第91話 ベラを探しに

 秋祭りの日、近所の人や、求道所の人が礼拝堂の横にある広場に集まり、店を開く準備をしている。今年はここで演劇も行われるそうだ。


 僕達も商品を運んで布を敷いた机の上に並べたり、料理を振る舞うための薪を集めたり、礼拝所に置いてあるカップを貸すために取りに行ったりしていた。


「去年より店の数増えてねえか? ずっとここにいても楽しそうだな」


「そうですね。人が集まると外に出るのも一苦労ですし、礼拝堂に引きこもっているのが正解かもしれません」


 ライリーと立ち話をしていると、入り口の方で女の人と言い合いをしているアシュリーの姿が目に入った。僕は初めて見る顔だけれど、彼にとっては初対面でない様子。かなり切迫した様子で話しているので、気になった僕達は彼らの所に行ってみることにした。


 話している相手は、背の低い、使用人のような身なりをした髪の短い少女だった。本来髪全体を覆うために使う布を、頭頂部から首の後ろにかけて巻き付け、耳の上辺りでリボン結びしているのが特徴的だ。台所で働いているのか、前掛けは所々黒っぽくなっている。


 話し方から察するに、アシュリーとは対等な付き合いをしているようだ。


「いかがなさいましたか?」 


 話しかけると、少女の大きな瞳がこちらに向けられる。目元がくすんでいて、焦燥感に駆られているのかまくしたてる。


「あのね、リーダーとベラが昨日から戻ってこないんだ。詳しく聞いてないんだけど、屋敷に行くとか言ってたような気がするから探したいんだけど、一人じゃ……」


 アシュリーが少女を落ち着けるように背中をさすりながら、紹介してくれる。彼女は黒魔女の会のメンバーで、リーダーであるサラという人と、ベラの三人は翌日のお出かけと、夜に行う予定だったパーティーの準備に来ていた。途中で二人が出かけた後、少女は会の家で帰りを待っていたが、日が明けても戻って来なかった。


 二人が行きそうな場所の中で一番怪しいのは、今日皆で行く予定だった廃墟だが、一人で行くには難易度が高すぎる。そこでメンバーのアシュリーに協力を頼んだという訳だ。


「二人が戻ってくるかもしれないし、殆ど眠れていないんでしょ。心配かもしれないけど、家で休んでいて。私が見てくるよ」


「あたしもついてくよ。だって一人じゃ……」


「大丈夫。この人達も手伝ってくれるし、万が一私が戻って来なかったら他の子に知らせなきゃいけないだろう? 君じゃなきゃできないことだよ」


 アシュリーが少女の手を取る。彼女は大きく頷いた。


「二人をお願い。気をつけてね」


「うん。まだ廃墟にいると決まってはいないけどね」


 少女が僕とライリーに手を差し出す。恐る恐るその華奢な手を握った。


「君たちを巻き込んでごめん。頼めるかな?」


「ええ。困った時はお互い様ですよ」


 アシュリーに促されて、少女は礼拝所を後にする。


「さて、行きますか」


 アシュリーが一回伸びをして歩き出した所、ライリーがその腕をつかんだ。


「本気で行く気か?」


「当たり前でしょ」


 ライリーの目が泳ぐ。手が震えていた。きっと氷のように冷たくなっているはずだ。顔色も悪い。


「助けを呼ばないか、師匠とかさ。俺たちだけじゃ無理だって。もしお前が狙われたりしたら……」


 アシュリーが手を振り払う。ライリーは普段の態度とは打って変わって弱気になっている。祭司様の言った通り、過去を引きずっているのだろうか。


「それでも行かなきゃ。あの子達をこれ以上待たせたくない」


 アシュリーは自室に向かって走って行く。その背中は、嫌なら来なくて良いと語っていた。彼の姿を何か言いたげにずっと目で追いかけるライリー。


 僕が行ったって足手まといになるだけだ。でも、ライリーなら何かできることがあるはずなのに、何故今回に限って嫌がるのだろう。何故こんなにも怖がるのだろう。

昔怪我をさせてしまったことがあるからと言ったって今はライリーも成長しているし、このままアシュリーを放っておいたら同じことが起きてしまうはずなのに。


「先輩は、行かないのですか?」


 彼の耳に届いたのかどうかはわからない。ただ、


「……分かるけど、助けたいのは分かるけど、何で危ないと分かっている所に突っ込んでいくんだ?」


 ライリーが浮かべていたのは、困惑。そうだった、昔も、今も、きっとこれからも彼は生きていくのに必死なのだ。食べられるものを食べること、自分にあだなすものを退けること、強い魔物には一人で近づかないこと。


