第92話 アトルとの戦い

 ライリーとアシュリーが廃墟の中に入ると、地下に繋がる扉が小刻みに動いていた。二人に異様な気配を持つ何かがいることを感じさせる。


 後ずさりするライリーの背中をアシュリーが一回強く叩き、そのまま扉の取っ手に手をかける。梯子に足をかける彼の首筋には冷や汗が浮かんでいた。


 地下室に入った途端、鋭く、冷たい風が二人を襲う。黒い鎌のような影がなぎ払おうとしていたのだ。避けていなかったら、首を落とされていただろう。


 部屋の真ん中に浮かび上がっているのは、大きな影。巨大な鎌を携えており、人の姿のようにも、そうで無いようにも見える。上の方に目のような穴が二つあり、奥には赤紫色の光が仄かにちらついていた。


 以前カーペットが敷かれていた床はむき出しになっており、そこには、なんと魔方陣の様な物が描かれていた。


 通常魔法陣は円の中に五芒星や六芒星が描かれるものだが、奇妙なことに床には雪の結晶の様な模様の周辺部に文字があるだけで、円で囲われていなかった。


 陣の四隅には短い蝋燭が灯されていた。おかげで暗い部屋の中でもなんとかアトルと魔方陣を視認することができたのである。


 そして部屋の隅、壁にもたれかかりながら身を寄せ合っている二人の女がいた。大きな髪飾りをつけているのがベラで、長い髪を横で束ね、足を怪我したのか、木の枝を当て、服の切れ端で巻いているのがサラだ。二人はやはり何らかの理由で廃墟を訪れ、アトルと鉢合わせし、怪我をしたばかりに帰れなかったのである。


「アシュリー! とライリーさん」


「ベラちゃん、もうちょっと待ってて。今近づくと危ないから」


「すまないねえ」


 かすれがかった声でサラも叫ぶ。ともかく彼女らは無事だった。あとは立ちはだかる魔物を倒して助け出すだけである。


 空を切って振り下ろされた鎌を、ライリーが杖で受け止める。押し返そうとしている間に、アシュリーは荷物入れの中を探る。彼は銀でできた瓶と、栓を取り出した。


「この中に誘い込めば良いんだけど……どうしようかなあ」


「なんか唱えるんだよな」


 魔物の力は強く、気を抜けば押されてしまいそうだった。アシュリーはもう一度荷物を探り、細く、長い鎖を取り出す。


「そうだけど、ちゃんと覚えてる? 闇雲に唱えたって意味ないからねっ」


 巨大な影に向かってそれを投げると、まるで鎖に意思が宿っているかのように体に巻き付く。アトルは段々瓶の方に引き寄せられ始めるが、身じろぎ一つするだけで、アシュリーの方が引っ張られてしまう。ライリーも鎖を握り、二人がかりで引く。鎌を手にした腕にも巻き付いているので、鎖が断たれることは無いだろう。


 魔物は鎖から解放されるために激しくもがき、体をよじっている。鳥か何かの羽ばたきが聞こえてくる。すると、アトルの体が大きくなり、鎖をはじき飛ばしてしまった。飛んできた破片から身を守る祓魔師達。


 しかし、その隙をついたアトルがライリーに向かって鎌を振り下ろす。気づくのに遅れた彼は杖で受け止め切れず、そのまま床に倒れ込んでしまった。


「兄弟!」


「ライリーさん!」


 駆け寄ろうとするアシュリーに向かって鎌が振り下ろされる。ベラも立ち上がろうとするが、サラが止めに入った。いつあの鎌にやられるか分からないからである。


 一回目はすんでの所で避けたが続けざまに振り上げたのを杖で押さえ込んだせいで、倒れた相方に近寄ることができなくなった。二人がかりでも防戦一方なのに、一人で戦い続けるのは無謀だ。回復するまで気を引き続けるか、どうにかして地下室からライリーを先に脱出させて、一旦退くか。彼は厳しい選択を迫られていた。


 一方ライリーは、頭を打ってしまったのか、壁伝いに立ち上がろうとするも体がふらつき、頭が回らず、とても戦いに戻れる様子ではない。


(やべえ、クラクラする……)


 辛うじて立っていた足の力が抜け、再び床に座り込む。

魔物がもう一度得物を振り抜いた拍子に、強い風が吹き荒れた。甲高い音が響き渡

る。ベラの髪飾りが床に落ちた音だった。


 意識が朦朧としているライリーの目に飛び込んで来たのは、青と白のカーヌースの花。蝋燭の暖かな光で照らされている。毎年冬になると誰かが送ってくれる花。


『イリー……ライリー頑張って!! 立ち上がるの!』


 突如彼の耳に聞き覚えの無い、けれど懐かしい。ベラでもサラでも、ましてやアシュリーでもない、優しくそれでいて勢いのある女の声が背中を押す。


(誰の声だ? アトル(こいつ)の他に精霊はいないはずなのに)


 部屋を見渡す。コウモリっぽいのが天井からこちらを見下ろしているだけで、やはり何もいない。頭を打ったから変な声が聞こえたんだ。と彼は思うことにした。これが空耳ってやつなのだと。


(このまま兄弟が傷つくのは嫌だ――そう、マルクと約束したんだ。助けが来るまで皆を守るんだって、もうあの時のようなヘマはしないんだって。だから見守ってくれよ母さん…………かあさん?)


