第90話 エルフとの再会

 今日は子どもに洗礼を与える儀式を行っていた。頻繁に行われるものでは無いので、僕にとっては貴重な勉強の機会だ。そして、ここの礼拝所で洗礼を受けられる人はあと何人いるのだろうか、と思うと、切なさがこみ上げてくる。


 喜ばしいはずなのに沈んだ気持ちで片付けていると、木の上から聞き慣れた「おい」という低い声が降ってきた。


 エルフのハルディアが木の幹にもたれかかっている。友人の孫が歌いに来るのを見に来ているのか、よほどあの木が気に入ったのか、時折ここの木の上で腰掛けているのを見掛けるようになっていた。


「こんにちは。何かご用ですか?」


「いや、風にそそのかされただけだ」


「なんですか、それ。急に話しかけてくるから何事かと思いましたよ」


 要するに、何となくということだろう。時々回りくどい話し方をするのは、彼の癖?それともエルフの慣習なのか?


「話しかけるくらい良いだろう。それにしても、貴公、随分としおらしいな」


 虚を突かれる。態度に出ていたのだろうか。ビルやライリーは別の場所で作業をしているし、アシュリーは祭司様に呼び出されて、礼拝所が閉まることについて話を聞いているはずだ。


「そうですか?」


 誰にも聞かれていない今なら、彼に胸の内を明かしても良いだろうか。礼拝所が無くなることは、ハルディアにとっても大事な知らせだろう。きっとそれも定めだといって軽く受け流すのだろうけれど。


「実は、近いうちにこの礼拝所が閉まることになりました。キャロルさんがここへ来ることもなくなるでしょう」


「そうか」


 思っていた通り反応は薄かった。


「貴方ならそれも定めだとおっしゃるのでしょうけれど」


「まあな。悪くない所だったのだが、致し方ない」


 彼が名残惜しそうな声をしていたので、感傷に浸ることもあるのかと驚く。


「結構気に入っていたんですね。意外」


「この街に用がある時、宿の代わりに丁度良かったからな」


「宿に入れなかったのですか?」


「時折言いがかりをつけられる。エルフは汚い動物を友人だと言って連れて来るとかな」


 エルフは動物と話すことができるらしい。沼に住む魔物を喜ばせようと歌の上手い聖女であるキャロルを誘拐したエルフの少女、ローフェルも狐を連れていた。ハルディアがその狐を連れてここへ遊びに来たこともある。十分ありえそうな話だ。


「これはまだ分かる言い分だ。他にも、より美しくすると言って壁に落書きし、勝手に土のついた野草を机の上に並べる、嫌いな食べ物を他の客に押しつけ好きなものを持って行く、酒に酔って客と取っ組み合いの喧嘩をし、魔法で店ごと吹っ飛ばす、等々随分言われたものだ。誇り高き我々がするはずなかろうて」


 雄弁に語っているところを見るに、相当不満をため込んでいたことが伝わってくる。流石のエルフでも落書きや店を吹っ飛ばすのは迷惑だと分かっているのだろう。だが、自覚が無かったとはいえ、パンを盗んでいたから、宿泊代を出さないとかはやらかしそうではある、というのは言わないでおこう。


 ヒートアップする前に話題を変えることにする。そういえば、エルフは精霊達とも話せるのだった。アトルについて聞くなら丁度良いかもしれない。


「ハルディアさん、話は変わるのですけれど、アトルっていう魔物について何か知りませんか? この辺りで信じている人が多いらしいのですが、僕の故郷では聞いたことがなくて、良く分からないのです」


 ハルディアの周りを黄色い羽の蝶が舞っていた。ひらひらと。彼は手を伸ばし、指に蝶を止まらせる。


「ああ、あの者達か」


「達?」


「人間どもはよく似た習性を持つ精霊をひっくるめてアトルと呼ぶらしいな」


「その言い方だと、アトルって呼ばれている精霊は複数あるということですか?」


 彼が静かに頷く。つまり、一度封印をしていても、別個体のアトルが出てきて、出会う可能性があるということだ。


「彼らは竜の血が滴る木に住まう者。あちらの世界とこちらの世界の狭間で迷わぬよう、見守るのが役目だ。良く身ごもった女達が祈っているだろう。子どもが無事この世界へたどり着けるようにと」


