SS5-4 小さな勇者(後編・下)
あたりを見渡すディルの兄。弟の声は確かに聞こえたはず、よく知ったにおいも間違いなくする、そしてこの部屋には身を隠す場所などどこにもない。それにもかかわらずその姿だけが見えない。
(……シル、大丈夫だから魔法を解いてくれ)
(ん、分かった)
次の瞬間、二人の姿があらわになるとディルの兄は驚きのあまり、よろめきながら後ずさる。
「お前、何でここに……それに、君は確か……」
「兄ちゃんこそ何やってるんだよ!こんな……こんなことしてどうするつもりなんだよ!?」
今の状況を忘れて声を荒げるディル、だが見張りの男たちは一向に帰ってこない。こうなることを見越したシルが姿を現した際に部屋に防音魔法を施し、外からドアが開かないように固定している。
「誰かがやらなきゃならないんだよ、この現状を変えるためにはね」
ディルの兄であるゲイルもまた父親と同じ会社で働く一人。そんな彼がたまりにたまった不満によって発作的にことを起こしたというのならば、会社所有の建物に立てこもるという計画性のなさもある程度はうなずける。だが目の前にいるこの状況でも落ち着いている彼の様子とは、あまりにもちぐはぐな印象を受ける。この誘拐劇のその先に何を見ているのかがさっぱり分からず、シルは二人のやり取りを静観する。
「だけどこんなやり方じゃ何も変わらない、兄ちゃんたちが捕まって終わるだけじゃないか!」
シルの抱いた疑問をそのままぶつけるディル。だがゲイルは『分かっている』とでも言いたげに小さく笑う。
「……そっか。ディルの言う通り、どうするつもりなのかなって思ってたけど、その子の身柄と引き換えに何かを要求するつもりはないんだね?」
ゲイルはシルに微笑みながら頷くと、ことを起こした意図を二人に語る。
「こんなことがあっても、獣人の有用性を誰よりも知っているあいつらには獣人を手放すなんて出来ない。獣人の力ありきで成り立っているような会社だからね。それならばと今より締め付けるのではなく、待遇を改善する方に流れるはずだよ。なにせ」
いまだ目を覚まさないパットを見下ろすゲイル。
「俺にはこいつを痛めつけるつもりはないけれど、もしも次があれば?」
「うん、この状態を続けるのはまずいって思わせられるよね」
あっさりとゲイルの意図を肯定するシルをディルはきっと睨むが、シルはまったく意に介さない。
兄にこんな道徳に反することをして欲しくないと弟が思うことは自然なこと。だが自分に恥じぬよう、常に良い行いをして聖人君子かのように振る舞う。それは確かに美徳される生き方かもしれないが、聖女であるシルは必ずしも正しいとは思わない。そうでなければまだ子供の自分が理不尽に排斥されたり、真っ直ぐに生きてきたはずの両親が辛い思いなどするはずがないのだから。
「なんでだよ……なんで兄ちゃんがそんな事しないといけないんだよ」
「……ディル、お前には悪いと思ってる。他の獣人たちはともかく、父さんはさすがに今まで通り働くという訳には……」
「そういうことじゃないっ!俺たちのことなんかどうでもいいんだ、ちゃんと説明してくれよ」
ディルが一番分かっている。『誰かが』と言うのであれば、そして自分に悪いというのであればこんな強引なことをするような兄ではない。何か自分の知らない理由がそこにはあるのだと。
そしてゲイルは観念したように、一つため息をつく。
「……お前がまだ小さいころの話だ。父さんはあとの二人の父親たちと三人で独立しようとしたことがあった。だけどすでにカペラで結構な力を持っていた社長に邪魔されて、それからますます獣人の扱いがひどくなってしまって……だから……」
「……だから兄ちゃんたちが他の人たちのために責任を取るってこと?そんなの納得できないよ、そもそも父さんだってそんなこと……」
「ねぇ、もう時間がないよ。外に警備隊の人たちが来たみたい」
周囲の様子に気を配っていたシルが倉庫の外の異変に気付くと、ゲイルはこくりと頷く。
「さすがにカペラの警備隊は優秀だね。二人は逃げなさい。ここにいたら面倒なことになるからね。シルさん、すまないがディルを頼めるかい」
「うん、いいよ。最初からそのつもりだったし」
ここから逃げることなんて簡単とでも言いたげに安請け合いをするシルに、こんな状況にも関わらずゲイルは思わず苦笑してしまう。
