第14話 聖女と歌姫 その2

 明るい光が差し込む礼拝堂には、多くの人々が椅子に腰掛けていた。僕は盆に乗っていた麦酒とパンを渡す。近隣の広場で出店を出す人達が、毎年祭の成功を祈るために来るそうだ。全体的に柄の悪そうな人が多い気がするが、意識しすぎてはいけない。


 人混みの中に、やたら手を振ってくる若者がいた。ミックだ。手招きしてくるので、物を配り終わった後、彼のいる列へ向かう。屈託のない笑顔を浮かべているが、少し顔が引きつっている。緊張しているのだろうか。


「ボウズ、久しぶりだな。元気だったか」


「ええ。そちらこそお元気そうで何よりです。先日は何かとお世話になりました」


「魔女には会えた?」


「リンさんのことですよね。会えましたよ。というか、お店出されるんですね」


「そうそう、この前カノジョがパン屋の娘だって行っただろ。手伝いにかり出されてんの。ほら、あそこにいるでっぷりしたやつ。あれカノジョ」


 彼が指さした方を見やると、父親らしき人と楽しそうに話す少女がいた。確かに恰幅の良い体をしている。溌剌としていて気のよさそうな子だ。


「できたらどっかでコレクション並べたいんだけどな。近くで礼拝所だかどっかの人が店を出すらしいから、難しいかも」


「また変な物売るんですか?」


「面白いものって言ってくれよ。まともなものも偶にあるんだって」


 早くくれと声が飛んできたので、慌てて取りに戻る。もうお酒を飲み始める人を見つけては止め、パンをかじり出す人には、それは英雄様のお体の代わりになるもので、儀式の途中で頂くものだと言って聞かせた。そうこうしながら配り終わると、祭司様とこの辺りの有力者と思しき老人が話を始めた。


 聖女も5人だけ特別に来てくれて、その中にはキャロルもいたものだから、皆大喜びだ。ところが、人数が少ないせいか、聖女の歌声が小さく聞こえる。否、キャロルの声に張りが無いから小さく聞こえるのだ。いつもなら大勢いる聖歌隊の中でもひときわ響き渡っているのに、今日は声が少し掠れているようにさえ思われる。一体どうしたのだろうか。


「何かキャロルちゃん、今日元気無いね。そう思わない」


 隣で歌っていたアシュリーが囁く。彼と見解が一致したということは、やはり具合でも悪いのだろうか。


 とは言えいつものように歓声の中歌い終わると、今度は祭歌を歌い始めた。



 麦の穂落ちれば赤い実はじけ

  いまは忘れて歌えや踊れ



 茸実れば家畜も戦も

  いまは忘れて歌えや躍れ



 風の乞食も貴族も今宵は

  全部忘れて歌えや踊れ



 聞いたことの無い歌だ。聞いている限り、元々は農民が収穫を祝う歌だったように思われるが、都市部にも伝わってきたのだろう。商人を揶揄するような歌がこの後延々と続く。興奮してきたのか段々歌声が怒鳴り声に近くなる。歌詞が聞き取れなくなり、リズムに合わせて体を揺らすだけになってしまった。


 歌と拝領の儀礼が終わると、会は解散となった。一部の人だけ礼拝所に残り、魔除けの飾りを橋のところへ立て掛けに行く。


 祭の期間、河の対岸にある森から魔物が入ってこないように願掛けをするのだそうだ。僕は初めてということで、祭司様についていくことになった。


 十字に組まれた木材を男数人がかりで持ち上げ、運んでいく。祭司様は聖水の入った壺を持ち、先程話をしていた老人が飾りを持っていた。河に沿って暫く歩いたところに小さな橋が架かっている。そこに聖水を掛け、祭司様が祈りの言葉を唱える。老人が飾りを掛けた後、いっせーのせのかけ声で木を立てた。


 もう一度皆で祈りの言葉を唱え、儀式が完了した。


「向こうの大きな橋には掛けないんですか」


 帰り際、祭司様に尋ねる。西方向には外ブラッドリー中央を走る大通りへ繋がる橋が架けられている。一番人通りの多い橋なので、本来なら真っ先にその橋を清めるべきだろう。


「あの橋は確かに城壁の外にあるけれども、大礼拝所の管轄なのだよ。きっと向こうで何かしらの儀式が行われているんじゃないのかね。良かったら今から見に行っておいで。勉強になることもあるだろう」