 自分が何を考えているのかよく分かっていないまま、ガンガンと痛む頭を押さえながらもう一度立ち上がる。ベラが何か叫んでいるので、一層頭に響く。


「円よ、えん。アトルはね、まるの中から出られないのよ」


 アシュリーがはっとした表情を浮かべる。ベラが叫んだのは、最近黒魔女の会で流行っていた「エイテルの道しるべ」に出てくる決まり文句だった。アトルの封印方法が子どもの遊びの中に埋め込まれているとは思わなかったのである。


 ライリーは別の意味で驚いていた。以前アトルと師匠が相対したとき、ライリーは部屋の外からこっそりと様子を伺っていた。その時、師匠がキャソックで瓶の周りを囲んでいたのを思い出したのである。あれも確かに、円だった。


 頬を二回叩いて、ちぎれた鎖の一部を拾いに走る。


「兄弟。暫く引きつけてくれ」


「了解!」


 アシュリーがアトルの相手をしている間、時折来る鋭い風を避けながら鎖で円を作り、真ん中に銀の瓶を置く。懐やぐちゃぐちゃになった荷物入れの辺りから聖水を探し出して、円の中にぶちまけた。


「できた。中に入れるぞ」


 二人は、杖で鎌を押さえながら、必死の形相で巨大な影を円の中に押し込む。少しずつ、少しずつ鎖の結界に近づいていく魔物。


「「天におわす神よ我らが罪を許し給え、英雄よ降り立ちし地に祝福を与え給え、」」


 二人が声を絞り出すように祈りの言葉を唱えると、足下の影が円の中に入った。影は体を激しく揺らすが、結界の中からは出られない。むしろどんどん中に引きずり込まれていく。ライリーが結界の中に入り、瓶を手に取る。力を込めつつ、魔物に近づける。


「「空の天使、フリジュセルよ、悪しき者を打ち倒し給え……!」」


 退魔の言葉を唱えると、巨大な影は銀の瓶の中に吸い込まれ始めた。アシュリーは鎖の結界が風で飛ばされないように押さえる。段々黒い影が小さくなり、蝋燭の火が一つ一つ消えていった。


 辺りが真っ暗になると、静寂が訪れる。アトルが完全に中に入ったことを確かめると、瓶の口に栓を押し込んだ。


「これで良いのか」


「ああ。暫くは出て来ないでしょ」


「やったんだな」


「うん」 


 二人は手を思いっきり叩きあってハイタッチする。


「やったあ。倒せたのね。やったあ、アシュリーありがとう」


 アシュリーに飛び込もうとしたベラの頬に、べっとりとした物が付着する。慌てて

袖を使い拭う。暗くて見えないが漂う血の臭い。


「アシュリー?」


 アシュリーは脇の下から背中の辺りを左手で押さえていた。指と指の間から血が滴っている。瓶に異常はない。つまりたった今、部屋に潜んでいた何者かによって切りつけられたのだ。


「兄弟! 下がれ」


 彼の背後に何者かの気配があった。ベラが無理矢理アシュリーの体を引き寄せ、襲ってきた相手から離れさせる。捕まえ損ねたせいか、相手が軽く舌打ちをした。


「熱心な信者の元にいたから多少は骨のあるものかと思っていたけれど……。所詮その辺の精霊に過ぎないってところかな」


「その声。あの時の吸血鬼! まだいたのかよ」


 ライリーに構わず、吸血鬼は言葉を続ける。


「折角沢山魔力をあげたのにねえ。勿体ないことをしたな。けど、まあいいや、面白い物が見られたからね。君たちが怯え、逃げ惑うところは最高だったよ! あの時は逃げられちゃったからね。今度こそ絶望を味わってもらわないと――」


 鋭い爪が彼らに向かって伸びる。殆どの人が負傷しており、視界が悪いため咄嗟に動くことができない。全員まとめて切り裂かれるかと思ったその時。

天井から一筋の光が差し込んできた。


「ヴァロちゃん、もうやめて」


 悲痛な訴えと共に長いローブを纏った女が天井から降り立ち、ふわりと着地する。


「ね、姉さん……」


 声の主の姿を見た吸血鬼がピタリと手を止めた。降り立った彼女に続き、梯子を踏み外したキャソック姿の男が転がり落ちる。彼の姿に、ライリー、アシュリー、ベラの三人は身を乗り出した。


「おま、たせしました……あいたた」


「マルク!」


「兄弟!」


「遅いわよ、キノコ頭! もうアトルはいなくなってるのよ」


「す、すみません……」


 マルクはようやく助けを呼んできたのである。

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