「そうなんですか。竜の血が滴る木、とは……」


「私も、この辺りでは見たことがない。世界のどこかには樹液の赤い木があって、彼らはもともとそこに住んでいたと聞いたことがある。だから願いを叶えてもらうために、赤く染めた木で祭壇を作ったり、己の血を捧げたりするのだろうな。悪いが、私もそれほど詳しくないのだ」


 かぶりを振る。僕一人ではこれだけの情報を集められなかっただろう。エルフだからこそ知っていたこともある。


「ありがとうございます。勉強になりました」


「だが、それを私に聞いてどうする」


「お祓いを頼まれてある廃墟に向かったのですが、どうも住んでいた方が熱心に信じていたみたいなんです。あの二人が言うには、その家には特に何もいなかったそうですが。逆にいないことを怖がっていたので少し心配で」


 もたれかかっていたハルディアが体を起こす。


「何もいない、というのは確かに返って危険かもしれんな。周りの精霊が寄りつかない程強力な何かがいるかもしれぬ。気をつけることだ」


 本当に心配してくれているみたいで余計に怖くなる。いつのまにか黄色い蝶が指を離れてどこかへ飛んでいっていた。


「気をつけます」


「それにしても、時の流れは早い。人間といると尚更だ。会ったばかりだというのにもう別れが近づくのだからな」


「きっとまた会える日が来ますよ」


 木から下りてきて服についた葉っぱをはらい落としながらエルフは言う。


「それもそうか。どこに行くにしろ沼へは歌いに来てもらわねばならん。月に一度は顔を合わせることができるな」


 そうだ、若い少女を要求する泉の悪魔・リムナスが僕の下手な歌を気に入ってしまい、月に一度音痴の大会が開かれることになってしまっていた。


 悪魔が棲んでいるとはいえ泉の水質は良く、礼拝所にとっては儀式に欠かせない聖水として、エルフにとっては貴重な生活用水として使われている。


 泉の所有権や水の利用割合について随分揉めていたらしいが、意味不明な音痴の大会に集まった人間とエルフが交流するようになったことで、和解が進みつつあるらしい。


 今のところ、ほぼ毎月ハルディアが迎えに来て、半ば強引に僕を森へと連れていく。決して悪いことでは無いのだが、僕の心は毎回ズタボロだ。


「それ、まだ行かなきゃ駄目なんですか。他にも優勝した方がいるのですから、もう僕でなくても」


「集まる者が多い方が愉快だろう?」


「高みの見物している側にとってはそうでしょうね!」


 彼はにやにや笑っている。だが、そろそろ仕事の時間らしい。僕は礼拝所を少しでたところまでついていって見送ることにした。


「こうして、短い出会いと別れを繰り返して生きてゆくのだろうな」


 門の外に出ると、ハルディアがしみじみと言う。その時、僕達の間に流れる感傷的な空気を壊すように、遠くから高らかな笑い声が聞こえて来た。キャソック姿の男が一人、若い女の肩に手をかけながらふらふらと歩いている。足下がおぼついていないことから、酔っているようだ。


 女を挟んだ反対側には、ギラギラした服に身を包んだ老人が、これまた足を不自然に揺らしながら辛うじて歩を進めていた。服装や持ち物、漏れ聞こえる会話の内容からして、彼は町の有力者であるようだった。


「いやああ、この度はあ、お世話になりましたあ。その上ご馳走にまでなってしまって」


 とキャソック姿。


「いいえ、こちらこそありがたや、ありがたや。これで天国に行けること間違いなし、ですからなあ。好き勝手できますわ。また良いお店があったら行きましょお」


 と商人らしき男が管を巻く。


「ちょっと、次も来て下さいよお。私、お店で待ってますからぁ」


「もちろん、行くってばあ」


 ほとんど呂律が回っていないのに、やたら声を張り上げてしゃべる人達。


「ここは色町からは離れている方だと思っていたが」


 ハルディアも眉根を寄せている。あまりこういうのは好きではないのだろう。道に迷ったのか、女の住居がこの辺りなのか……。夜の町で働くことで食べている人もいるのだから、余り無下にしてはいけないのだろうが、キャソック姿はいただけない。礼拝所全体の品位を落としてしまう。


 去って行くハルディアと、遠ざかっていく三人組を見送る。僕の脳裏には、「コネ」という言葉がちらついていた。

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