「兄ちゃんも逃げよう!シルなら一人増えたところで何とか出来るだろ?警備隊の人とも顔見知りだったし、それこそ魔法でどうにでも」
「ダメ、そのお願いは聞けないよ」
そう言うとシルはディルを眠らせようと魔法をかける。
「う……なに、を……」
「悪いけど寝てて」
どうにか意識を繋ごうとするディルであったが、強烈な睡魔にあらがうことが出来ず恨めしそうにシルを睨みながら眠りにつく。
「ありがとう、巻き込んでしまってすまないね」
「ううん、私が巻き込まれに来たんだから気にしなくていいよ。あ、それと家族のことも心配しなくてもいいよ。仕事なくなってもうちに来たらいいからね、力仕事できる人は大歓迎だよ」
「はは、本当に何から何までありがとう」
「どういたしまして、お兄さんも罪を償ったらおいで。じゃあもう行くね」
姿を消したシルは魔法で軽くしたディルを抱えて息をひそめると、倉庫へと踏み込んできた警備隊の隙をついて外へと躍り出る。
____________
物陰に隠れてすべてのことが終わるのを見届けたのち、シルはディルにかけた魔法を解く。
「う……シル?に、兄ちゃんは!?」
「警備隊の人に連れていかれた、特に抵抗することもなかったよ」
「……お前、なんで助けてくれなかったんだ」
「誘拐は犯罪、どんな理由があっても罪は罪。ちゃんと償わないとダメだよ」
先ほどと変わらず恨めしそうにシルを睨むディル。だが毅然と言い放つシルのルビーのように輝く瞳に気おされ目をそらすと、地面を思いきり殴りつけて空を睨む。
「うう……おおおおおおおおおおお!!」
シルの言っていることが正しいことは分かりきっている。分かっているからこそ、行き場のない怒りが空に向かって放たれる。それはまるでオオカミの遠吠えのようだとシルは思う。
「くそぅ……なんで兄さんが……俺は、俺にはなんにも出来ないのかよ……」
人目を憚らずポロポロと涙を流すディルにシルはどう声をかけたものかと思案すると、やがて意を決したように自らの経験を語り出す。
「ねぇディル、ソルエールの大戦って知ってる?」
「……何をいきなり……当たり前だろ」
ディルが涙を拭いてシルの目を見ると、シルはふふっと笑って続ける。
「私はね、あの場にいてパパと一緒に戦ったんだ。他にも色んな国の騎士さんがたくさんいて、大切なものを守るために力を合わせて戦ってた」
シルは少し目を伏せて『死んじゃった人もたくさんいたよ』と言うと、膝をつき、うなだれるディルの両肩を掴んで真っ直ぐに目を合わせる。
「残された人たちはね、下を向いてばかりじゃダメなんだよ。残された人がどうやって生きていくのか、それでその人たちの想いが報われるかどうかが決まるんだよ」
それはシルがアルとセアラの背中を見て教わったこと。
ソルエールの大戦以降も二人は変わらず仲睦まじい。だが、以前のようにただ幸せに日々の暮らしを営むだけでは無くなった。領地に人を受け入れることを決め、出来る範囲でこの世界をより良い方向へと変えていこうとしている。それが自らに課せられた役目であるかのように。
「俺が……どう生きていくのか……」
「そうだよ、それにお兄さんは戻ってくるんだから、そんなふうにうじうじしてたらガッカリされちゃうよ?」
「……シル……お前、俺より年下のくせに大人みたいだな」
思わずこぼれたその感想は的を射ていた。実の両親との再会、アルへの恋心との決別、そして命を懸けた最後の戦い。ソルエールでのあらゆる体験は、彼女を無邪気な子供のままでいることを許さなかったのだから。
「もしお父さんのお仕事に困るならうちにおいで。パパには私がお願いするから」
「……なあ、シルのお父さんって何者なんだよ」
「ん?私のパパは勇者様だよ、世界で一番強くて、優しい人だもんね」
「勇者……そうか、そうなんだな」
普通であればただの軽口にしか聞こえないようなシルのトーンだが、ディルは腑に落ちたと言うようにすんなりと納得する。
「あはは、随分あっさりと信じるんだね?」
「ああ、信じるよ、もちろんな」
なぜならば今こうして目の前にいる年下の少女こそが、うずくまったまま動けそうになかった自分に一歩踏み出す勇気をくれた、ディルにとっての小さな勇者なのだから。
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