SS6-2 セアラの憧れの人(中編)

(……こんな若造、どうとでもなるはずが……)


 小指ですらも動かすことができず、俯いたまま体を小刻みに震わせるランベルト子爵。屋敷内とはいえ季節は冬へと移り変わる頃だというのに、先ほどから滝のような汗が止まらない。口内はカラカラに乾き、うまく声を出すことが出来ないどころか、呼吸すらも満足に出来ない。

 彼の体は避けられない死の予感に囚われ、その恐怖の虜となっていたのだった。


____________


「アルさん、やはり私は場違いでは……こんな格好でこのような場所に」


 いま二人が居るのはランベルト子爵邸の応接室。アルがソファに座り、その後ろに侍従という体でテオが立ったまま控えている。

 アルが村に到着した次の日、ランベルト子爵家の屋敷に到着した二人。名を名乗り来訪の目的を告げると、驚くほどあっさりとその扉は開かれた。

 そんな屋敷は二人が座るソファを始め、質の良い調度品ばかりが設えられており羽振りの良さをうかがわせる。テオが自らの身なりを気にして気後れしてしまうのも無理からぬことであった。


「……テオさん、あなたがエリーさんと共に生きたいと願うのであれば、言うまでもなく誰よりも、もちろん私よりもこの場にいるべき人のはずですよ」


 その口調は優しく諭すようなものではなく、むしろ突き放すようなものに近かった。テオが戸惑い、返答に窮していると明るい茶色の長髪を後ろで一つに結んだメガネの男性が室内へと入ってくる。


「お待たせいたしました、少し先約がございまして」


 口調こそ丁寧なものの、名乗りすらしないランベルトの態度にアルはかすかに眉をひそめるが、すぐに穏やかな表情で立ち上がる。


「アル・フォーレスタと申します。突然の訪問にもかかわらずご対応いただきありがとうございます」


「いえいえ、遠いところをよくぞお越しくださいました」


「とんでもありません。走れば日帰りも十分可能な距離ですからお気になさらず」


 普通に考えればありえない、そんな馬鹿みたいな話。だが本気とも冗談とも分からない、アルの笑みにそんな底知れなさをランベルトは感じ取る。


「……はは、ご冗談を。どうぞおかけください」


「では失礼して」


 アルは再びソファに腰を下ろすと、わざとらしくセアラとシルからの誕生日プレゼントである最高級の腕時計で時間を確認して見せる。


「さて、ゆっくりとお話をしたいところではありますが、あいにく大切な予定がありますので夜には自宅に戻らなくてはなりません。ですので早速本題に入らせていただきましょう」


 ずいっと体を乗り出すアル。


「エリーさんを迎えに参りました」


 屋敷にあっさりと迎え入れられたことからも、アルがそれを理由に来ることは想定の範囲内だったのであろう。ランベルトは特に驚くこともなく、変わりに頭を抱えて悩むそぶりを見せる。


「やはりそうでしたか……ですが血がつながっていないとはいえ、エリーは紛れもなく私の娘。はい、そうですかと送り出すのは心苦しいのです。アル様にも養女がおられるのですから、この気持ちもご理解いただけるかと」


 アルがシルに対して抱く想い、そして自分がエリーに抱く想い。ずうずうしくもその二つを同等のものであると語るランベルト。


(笑わせてくれる……)


 手にしていたカップをたたきつけたい衝動を押さえつけ、アルは大きく息を吐いてシルの天真爛漫な笑顔を思い浮かべる。


「ええ、この子の願いなら何でも叶えてあげたい。そして世界中の誰よりも幸せな人生を送ってほしい。心からそう思います」


 これ以上つべこべ言わずにエリーをうちに移住させろと目で訴えるが、当の本人はどこ吹く風。


「そうでしょう、そうでしょう。私も同じ気持ちですよ。気を悪くしないでいただきたいのですが、それなりに裕福なこの家を出て平民のように生きていく、果たしてそれが本当に娘のためだといえるでしょうか?」


「何を幸せとするか、それは本人次第でしょう。私の妻はもともとこの国の王女でしたが、今が一番幸せだと言って暮らしていますしね。ですからここで私たちがあれこれ言っても仕方ありません」


「それは世界を救うほどの英雄が夫だからでしょう?残念ながらエリーにはそうした方はいませんからね。ならばせめて苦労をしない相手を選ぶのことが親心というものです」


(ちっ、聞くに耐えんな……)


 アルはちらりと後ろに立つテオに視線をやると、無礼を働かぬように俯き身を固くしたまま必死に耐えている。


「……テオさん、下がっていただいてもいいですか?」


「え……?」


 二度は言わない、そう言いたげなアルの雰囲気にテオはビクッと体をふるわせて部屋から出る。


「さて……さっきから何を勘違いしているのやら」


 ソファにふんぞり返ると、大理石でできたテーブルに踵を叩きつけるとバキっと大きな音がする。


「な、何をするんです!?」


 テーブルに入った大きなひびとアルを見比べながら、ランベルトは抗議の声を上げ屋敷の者をベルで呼ぶ。


「言ったでしょう、今日は忙しいと。下らない話に付き合っている暇はないんだ」


 アルはやれやれと首を振ってランベルトを睨みつける。その黒い瞳には揺らめく炎のような赤が混じり、空間が歪んで見えるほどの濃密な魔力が立ち上る。


「ご主人様お呼び……で……うぐぅ……」


「な、なに……を……」


 部屋に入るなり崩れ落ちる執事らしき男とテーブルに突っ伏したまま動けずにいるランベルト。まるでこの部屋だけ重力が何倍にもなったかのよう。

 その原因はもちろんアルの発している魔力。魔神の力が覚醒し始めている彼が、威圧を目的としてその力の一端を解放すれば、魔法に耐性がある者でなければその場で立ち上がることすら難しい。


「ランベルト子爵、私がここに来た目的はなんでしょうか?」


「エ、エリーの……移住……を……許可を……」


 どうにか声を絞り出したランベルト。その答えはアルの予想通りのものであり、正すべき認識そのものであった。


「言ったはずです、エリーさんを迎えに来たと。あなたの許可がいるとでも?」


「どう……いう……」


「あなたより上の、それこそ私どもの結婚式に参列していただいた方々は私がその気になれば許可なんて必要としない、というよりも止めようがないことを分かっています。今まさにあなたが身をもって感じ取っているように」


 もはや声を出すどころか呼吸すらもままならない。ソファから転げ落ちて仰向けになり、恐怖を顔に張りつけて見上げるランベルト。そしてそれを冷たく見下ろすアル、この場の力関係を明確に示す構図が出来上がっていた。


「とは言え私としてもあまり強引な前例は作りたくないのでね。きちんと筋は通したうえでここに来ています」


 声は出せずとも、驚きに見開かれた目がその心情を物語る。


「お察しの通り、昨日既にこの一帯の領主であるモンフィス伯爵から許可を得ています。先の大戦ではセアラとシルにずいぶんと助けられたらしく、エリーさんがセアラのかつての専属侍女で恩人だと伝えたら、それはもう快く許可をいただけましたよ。ディナーまでご馳走になってしまいました」


 アルは足元に転がるランベルトの髪を無造作に掴むと、力任せに引き上げる。


「さて、もしあなたがこのようなことをしでかしたと伯爵の耳に入ったらどうなるでしょうかね?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

仲間に裏切られて人に絶望した元最強異世界転移勇者と、裏切られても人を信じる元王女の幸せな結婚生活 Sanpiso @pinsan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