 悪魔に興味を示し、怖い廃墟に入っていき、アトルに立ち向かうアシュリーの行動をライリーはずっと不可解に思っていたのだろう。わざわざ自らを危険にさらすことだから。


「命を落としてでも守りたいものがあるからですよ」


 普段思わせぶりな言動をしつつ、なあなあにし続けているけれど、同じ趣味を持っていて、呪いをかけてくるくらい、還俗しろと言ってくれるくらい自分を愛してくれて、自らの秘密を打ち明けるに至った少女を、そして黒魔女の会の方を、彼なりに愛していたのだ。多分、きっと、おそらく。


「助けなら、僕が呼んできます。それくらいなら僕にだってできます。でも、魔物を、アトルを祓うことは貴方にしか出来ないのですよ。怖い気持ちは分かります。ずっと苦労してきたから、今を生きるのに必死なことも。それでも、兄弟をそのまま行かせて良いんですか? 貴方にだってあるはずです。守りたいと思うものが、自分を引き替えにしてでも失いたくないものが、いなくなって欲しくないものが」


 勢い余って身につけていたマントのボタンが外れ、地面に落ちてしまった。息が上がっていることに自分で驚く。兄弟の肩をつかんで、まくし立てる自分に、本当はこんなこと言う資格は無いのかもしれない。


 けれど、彼にしか見えないものがあり、できないことがある。これは残酷な事実なのだ。肩をつかむ手に一層力が入る。先輩は抵抗しなかった。ずっと下を向いていた。


 逆に、僕の守りたいものって何だろう。


 家族がいる、礼拝所の皆がいる、キャロルさんがいる、ブラスキャスターの先輩方もいる、ここや、近くの森で出会った沢山の人がいる。皆大切で、いなくなったらきっと悲しい。


「兄弟……兄弟にはいなくなって欲しくない。父さんだって、ビルだって、いなくなったら嫌だ」


 彼はゆっくり顔を上げた。僕の手の上に手を重ね、力強く握りしめる。


「兄弟、俺、行ってくる。頑張ってみる」


「はい。兄さんを頼みます。できるだけ早く応援を呼んできますから」


「おう」


 いつも通りの軽快な足取りで、彼はアシュリーの後を追う。


 まずは彼らの師匠、エヴァンス氏に手紙を書こう。部屋に戻り、持ってきたマントを放り投げる。羽織り直すのも時間の無駄のように思えた。


 大急ぎで綺麗な紙を引っ張り出してペンを走らせる。三日に一回位、郵便屋が手紙や荷物を届けるためにこの辺りを巡回する。今日は丁度その日。まだ昼前だから、郵便屋が来る時間までにはまだ余裕がある。


 しかし、この手紙が届くのには時間が掛かるから、エヴァンス氏の到着を待っている訳にはいかない。この時期はどこも収穫祭を行っていて忙しいだろうから、来られるかどうかも怪しいのだ。他に倒せそうな人を見つけなければ。


 大礼拝所の祓魔師はどうだろう。秋祭りのまっただ中、人混みをかき分けながら、城壁の中にある町の中心部まで行くとなると、どれだけかかるだろう。

念のため祭司様に相談してみようと思うが、会ったこともない人達と話をつけられる自信がない。それに、ハルディアと見た酔っ払いを思い出す。あのような人達が町外れの、貧民街にいる人達を助けてくれるのだろうか。


 木々が風に揺れているのに、人々の声でその音はかき消されている。グリフの時でも、ここまで賑やかにはならない。今、呼ぶなら近所でないと厳しい。アトルに対抗できそうな人、祓魔師はもういない。魔物に詳しい……エルフとか? いや、森は遠すぎる。ハルディアならかろうじて街にいるかもしれないが、あの気まぐれがどこにいるのか見当がつかない。


 魔物退治なら冒険者でもやっているのかな? ギルドに話を聞いてみる価値はありそうだが、ギルドに行ったことがないし、詳しい仕事内容が分からないから断られたら終わり。決定力に欠ける。それに今は秋祭り中。パレードの準備や街の警備で忙しいだろう。


