からは吸血鬼姉が運んでくれた。サラも落ち着いていて、一階についた後、丁寧にお礼を述べていた。


   ***


 吸血鬼姉と廃墟の前にある道路で分かれた後、サラを背中におぶって家に運びながら事情を聞いてみる。


「私は独り身だし、年だから良いけれど、他の子達には家族もいるし、未来もあるだろう。あの屋敷でもしものことがあってはいけないと思って下見をしに行くことにしたんだよ。危ないものがあったら中止にするつもりでね」


「サラがそうやって言うから、一人じゃ危ないと思って私もついていくことにしたの。それで地下室ものぞいておこうって話になって梯子を下りていったら、急にサラが引きずり下ろされちゃって、その時に骨が折れちゃったのか動けなくなっちゃって。追いかけたら天井の扉がバタンと閉まって、蝋燭がついて、あの怖い奴が浮かび上がってきたの」


 とベラがまくし立てた。アトルが持っていた武器を振り回し始めたのは、それこそ祓魔師二人が到着してからだったらしい。それまでは足を怪我したこと以外は何も無かったそう。だがサラを一人置いて助けを呼びに行くこともできず、さぞ恐ろしい一夜を過ごしたことだろう。


「それは大変でしたね」


「本当に怖かったんだから。ふぁあ。なんだか眠くなって来ちゃった」


 ベラが欠伸をする。疲れているのも当然だ。


「帰ったらゆっくり休んで下さい。他のメンバーの方も、親御さんもきっと心配していたと思いますよ」


 あの子にも随分気を揉ませてしまったと、サラが黒魔女の家で待っている人のことを思いながら呟く。


「そうねえ。ママはどうか分かんないけど。まあ、心配してくれているかもしれないわね」


 黒魔女の家にあるベッドにサラを下ろすと、家で待機していた子が用意してくれたパーティのご馳走を皆で食べて秋祭りらしいひとときを過ごした。


 ライリーが壁に打ちつけた頭を改めて診てもらったところ、大したことはなさそうだった。アシュリーの切り傷にも薬を塗ってもらい、綺麗な布をもらって巻き直した。傷口に薬がしみて少し痛そうだった。深くはないので一ヶ月もしないうちに治るだろうということだった。日が暮れた頃、僕達は黒魔女の家を後にした。


 その夜、ベンチに腰掛けてぼーっとしていると、ライリーが隣に座ってきた。


「何かご用ですか?」


「ん? 別に大した話じゃねえんだけど、廃墟でさ、兄弟がいない間に変な声が聞こえたんだ。その場にいないはずの女の声がさ」


 足をブラブラさせながら話すライリーの頭上に星が瞬いている。


「急に母さんだって思ったんだけど。どうもおかしいんだよな。だって親に会ったことねえもん。どんな声してたかなんて、当然知らねえし」


「そうでしょうか?」


 こちらを向いて首を傾げている。頭は疑問でいっぱい、という感じだ。


 詳しい状況を聞くと、彼は頭を打ったとき、ベラの髪飾り、カーヌースの花があしらわれた髪飾りが目に入った。その時声が聞こえたという。誰が聖ウァレンヌの日に寒さが厳しい中、毎年ライリーに花を贈っていたのか。予想が確信に変わった。


 彼を置いていった母親にはきっとどうしようも無い事情があったのだろう。そしてライリーは親の顔を知らない。でも、もの心つく前は優しい声を聞いていて、頭の隅ではきちんと覚えていたのだ。


「それはきっと、どこか遠くにいらっしゃるお母さんが先輩を応援してくれたんですよ」


「そんなもんか?」


「そういうことにしておきましょう」


 そうだな、といって屈託のない笑みを浮かべた。そしてすぐに顔が曇る。


「明日もさ、またどっかの礼拝所を見に行くんだとさ」


「なら、早くお休みになってはいかがです?」


 下を向いて再び足をブラブラさせ始める。一枚の枯れ葉が草の上を風にながされ転がってゆく。


「……他のところ、そんな行きたくないんだよな。うーん。どうしてもって言うなら、マルクの行くところについていきたい」


「はあ。アシュリー兄さんとか、祭司様とかでは駄目ですか」


「兄弟と一緒に行くのは駄目だって父さんが言ってた。師匠の負担が凄いことになるからって。それに、俺と師匠はちょっと離れているくらいの方が良いんだと」


 ライリーは寂しそうだった。彼とお師匠のエヴァンス氏とはそれこそ親子の様に仲が良さそうだったから。どこに問題があるのかよく分からない。


 よくよく考えればライリーの転任先に悩むくらいならさっさとエヴァンス氏のいるところに行かせれば良いのである。アシュリーの方がまだ受け入れ先を見つけやすそうだ。本人の意思はどうであれ。


 きっと仲良しだからこそ、ライリーが甘えてしまう、自立をさせたいという祭司様のお考えなのだろうか……。


「別に嫌なら良いんだぜ。ただ一緒ならどこに行っても気楽だなって」


「嫌だとは思いませんよ。驚いただけです。僕は、貴方に会えて良かったと心の底から思っていますよ」


 つい恥ずかしいことを口走ってしまった。ただ、彼と出会えたから色々な世界を見ることができたというのは事実だ。ライリーも髪をかきむしっている。打ったところを掻いていないか心配。


「ほら先輩、またボタンが取れています」


「本当だ。そういうお前だって髪の毛、随分ボサボサになったよな。来たばっかりのことを思うとさ。今なら俺とそんな変わんねえぞ」


 毛先のばらばらになった髪を手に取る。


「貴方ほどではありませんよ。はあ、おっしゃるとおり自分で切るとどうしても限界があるみたいですが。いっそのこと祭司様のように剃ってしまおうかと」


「やめとけやめとけ。アレははっきり言ってだせえ」


「ま、まあ分かる。けど流石に言い過ぎですよ。確かに少し伸びるだけで剃り直さなきゃいけないのも考えものかあ」


「あ、兄弟。見てみろよ」


 急に大きな声を出したライリーが指した方に身を乗り出すと、小さく青白い光が集まって、天の川のように東の空に浮かんでいた。ゆっくりとどこかへ向かって行く青白い魂の光。今年も魂送の儀礼がつつがなく行われたようだ。


 吸血鬼の姉弟は今頃どんな夜を過ごしているだろう。あの光の列の中に、何者かの強い願いを受けたアトルは、混ざっているのかもしれない。


 廃墟に潜む魔物・アトルとの戦いは終わりを迎えたが、僕の戦いはまだこれからだ。

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