SS6-1 セアラの憧れの人(前編)

「セアラ、少しは落ち着いたらどうだ?到着は明日の夕方頃の予定なんだろう?」


 苦笑しながらアルが言う。

 明日は待ちに待ったセアラの元専属侍女、エリーが幼馴染の夫を連れて引っ越してくる日。セアラは今日のうちから今か今かとソワソワしながら到着を待ちわびている。


「あ、はい。でもずいぶん前に出発日と到着日を教えてもらってから、全然音沙汰がないので心配で」


「そりゃあ引越し準備とかで忙しかったでしょうし、連絡がないってことは順調ってことでしょう?ほら、お茶が入ったからとりあえず座りなさいな」


「うん、ありがとう」


 リタに促されて着席したセアラは、テーブルに置かれたお茶を一口飲んでほうっと息をつくと、エリーに思いを馳せる。


「楽しみだなぁ……私、エリー姉様が専属侍女で良かったって思ってるんです。本当に頼りになるお姉さんって感じで、いつも助けてもらえて。私にとっては憧れの存在なんです」


 なんの後ろ盾もなく、後ろ指をさされながら目立たぬように生きていた王女時代。贅沢な暮らしとは程遠くとも大きな危害を加えられることなく育つことが出来たのは、間違いなくエリーがそばにいたからこそ。


「なぁセアラ、そういえば以前会った時に思ったんだが、エリーさんって護衛も兼ねてたりしたのか?」


「あ、やっぱり分かりますか?アルさんほどではないにしろ、きちんと訓練を受けていたからそれなりに腕は立つんですよ。そのうえ頭も良くて、おかげでどうにかここまで逃げることが出来たんです」


 どれだけエリーが優れているかを説明するためとはいえ、自らの危機ですらも嬉しげに話すセアラ。

 だがたった一人の専属侍女が護衛まで兼ねるというのは穏やかではない。城でのセアラの扱いというものを改めて思い知らされる。


「そうか……じゃあ道中何かあってもいけないから、俺が迎えに行くよ」


「そうね、それがいいわ」


 言うまでもなくエリーとセアラは夫であるアルよりも、母親であるリタよりも一番長い時間を共に過ごしている。そしてその時間とはセアラにとって人生で最もつらかった時間。そんな時に支えになってくれたエリーを彼女が慕うのも、アルとリタが丁重にもてなしたいと思うのも当然のこと。


「え?それは確かに安心ですけど……いいんですか?」


「ああ、セアラはリタさんたちと一緒に歓迎の準備でもしていてくれ。何もしないと時間も経たないだろ?」


「はい、ではお願いしますね」


 アルを見送ると、二人はもう少しお茶の時間を楽しもうとダイニングに戻る。そして明日の歓迎パーティーの段取りなどを話したのち、リタはふと思った疑問を口にする。


「そういえばエリーちゃんって平民よね?王女様の専属侍女なんて名誉なことなんだから、普通はいいとこの娘がなるものじゃないの?」


「えっと、確かエリー姉様の村を管理してる子爵家の養女になったって言ってたよ。手続きの時に顔を合わせただけだから、ほとんど覚えてないらしいけど」


『そうなの』と言ってリタは眉をひそめる。

 わざわざ平民のエリーを専属侍女とするために子爵家の養女にした、それもまたセアラがどう見られていたかを如実に表している。

 そしてもう一点、気になることがリタの脳裏に浮かんでいた。


(つまり形だけとはいえ子爵令嬢ってことかぁ、面倒なことにならないといいけど……)


_____________


「おかしいな……馬車で来るって聞いてたから大きい道を来たんだが、どこかですれ違ったか?」


 エリーの故郷と思われる貧しい村の前でたたずむアル。順調でも乗合馬車で二日はかかる道のりをわずか三時間で走破してきた道中、何台かの馬車とすれ違ったがエリーは乗っていなかった。


「出発はしているはずだよな……もしかしたら途中の町で休憩中だったのか?」


「あの、この村に何か御用ですか?」


 ひとまずエリーがいるのかを確認したのち、来た道を引き返そうとしたアルに声をかけてきたのは一人の男性。目の下のクマはひどく、あまり食べられていないのか頬はこけてしまっている。