 その点、魔術師なら辛うじて知り合いがいる。まさに、渦中にいるベラの母親。娘が危ないと知ったら仕事中でも来てくれるだろうか。


 魔術師……魔法使い……あ、いた。丁度良い人物が。


 近くに住んでいて家に引きこもっていると噂の魔法使いが。強そうな悪魔と契約を結んでいるリンなら、アトルに対抗する手段も持っているかもしれない。


 話に行ったところで扉を開けてくれるかは分からない。が、とにかく頼みに行ってみる価値はある。


 大急ぎで書き上げた手紙を一回読み直し、酷い誤字脱字が無いことを確かめると、風を送って軽く乾かし、くるくると丸めて祭司様の所へ持って行く。


 彼が手紙に軽く目を通し、封蝋をして下さっている間、大礼拝所の祓魔師について尋ねてみる。


「あちらの礼拝所では、助祭や祭司が兼任していることが多いから、都合をつけてもらうのが難しいというのが一つ、それと、お祓いを頼むからには人でも、ものでも構わないが、悪魔に取り憑かれていることを証明する必要がある」


「確かに聖職者同士の依頼とあれば尚更はっきりした証拠が必要になりそうですね」


「従って、まだお嬢様方がどこにいるのか分かっていない現時点で依頼を出すのは難しいだろう」


 おっしゃることは尤もだ。しかしアトルに憑かれた証拠をつかむ頃にはもう手遅れになってしまう。やはり大礼拝所には頼るのは現実的でない。


「あの、僕も探しに行ってきて良いですか?」


「勿論だとも。くれぐれも無理をしないようにな。危ないと思ったら逃げなさい。君まで怪我をすることはないのだからね」


 気遣いの言葉をかけて下さる祭司様は、自分の腕をさすっていた。


「かしこまりました」


 リンに会える可能性をあげるために、僕はまず、市場に向かって走り出した。


 リンに会うのに一番手っとり早い方法は、彼女の近所に住んでいる友人に呼んできてもらうことである。友人は時々礼拝所に読み書きを習いに来ているので、何度も話したことがあるし、穏やかな性格の人なので、仕事で家を空けていない限りは問題ない。


 問題は、彼女と同居している男、サムある。友人の家に行くと言うことは、彼と鉢合わせするということ。悪い人ではないのだろうと信じてはいるが、とにかく皮肉屋なので、顔を合わせたらどんな嫌みを言われるか分からない。アシュリーに至っては、ほぼ物理的に追い出されたこともあるそうだ。


 そこで、彼の弱点を突くことにした。甘いものである。事情があってお詫びの品としてケーキを持って行ったとき、とても喜んでいた。物でつっているようで若干心が痛むが、甘い物を食べて穏やかな気持ちになってくれればスムーズにことが運ぶはず。


 広場の側に店を構えているパン屋が見えてきた。パン屋だが、ケーキが安くて美味しいと評判の店。蜂蜜を焦がしたような甘い香りがもう漂ってくる。


 店の中に入ると竈の熱気が入り口まで迫る。パンの香りを嗅いでいたら、お腹が空いてきた。つばを飲み込みながら、たくましい体つきの店主に話しかける。


「お世話になっています。小さいケーキを三つ下さい」


「了解。温め直すからその辺で待っていてくれ」


 言われた通り、暫く店の中を見て回りながら待っていると、持ってきた籠に熱々の黄色いケーキを入れてくれた。礼拝所での生活は決して裕福では無いが、なけなしのお金を支払う。


 僕はケーキで温かくなった籠を抱えてリンの友人宅へ急ぐ。通りは案の定、人でごった返していて、中々進まない。暴漢に襲われなさそうな、かつ少しでも人通りの少ない道を選ぶのが難しい。


 その時、危うく人とぶつかりそうになった。向こうが避けてくれたのでお互い助かった。その人は杖をついていて、目を閉じていた。もしかして目の不自由な方かもしれない。道を渡るだけでも大変だろうに、申し訳無いことをした。


 その人の背中を支える白い手があった。隣には黒いローブ姿。きっと人が来ている

ことを知らせてくれたおかけでこの人は避けることができたのだろう。


 道を渡る二人の姿が妙に気になってつい目で追いかけてしまう。渡り終えると、杖をついた人がローブの方の手を握って、感謝の意を伝えていた。


 そして再び歩き出す。一方、ローブの人は来た道を戻っていく。何だが僕の方へ向かってきているような……。フードの中から、口元を隠す布が覗いている。赤い瞳が微笑んでいるのを見たとき、僕はリンの家へ行く計画を変更することに決めた。

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