「良いんですか。じゃあ、失礼します」


 向こうがいつ儀式を行うかは分からないが、どのような飾りを立てているか見るだけでも価値があるだろう。僕は橋に向かって河沿いを走った。


 船頭の歌う声がうっすらと聞こえる。



   ***



 確かに橋の傍で儀式が行われていた。しかし、凄い人だかりで聖職者の姿が全く見えなかった。あの中に、大祭司様はいたのだろうか。人をかき分けてまで行くものでも無いような気がして、礼拝所へと足を向けた時だった。


 柳の木にもたれ掛かっている人がいる。トゥニカ(ゆったりとしたくるぶし丈の服)にウィンプル(頭巾)を被っているから間違いなく聖女だ。近づいて見ると、少女が振り返った。緑色の目をしていた、首から木彫りの花飾りを下げている。キャロルだった。


「あら、マルクさん。ご機嫌よう」


「ご機嫌よう。先程はわざわざ来て頂いてありがとうございます。このようなところで、如何致しましたか?」


「皆を待っていますの。折角街に来たのだから買い出しに行きたいそうで」


「貴方は行かれないのですか」


「私は、特に欲しい物もありませんので。こうして眺めている方が楽しいのです」


「そうですか」


 人々の話し声、荷物を置く音、馬の蹄、楽器の音、騒がしい街の中で、ここだけ妙に静かだった。水が草木を洗う音がする。


「あの、マルクさんはどうして礼拝所ここに来たんですか」


「どうしてって。神のお導きとしか」


「そうですよね。すみません。ただ、時々考えてしまって、どうしてここにいるのだろう。何の為に歌っているのだろうって。私はただ……自分が楽しいだけなのかもしれないって……」


 あの歌は神への侮辱だ、という言葉が蘇る。歌を目当てに来る人々は、本当の意味で帰依していない。彼女の歌が彼らの行動をかき立てているとしたら、聖女として正しいのか。彼女自身も迷っている。そんな気がする。


 しかし、僕には、彼女に歌うのを辞めるべきという権限も資格もない。頭の中がぐちゃぐちゃになってきた。どうしていいのか分からない。


 水の流れを見つめる彼女はどこか憂いを帯びていた。暗い影を落とす柳の佇まいがそう見せているのだろう。こほん、と軽く咳き込む。


「ごめんなさい。あの、ああ、そう。ここには昔、水の精霊が棲んでいたそうですよ。その歌声を聞くと溺れてしまうのだそうです」


 袖で口元を隠す。ごまかしているみたいだ。彼女は再び視線を河の向こうに戻す。まるで何かが見えているみたいに。或いは、ただ、人を運ぶ船を見ていただけかもしれない。


「一度、聞いてみたい気持ちもあるんです。さぞ、美しい歌声なのでしょうね」


 そう話す彼女の姿は風に飛ばされてしまいそうなほど儚いものに思われて、僕は手を引いて土手を駆け上がった。

 彼女が手を引っ張り返したのを感じて、慌てて離す。


「いきなり、どうされたのです?」


「すみません。その、そろそろ皆さんが戻ってくる頃かと思って」


「そうでした。私も行かないと」


 彼女は服についた泥を払い落とす。


「あの、マルクさん」

「はい」


「神様へ捧げる歌とは、どうあるべきなのでしょう」


 神様に捧げる歌、とは聖歌のことだろうか。何故、彼女はそれを聞くのだろう。目の前の少女は素晴らしい歌声の持ち主だ。何故私に聞くのだろう。正直、歌うのが苦手な私に。歌のことなら、彼女の方がよほど良く知っているだろうに。さて、聖書に、歌について書いてあっただろうか。儀式についての本になら載っていたような気がする。それを読んだのは随分昔のこと、内容までは覚えていない。


「ごめんなさい。変なこと聞いてしまって。ではまた」


 軽い足取りでキャロルは人混みの中へと消えていった。僕は結局、彼女の問いに答えることができなかった。

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