「教えていただきたいことがあるんですが、こちらにエリーさんという女性が住まわれていないでしょうか?」


 アルはちょうどいいと思い男に尋ねる。


「……もしかして、あなたがアルさんですか?」


「そうですが……私をご存じで?」


「エリーから聞かされていたんです。もしかしたらアルさんかセアラさんが訪ねてきてくれるかもしれないから、と」


「……ということはあなたが」


「はい、エリーの夫、テオと申します」


 改めてテオと名乗る男を見ると、憔悴しきっているものの確かにまだ若そうな雰囲気は随所に感じられる。


「そうでしたか。では改めて、初めまして、アル・フォーレスタと申します。お会いできて嬉しいです、と言いたいところですが、なにがあったのですか?」


「そ、それが……」


____________


 遡ること二週間前、エリーの故郷である貧しい村に馬に乗った一人の騎士が現れると、村長の家にずかずかと上がり込む。


「そなたがこの村の村長だな?エリーという女がいるはずだが」


 何者かすら名乗ることなく不躾な態度で尋ねる騎士に、村長は怪訝な視線を向けながらも答える。


「はい、おるにはおりますがじきにこの村を発つことになっております。エリーが何か?」


「喜ぶが良い、ランベルト子爵様がその娘を屋敷に迎え入れるとお決めになられたのだ」


____________


「……かつてエリーは王女様の専属侍女となるため、ランベルト子爵家の養女となりました。といっても全く目にかけてもらったことなどなく、恐らく生きていることすら知らなかったはずです。ですがエリーが今回アルさんのもとに行くために許可を得ようと申し出たところ、急に態度を変えて……」


「……ちっ、そういうことかよ。随分と甘く見られたもんだな」


 現状を認識し、思わず毒づくアル。

 もともと領地間の人の移動は領主の許可を受けなければならないが、それはこのような過疎地では形骸化しているような決まり事。しかしアルの領地に関してはこれを遵守するという前提で人の受け入れをすると宣言したため、エリーは万が一にも迷惑がかかることがないようにと正規の手続きにのっとり転出許可を得ようとした。それが裏目に出てしまった格好であった。

 そして自ら提示した以上、その条件を反故には出来ないだろうと見られていることが更に気に食わない。


「あの……」


「ああ、すみません。要するにその子爵様は惜しくなったんでしょう。記憶の片隅にすらなかったセアラの元専属侍女というカードを手放すことが。まあ政略結婚が当たり前の貴族からすれば、普通の考え方かもしれませんがね」


 唯一の救いはここにセアラがいないこと、妊娠中の彼女に要らぬ負担をかけさせるわけにはいかない。


「そんな……じゃあエリーはどうなってしまうのでしょうか?どこかの令息と結婚させられたり」


「いえ、おそらくエリーさんをこちらに移住させる見返りとして、何らかの要求を私にすることが狙いだと思います……すみません、お二人をこんなことに巻き込んでしまいまして」


「そ、そんな!アルさんが謝ることなんて何もないじゃないですか。むしろお二人にはこうしてエリーと一緒に外に出る機会をもらえて本当に感謝しているんです。それに村のみんなも私たちの移住を喜んでくれて」


 大袈裟なくらいに手を振って否定するテオ。だがすぐにその表情が曇る。


「……エリーは私にはもったいないくらいの女性ひとなんです。昔から何でもできて、要領の悪い自分をいつも引っ張ってくれて。彼女がこの村を出る時だって、力になりたくても結局見送ることしかできなくて……本当に情けないです。こんなことになっても彼女を取り戻しに行けない、ただ幼馴染というだけの自分なんかが彼女の隣にいていいのか、分からないんです」


「テオさん」


「そうだ、いっそあの日みたいに……」


「テオさん!!」


 アルの声に身体を震わせ正気に戻るテオ。


「そこまでです。今はまずエリーさんを取り戻すことだけを考えましょう」


「あ……はい……すみません」


「ではこのまま子爵家に向かいましょう。せっかくの歓迎パーティーの準備を無駄には出来ませんからね」


「え、ええ……一体どうするおつもりで?」


 テオに尋ねられると、アルは低い声でふふっと冷たく笑う。


「別に大したことはしませんよ。どうやら何か勘違いをされているようですからね。認識を正すだけです」

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